どこを切っても「ヴィヴィッド」がほとばしる〜新国立劇場「チェネレントラ」

 ようやく緊急事態宣言が明け、新国立劇場の新シーズンもスタート。コロナに翻弄された日々が、少しずつおさまろうとしています。
 新国も2020年の春は公演がいくつも中止に追い込まれましたが、昨シーズンはなんとか完走。この夏、共同制作の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、文化会館での上演が中止になったのは痛恨でしたが、来月幕を開ける新国での上演は、なんとか完遂できるよう願っています。

  さて、シーズンのオープニング演目は、ロッシーニの「チェネレントラ」(新制作)。新国立劇場がこれまであまり上演してこず、大野監督が力を入れるレパートリーの一つであるベルカントものです。「チェネレントラ」はロッシーニではメジャーな作品なのに、新国では1回しかやっていません。2009年に、確かバイエルン州立歌劇場(間違っていたらすみません)からポネルの名演出を借りたのですが、演出もエクセレントなら、キャストもシラクーザ(聴き手を幸福にするシラクーザの声は王子様にぴったり)、カサロヴァ、カンディアなど揃いも揃って大名演でした。友人たちのグループと行きましたが、みんな大喜びっだったのを覚えています。
 

 みんな大喜び。それは、今回もそうでした。今回は、自己プロデュースの解説会つき鑑賞会で、50名の方が参加してくださいましたが、みなさん本当に大喜び!お願いしたアンケートでも、「公演」については全員が「大変満足」でした。オペラが初めての方もいましたから、素晴らしいことです。
 

 12年ぶりの新国立劇場「チェネレントラ」、「どこを切ってもヴィヴィッドがほとばしる」公演だったというのが正直な感想です。音楽も、演出も。
 

 まず演出。今や日本のイタリアオペラ演出のトップランナーとして大活躍の粟國淳さんの演出は、舞台を20世紀、イタリア映画黄金時代のローマの撮影所「チネチッタ」に設定。オペラでは 王子の家庭教師のアリドーロが映画監督になり、新作映画「チェネレントラ」の主役を探す王子は映画王の息子でプロデューサー。全体は「チェネレントラ」を撮影する中で進むという趣向です。粟國さんも、彼の親友だというセット、衣装デザイナーのチャンマルーギさんも「ローマっ子」。だからなのでしょう、チネチッタの描写が細部まで生き生きとしている。「劇中劇」として撮影中の「チェネレントラ」の背後で、いろんな映画の撮影が進行するのですが、その風景が本当にこのお2人の人生に馴染みのものだったのだな、と感じます。演技も細かく、何よりヴィヴィッドで、ロッシーニの音楽によくあっているのです。イタリアの誇る芸術、オペラの延長線上にイタリア映画の黄金時代があることを実感しました。映画への愛、オペラへの愛、ロッシーニへの愛、の相乗作用ですね。セットや衣装の色彩感もヴィヴィッドで、音楽によくあっていました。
 

