『津軽』日記
女生徒トートと、旅に出よう
(旅の勢いで書き、下書きに入れたままとなっていました…)
私には、ふるさとがない。
長野はふるさと…とは言えますが、生まれてすぐあちこちに行ったので、長野をふるさとと言い切ることに、どこか抵抗があります。白い杏の花や千曲川の鮎、冬のスキーの授業のことを語る父を前にすると、わたしはふるさと力が弱いことを痛感せざるを得ません。
私には、ふるさとがない…ふるさとの味を知らない…同郷の人を応援しようという気持ちがない…
これは、由々しき事態で、アイデンティティの危機である、と焦り、勝手にふるさと納税した先をふるさとと見做してみたこともありました。
「遠野のお屋敷出身なんです、ほら、髪が黒くて長いから、座敷童に似ているでしょう」と主張をしたことはありましたが、いささか無理があります。
私がふるさと信仰を募らせる一因となった太宰治の『津軽』は、ふるさとを持ったような気持ちになれる一冊でした。軽快な語り口で、笑いと涙を交えながら、金木町に近付くとともに素に戻っていく太宰と一緒に旅をするような作品です。読んでいると、隣に太宰がいるかのような気持ちになります。
『津軽』を読んで、津軽に憧れていた私は、三鷹にある点滴堂さんにて女生徒トートバッグを手に入れたことをきっかけに、太宰のふるさとを訪れることにしました。
太宰には、もっと生きてほしかった、というワガママが私の中にあります。津軽の旅を通して、彼に会えたら…と願いながら、女生徒トートバッグを肩にかけ、三つ編みをキリリと結び、さあ、出発です。
初日、新青森散策
東京から新青森まで、新幹線で約3時間。新青森駅に着くと、まずは、太宰らうめんを食そうと決めており、新青森駅1階の「めぇ」に直行しました。
新青森駅を訪れるのは2回目ですが、以前太宰の写真のついた「文学のお出汁です!!」という広告を出しておられたお店だったのです(今は、この広告は、なくなっていました…残念)。
太宰が好きだったという曲竹の入ったらうめんをいただきました。良い食感。なるほど、美味。
その後、駅前で車を借り、三内丸山遺跡に向かいます。
三内丸山遺跡では、雪に覆われた縄文のムラを散策しました。
少し雲のある青空と、白い雪。開放感のある、広々とした景色です。
雪に覆われると、建物の輪郭がふわっと柔らかくなるのね…と、雪が作ったやわらかい曲線を見ながら写真を撮っていると、彩雲を発見!
1時間半ほど滞在し、青森県立美術館に車で移動。
青森県立美術館は、雪と一体化していました。雪国らしいデザイン、とても好きです。建物のデザインや、展示から、青森への敬愛を感じます。
まずは、アレコホールへ。
シャガールの《アレコ》は、色彩から感覚を呼び起こされます。不穏だったり、情熱的だったり、ドラマチックな作品です。
《アレコ》のあるホールにおいてある椅子は、好きな場所に移動ができます。めいめい好きな位置で作品鑑賞をしている様は、ピクニックのようでした。
椅子だったり、エレベーターだったり、美術館内の設備にも設計者の意図を感じます。隅々まで美意識が行き届いており(スタッフの皆様の制服もおしゃれでした)、素晴らしい仕事ぶりに、晴々とした気持ちになりました。
奈良美智の「青森犬」に挨拶をしたり、ダイナミックな棟方志功の展示を見てエネルギーをもらったり。青森に関連する人たちの展示が中心で、一貫性がありました。
帰りには、外壁がライトアップされていました。
その後、青森駅周辺のホテルにて一泊しました。
二日目、いざ、五所川原へ
青森市内で街灯を撮影してから、いざ、五所川原へ。
五所川原周辺は、風が強いのでしょうか、風除けがあちこちにありました。(調べてみると、強い風で積雪が舞い上がる地吹雪という現象があるとのこと)
まずは、「赤い屋根の喫茶店 駅舎」さんに伺いました。
津軽鉄道の芦野公園旧駅舎の建物を使った喫茶店です。
赤い屋根に白い壁。絵本に出てきそうな、とてもかわいい外観です。ドキドキしながらドアを開けます。
茶色ベースの、やわらかい雰囲気の店内。切符を渡す窓口や古い電話機が残っており、駅舎だったころの名残があちこちにあります。この駅から多くの人が乗り降りし、その中には『津軽』で言及された、切符をくわえた女の子もいたのでしょうね。。
喫茶店が駅舎だったころの白黒写真を眺めたり、コーヒーをサイフォンで淹れさせていただきながら、ゆったりと過ごしました。
駅舎さんには「大人の時間」というメニューがあり、自分で豆を挽き、サイフォンでコーヒーを淹れる体験ができるのです。コーヒーミルは少し力が要りましたが、手間をかけて淹れた一杯は、さらにおいしく感じました。何かを作っている手触りのあるひと時で、家でも余裕があるときは豆を挽きたいな…なんて思ったり。
おや、電車の音が…と窓の外を見ると、オレンジ色の津軽鉄道が到着。
お店の裏口目の前に、芦野公園駅のホームがあるのです。電車の音が聞こえ、電車が見える喫茶店って、人の営みを実感できて、安心するので、なんだか好きなのです。
列車が発車するとき、店員さんがホームに出て、手を振られていました。窓から笑顔で手を振り返す大人たち。列車が見えなくなるまで、店員さんはお見送りされていました。
このあたたかい光景を思い出すたびに、心の中にふわっと明かりがともります。
駅舎を通り過ぎる人々の顔触れは、きっと日々変わっていくけれど、この人は変わらずに手を振っている。そして、旧駅舎は喫茶店となってからも、人々を迎えては、見送っていく。
灯台や街灯を見た時のような、安心感と安定感を、「駅舎」という喫茶店からその感じました。本当の幸いとは、こういうことか。心が満たされるひとときでした。
このような、無欲であたたかい営みがあるのですね。伺って、良かったです。
後ろ髪をひかれながら、「駅舎」さんを後にし、さあ、いざ、斜陽館へ!
