松尾芭蕉とBL道の旅に出た話(番外編) 🌸男色花紀行<菊>
芭蕉のネーミングについて考察しているときに、
男色に関する花が結構あるんだと知りました。
ということで、そこから深堀り。
図書館で借りてきた、丹尾安典著「男色の景色」から参考にさせてもらいつつ、自分なりの考察も加えて、男色の花を紹介していきます。
毎度記事が長いので、
今回は読みやすいように小分けにして5回パートで。
まずは
「菊」
「男色の景色」の菊に関する記述。
陰間 かげま かけま ”か”と”け”の間 = か きく けこ
よって菊が陰間=男性売春に結び付けられたとも。
そもそも菊の花びらの様子が肛門(菊座とも言う)に例えられてる。
(関係ないけど、織田裕二司会の「ヒューマニエンス」の肛門テーマの回で、人によって肛門のひだの形が違うそうで、肛門指紋(指じゃないけど)があるんだそう。肛紋って言ったらいいのにねw)
1659年の「鎌倉物語」に建長寺の僧との情事で、江の島の淵に身を沈めた稚児が「白菊」。
江戸初期の謡曲「菊」には稚児姿の菊の妖精が登場する。
中国、周の穆王の寵童で菊水(長寿の水)を飲んで仙人になったのは「菊慈童」→能の演目や「太平記」にも載っている。
14世紀には既に少年愛にちなむ花と認識されており、江戸期には衆道にまつわる代表的な花になった。
若衆の着物にも菊が模様として描かれることが多かった。
菊の異名=ちぎりぐさ(契り草)
伝承=陸奥の国の兄弟、弟が筑紫へ行くことになり、名残惜しむ折に、兄が庭先の菊一本を二つに分け、恋しい時はこの菊を眺めて慰めにしようと提案。
弟は筑紫に赴き、その菊を植えた。菊は二つの枝に分かれて成長したが、いつも片側にしか花が付かなかった。
別れた兄弟の絆を表す→衆道の義兄弟に関連付けられた。
上田秋成「雨月物語」の中の「菊花の約(ちぎり)」
兵庫・加古川辺りの浪人学者・左門が、行き倒れていた赤穴宗右衛門を助け看病。そこから二人は義兄弟の契りを結ぶ。つまり男色の関係になる。
(赤穴ってこれまたすごい名前ですなw 宗右衛門がウケなんですかね?w)
宗右衛門は出雲の侍で、近江に出かけているうちに主人がお家騒動で転覆。
急いで出雲に帰る途中で倒れていた。そこを左門が助けたというわけ。
なので、大事な想い人・左門が出来たけど、主人のことも気になる。
ちょっと出雲に戻ってくるから待ってて欲しい。
9月9日、重陽の節句に戻ってくるからと言って、宗右衛門は出雲に向かった。
約束の9月9日、左門は菊を飾り、酒を用意して宗右衛門を待った。
しかし彼は現れない。ようやく宗右衛門が現れたが酒も飲まず顔をそむける。
どうしたんだと訊くと、宗右衛門は語り始めた。
出雲に戻った彼は、裏切った従兄弟の策略で捕まり、牢屋に入れられた。
左門との約束の日に帰ることが出来ない。それではと命を絶ち、霊となって左門に会いに来たのだった。
翌朝、左門は出雲に向かい、
宗右衛門を裏切り、牢屋に入れた彼の従兄弟に復讐する。
武士は栄達よりも信義が大事だろうと言い残し、その後はどこかに姿を消した…。
*****
ここでも菊と男色、男の固い絆が関連されてるのがよくわかります。
「菊花の約」は江戸期の作品だから、主従関係が強い衆道というよりは、普通に出会った男同士の強い絆に焦点が当てられてる。こうして男色を美徳として捉え、補強していく傾向がその頃の文化に反映されてるのが興味深い。
加えて、9月9日が重陽の節句、そして、なぜ菊を飾るのか?
これも色々調べていたら面白いんです。
まず中国の陰陽思想では奇数は陽の数と考えられます。
「9」は1~10の奇数で一番大きい、一番強い数字。
それが重なる9月9日は、逆に陽エネルギーが強すぎて不吉になるから厄払いを必要としたから、穢れを払う行事に発展した。
(他の五節句も端午は菖蒲で厄払いとか、似たような意味がある)
で、9は陽の数字。
この「陽」ってのが男性性器として意味することもあるそうなんです。
陽根:男性の性器。 男根。
女陰:女性の陰部。
陰陽思想では男が陽で女は陰なんですね。
そうなると、重陽の節句、陽を重ねる…もう言いたいことわかりますよね😉
男根を擦り合わせてる、まさに男色行為をも表しているわけです。
そしてその時期、秋に咲く「菊」。
こんなにも菊が男色と関連付けされて文化に溶け込んでいたのかと、ただ驚くばかり!!
ということで、9月9日はゲイの節句w
ではレズビアンの節句は無いだろうか?と考えると、
3月3日、女の子の節句に「貝合わせ」という遊びをするんですよね~。
ハマグリの貝殻の裏に絵を描いて、ピッタリ合う貝殻を探す遊びですが、
言わずもがな、貝=女性器 の隠喩。
菱餅も女性器、甘酒が精液、そしてお雛様とお内裏様を使って、子供へ性教育をする節句だったとも言われているそうですね。
う~ん、いろんなところに性的な意味合いが隠されていて、日本文化、なかなか奥が深いです。
ちなみに前回記事で紹介した、芭蕉が山中温泉で宿の美少年に詠んだ句
山中や 菊はたおらぬ 湯の匂
この句が詠まれたのも重陽の節句だったそうです。
次回、「梅」に続きます。
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「梅」編はコチラ↓
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