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自分のそばかすが少しだけ好きになった話


私はもともと色白だったせいか、日焼けをしてもこんがり小麦色になることはなく、肌が赤くなってそのあとにそばかすができる体質だった。

だから昔から夏に思いっきり日焼けをして、冬には元の肌に戻っている友人たちをみるととても羨ましかった。

日差しの強かったスイスの夏


ある時、オーストリア出身の友人と日焼けの話題となった。
ヨーロッパだと夏にはみんなバカンスで日焼けをしにいくというイメージがあったが、今では「日光=皮膚がんのリスク」という認識が浸透しているので、ドイツやオーストリア、チェコといったコーカソイド(いわゆる白人と呼ばれる人種、個人的にはあまり使いたくない用語だが)の子たちも常に日焼け止めを塗っていると言っていた。

ふと、「あなたの肌、しみもそばかすもなくて羨ましい」と私はその友達に言ってしまった。実際のところ、こちらでは容姿に関する発言はかなりセンシティブで言うべきではなかった言葉なのだが、長年の私のコンプレックスからなのか、つい心の声が漏れてしまった。「しまった…」と思っているうちに、その子から予想しなかった答えが返ってきた。

「私は日焼けしてもすぐ小麦色になって、また戻っちゃうからそばかすとかできないの。だからそばかすができるのがとっっても羨ましいし、そばかすがあるのってとてもかわいいと思う!」

一瞬、何を言っているのかと思考停止した。
そうか、そばかすってかわいいんだ。

その時、今まで囚われていた自分の価値観をまた新たに発見した。

彼女だけじゃない。コロンビア人の友達も、彼女のおばあさんのことについて話している時に当たり前のように「彼女のシミやシワが彼女のこれまでの人生、そして経験を表していてとっても素敵だと思うの!」と話していて目から鱗だった。

シミやシワを悪者にしていたのは私自身だった。
シミやシワはそれだけ私たちがいろんな経験をしてきた印なんだ。

そう考えると心がふわっと軽くあたたかくなった。

と同時に、「美白」「シミ取り」といった日本の広告によっていかに自分のマインドがコントロールされていたのかにも気づいた。

おそろしいね。コントロールされていることにすら気が付かなかったよ。

他民族が入り混じるヨーロッパだからなのか、画一の美しさではなく、多様な美しさを受け入れていて、素晴らしいなと思った。

この記事を読んで、誰かが決めた美しさによって、自分に自信を失ったり、心が傷ついてしまう人が少しでも減るといいな。

スイスの鉄道の車窓から