羽化 【短編小説】
知らない世界に私がぽつんといる。これから見慣れていくのだろうかとそんなことを考えながら、新しく住む自分の部屋を色づけていく。今年から、大学生になり初めての一人暮らしが始まった。
大学が決まってからは、怒涛の展開だらけだ。通うためのお家探し、入学手続き、新生活に向けた必要なものの確保……。最初は全く信じられなかったけど、だんだんと次のステージが始まるのだなとそう感じた。
高校生活もどこかあっという間だった。気づけば卒業式で、それもどこかそっけなくてポンと追い出されたような気がした。
ある程度の荷解きが終わった頃には、すでに日は沈んでいた。近くにスーパーかコンビニがあったはずなので、地図アプリを参考にしながら歩いてみる。
昔、大きなショッピングモールで迷子になりかけたことを思い出した。どこを見ても知らないものだらけで、視界に映る無機質の塊が私を圧迫してくるような感覚。息苦しい。早く着かないかと思いながら、急いで目的地に向かった。
慣れないスーパーに戸惑いながら、やっとのことで夕飯分の食事を買って戻ってきた。誰もいない部屋で自分が咀嚼する音だけが聞こえる。一人で食べることには慣れていたはずなのにどうしても気になってしまう。
気にしないように無心で食べながら、スマホを取り出す。ぼーっと見ていると、普段、公式企業からしかこない連絡アプリにゆいちゃんからメッセージが届いていた。彼女は根暗な私なんかに話しかけてくれた数少ない友人である。
『卒業式ぶり! 大学で離れることになっちゃったけどこれからもよろしくね。私が大学のことを愚痴ってしまいそうだけど、しいちゃんも何かあったら連絡してね!』
ゆいちゃんらしいメッセージだなと思いつつ、一人じゃない気がしてとても嬉しかった。たくさんおしゃべりはしたけれど、卒業した今、もう二度と話せないんじゃないかと思っていたから。そう思うと少し気持ちが軽くなった気がした。
連絡をもらった後は惰性で寝るところまでこぎつけることが出来た。このまま眠れるかと思ったが、まったく眠れそうになかった。目に悪いとは分かりつつも、動画アプリを開いてみる。私がよく見ている動画の他に、新入生向の動画がわんさか湧いている。
いつもは、おすすめなんて機能しないくせに。
履修登録と呼ばれるものやアルバイト、ファッションなどさまざまな分野に区切って、色んな発信者が解説している。どれも人によるし、一般論なんてあるのだろうか。多くの新しいスタートラインに立った者たちが、参考にしているのだろうかと疑問に思いつつ、スクロールしているとふと指が止まった。
そこには、同じ新入生向けの動画で、大学生活における立ち回り方というのがデカデカと書かれている。私が通う大学には知り合いはいない。なので、ゆいちゃんのような友達は全くいない状態で迎えることになる。
自分の行きたい大学ではあったので、あまり気にしてはいなかったが、いざその状況に対峙するとなるとやっていけるか心配になる。スマホを閉じて、天井を見つめた。元々根暗な人間だったが、高校では彼女のおかげでたくさん話せてとても楽しかった。
出来ることなら、大学でも話せる人は欲しい。もっと欲を言えば、根暗な自分を少しでも変えたい。卒業式に満面の笑みを浮かべて楽しく写真を撮っている同じ女子の三人組を見てて、少し羨ましかった。
『私も色んな人と話せるようになりたいな』
頭の中で想いが重くのしかかる。願望だけを抱いても仕方のないことではあるが、どんどんと募っていく。もがくようにスマホをつかみ、縋るように連絡アプリを開いてメッセージを打つ。自分から打つなんてことは滅多にないから、文章が変かもしれない。それでも、今出来ることはこれしかなかった。そのまま私は逃げるように目を閉じた。
『夜遅くにごめんね。実は、相談があるんだけど、どうやったらゆいちゃんみたいになれるかな。大学でやっていけるか心配なんだよね。出来たら教えてほしい』
朝を迎えて私は少し後悔していた。突然、変なことを送って申し訳なかった。気が動転していたと思われても、致し方無かった。おそるおそる液晶を覗くと一件の通知が来ている。私が昨日助けを求めた相手から。
『いつでも大丈夫だよ! しいちゃんから連絡してくれるなんて珍しいからなんだか嬉しいな。
私なんてそんな大した人間じゃないけど、とにかく当たって砕けろ! というかとにかく先手必勝で動く感じかな。こうして、話すようになったのも私がほぼ押し掛けたのをしいちゃんが優しく受け止めてくれたからだよ。
だから、上手くは言えないけど、自分から飛び出せば必ず迎えてくれる人はいるよ! 無理せず自分のペースでやっていこ!』
思わず涙腺が緩む。相談してよかった。私の言葉を無下になんかにしないでちゃんと考えてくれた。本当によかった。
「ありがとう…… ゆいちゃん。答えてくれてありがとう……」
声にならない聲が誰もいない部屋に響き渡る。窓からやわらかな朝日が射していた。
入学式当日。七分咲きの桜を目にしながら、四年間を過ごす場所へと向かっていく。慣れないスーツ。新品の革靴。角のたった鞄。これから馴染んでいけたらいいな。
式場の体育館は、高校とは比べ物にならないくらい広く、人数もとてつもなく多かった。学部ごとに分かれて、入った人順に座っていく。体中が震えて動けなくなりそうになる。
それでも、あの言葉が、私をなだめてくれる。気が付くと左隣の開いていた席が埋まっていた。私と同じくらいの背で、緊張しているのが分かる。
式までは、まだ、時間はある。少しずつでいい。少しずつ前を向いていこう。新たなステージへ飛び出していこう。
「あの……はじめまして……!」