 歌手も粒揃い。何よりお見事だったのは、ヒロインのチェネレントラを歌った脇園彩さん。日本が生んだ世界的ロッシーニ・メッゾの実力を見せつけました。情感と深みのある声がよく通り、ロッシーニを歌う肝であるアジリタも完璧で、何よりまろやかなのです。アジリタの着地が美しい。無理がない(ように聞こえる)。すごい技術です。
 演技も、自立し、自ら幸福を引き寄せる女性チェネレントラ(本名はアンジェリーナ)にふさわしい、溌剌として前向きで、でも女性的な部分も忘れない。この役に理想的ですね。
 王子役ルネ・バルベラさんは、新国立劇場「セヴィリアの理髪師」で好演。その時も脇園さんとの共演でした。張りのある明るい声、余裕のある高音、これも明るく邪気のない演技。聴かせどころの第二幕のアリアでは、なんと後半をアンコール(bis)。久しぶりのイタリアオペラでのアンコールに、ほぼ満席の新国、沸きました。記憶にある新国でのアンコールは、1998年?のシラクーザ「セヴィリアの理髪師」の大アリアのアンコールが圧倒的でしたが、あれ以来の感動かも。(その間にも、確か「リゴレット」でマルセロ・アルバレスが「女心の歌」をbisしたかもしれません)
 芸達者!を見せつけたのが、マニフィーコ男爵、意地悪な義父を演じた大ベテランのアレッサンドロ・コルベッリさん。心技一体、というのでしょうか、一挙一動がその場の男爵の心境ありようを表して、非現実的なキャラクターがとても現実的に感じられるのです。69歳!という年齢なのに、声もまだまだ若々しく、技巧も健在で、本当に魅せられました。
 従者ダンディーニ役の上江隼人さんは、彼の武器であるベルカントの技術を活かし、柔軟でしなやかな歌唱。適性あります。アリドーロ役のイタリアのバス、ガブリエーレ・サゴーナさんはスタイリッシュな歌唱。赤いマフラーが、フェデリコ・フェリーニのようでした。クロリンダ役高橋薫子さん、ティーズべ役齋藤純子さんも健闘。どこにも「穴」のないキャスティングでした。現時点での国際水準の公演だと思います。三澤洋史氏指揮する新国立劇合唱団もピタリと揃って軽快でした。
 (それにしてもこれだけの公演ができるのは、ロッシーニ歌いが充実しているからだ、というのも実感です。脇園さん、バルベラ、センペイ、スポッティらが出た2020年2月の新国の「セヴィリアの理髪師」でも同じように感じたことを思い出しました。それに対してヴェルディ歌いは人材不足。。と嘆いてしまういつもの悪い癖。) 


 指揮の城谷正博さんは、来日できなくなったマウリツィオ・ベニーニのピンチヒッター。城谷さんといえばワグネリアンで有名で、3月の「ワルキューレ」を1日振った時は大名演。とはいえ、新国でずっと音楽アシスタントを務められていたので、経験豊富です。
 その経験が生きたのだと思います。終始インテンポで、安全運転ながら、艶やかで美しい弦の音色、軽やかな木管、生き生きした生命力などは間違いなくロッシーニの「色」でした。大健闘ではないでしょうか。

 とはいえ、痛感するのは、日本にイタリアオペラの指揮者が少なすぎる、ということ。この方面で活躍中の園田隆一郎さんはびわ湖ホールで「つばめ」に出演中。この間藤原歌劇団で「清教徒」を振られた柴田真郁さんもいますが、それ以外は私も不勉強もあり、なかなか名前が思いつきません。
 「オペラハウスで働いていれば、イタリアオペラなんかいやでも経験して振れるようになる」という意見もあり、それはそうかもしれませんが(現実に城谷さんがそうなわけですが)でもそれって、イタリアオペラを、例えばワーグナーの余技みたいに考えてないですか?それは違うだろう、と思うのですよ。今回来られなかったベニーニはベルカントのスペシャリストだし(聞きたかった)、2021年1月の新国「フィガロ」をキャンセルしたピドもそう。彼らがワーグナーを振るのは想像できないし、振らなくていいです。それから例えばミケーレ・マリオッティとか、リッカルド・フリッツァなどもなんといってもイタリアオペラの指揮者なわけで、別にワーグナーは求められていないでしょう(本人が振りたいかどうかは別として)。そういう指揮者が日本にもっといてもいい。
 新国では、指揮者は外国から招聘することが多いわけですが、これまではイタリアオペラに、必ずしも適切な人ばかり呼んだわけではありませんでした。フリッツァやリッツィやルイージやパルンボが来たこともあったけれど、そしてイタリア人ではないけれどそれは素晴らしい「椿姫」を指揮してくれたイヴ=アベルもいましたが、「え、なんでこの人がイタリアオペラ?」という外国人指揮者も時々いた。そういう人を呼ぶなら、日本人の指揮者にチャンスをあげてほしい。心からそう思います。

公演は今日を入れてあと4回。明るく幸せな気持ちに浸りたい方、ぜひ。


追記 新国立劇場でのアンコールは、2009年「チェネレントラ」のシラグーザでもあったそうです。失念していて失礼いたしました。

追記2 通奏低音、今回はチェンバロでとても遊んでました(「ゴルトベルク変奏曲」が出てきたり。。。)遊ぶのはいいのですが、一部でご指摘があったように、やはりフォルテピアノの方がしっくりきますね。

 



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