「産直メロス」という名前のお土産屋さん前の駐車場に車を停めます。五所川原、あちこちに太宰ネタが。
赤と茶色を基調とした、どっしりとした建物に、心が躍ります。
靴を脱いで、雪解け水のトントントン…という音を聞きながら、豪邸を探索します。
1階は、和室が連続し、最も奥に洋風の金融執務室がありました。
2階へ。奥行きのある踊り場。木の色があたたかく、随所随所のデザインにこだわりを感じます。人の行き交う様を想像できる階段でした。
部屋から部屋へ、少し迷路のようです。夢の中に現れそうな間取りです。実際、旅行の数週間後、斜陽館に居る夢を見ました。
太宰に似ているところがある、と友人に言われたことがあるのですが、わたしのふるさとは斜陽館だったのかしら…
太宰が暮らしていた、ということはもちろん、木がふんだんに使われ(特に階段が好きでした)、和と洋が溶け合っており、建物としても好きな場所でした。
なによりも、人が暮らしてきた気配が濃く、この家の中に生活があった様子を想像できるところに惹かれました。以前は旅館としても使われていたとのこと、泊まってみたかったです…
フォトスポットで遊んだり、太宰グッズを買ったり、ああ太宰は親しまれ、愛されているな…と嬉しくなりながら、斜陽館を後にしました。
弘前では、洋館を色々見ようかな、と思っていましたが、斜陽館でかなり時間を使ったため、藤田記念庭園内の大正浪漫喫茶室のみ訪れ、黒石の旅館へと向かいます。
3日目、ひそひそと降る雪
朝起きると、雪が降ってきました。
灰色の雲から雪が降ると、街が静寂に包まれます。青空の雪景色は開放感がありますが、灰色の雪景色は、世界の色の数が少なくなり、閉ざされたような静かさがあります。ハマスホイの絵のようです。
浅虫水族館に行き、その後、駅舎さんを再訪。
次に伺えるのがいつになるかわからない、という寂しさも、旅の好きなところではありますが、きちんと自分の中でお別れを告げに行きたかったのです。
この日は、雪が降っており、雪の中の駅舎さんを撮ることができました。
こんな日でも、店員さんはホームに出て、電車を見送られていました。
旅の終わりに、青森港に立ち寄りました。
向こう側に見える白い山を見ながら、そういえば、『津軽』に、深い港にひそひそと降る雪を太宰が眺めた描写があった…と家族に話していたところ、雪がひらひらと降り始めました。海に降り注ぐ雪は、積もることがなく、海水に触れるまでの間だけ見える、とても儚い雪。静かで繊細な光景に、心が穏やかになります。
新青森駅から新幹線に乗り込み、青森を後にしました。
寂しくてたまりません。
清里や長野は、アクセスしやすく、いつか住む可能性もあるので、立ち去るときに、あまり寂しくないのです。瀬戸内を去るときも、いつか高松に引っ越したいね、と家族と話したこともあり、寂しくなかったのです。
今回は、余韻をひしひしと感じました。魂だけ、五所川原において来てしまったような、旅が終わったという現実感がありません。
それでも、現実に戻らなくては。日常は、非日常のために。梨木香歩さんの「日常を深く生き抜く」という言葉を胸に、また駅舎に伺える日まで。次はストーブ列車に乗ってお邪魔しましょう♪