”救い”を一本化しないこと
はじめに(世界で一番好きな漫画家さん)
私は、人生でかなりの漫画を読んできたと思う。その中でも、横槍メンゴ先生の描く漫画が世界で一番好きだ。ヘッダーを見て分かるように、自室の書棚がメンゴ先生だらけになるほどである。「彼氏目線の彼女の描き方」と称される、女の子の描き方。それにより、セクシュアルなシーンが多くとも男女問わず愛されるのだろう。何より、根本的なテーマが文学的なのだ。学園物のラブコメと銘打ち連載されていた『レトルトパウチ!』も「幸せとは何か」「身体的欲求と心情は一致するのか」などといったテーマから切り取ると、とても文学的だ。
2月下旬、最新短編集である『一生すきってゆったじゃん』が発売された。
発売決定をご本人のSNSで確認した瞬間に書店で予約をするほどに待ち遠しかった。もう何周読んだことだろう。特に「Stand by you」が素敵だった。前置きがとても長くなったが、今回はその「Stand by you」について、そして彼女の代表作とも称される『クズの本懐』と共に私の話もしていきたいと思う。
(注意:ここからはネタバレを含みます。)
「Stand by you」と『クズの本懐』と私
主人公の女子高生(推定)は、学校の教師と体の関係を持っている。行為に及んでも決して避妊具をつけず、副作用がひどいと描写されているアフターピルを渡す教師。しかし彼女には彼氏がいる。彼女が様々な理由をつけても、彼女を思って頑なに避妊具をつける彼氏。
「あーあ 一本になっちゃった あたしのライフライン 目を閉じると世界は真っ暗やみで 不安で堪らないの」
彼女はその後、教師に赤ちゃんがほしいと話す。教師はこう返す。
「どっちに似るかなあ」
その後行為に及び、教師はいつものようにアフターピルを渡す。彼女はそれを飲まなかった。程なくして彼氏が教師を訴えた。彼女は妊娠した。大きなお腹に大切そうに手をあて、彼氏とキスする描写のあと、彼女はこう話す。
「かくして”救い”は一本化されたのか?『いいえ』あなたとあたし かつてそこから空を見上げた あたしは光の中を往くけれど 地獄で生まれたのだといつでも思い出せるように。」
私はここで、子供の実の父親は教師なのだと確信した。彼氏と共に歩むことを決意しつつも、教師との証(子供)を作ったのだと。
メンゴ先生はここで光の中に「行く」ではなく「往く」という言葉を用いた。「往く」という言葉は、目的しているところへ向かうという意味を持つ。つまり、彼女は「光」を歩みたい。そのために「”救い”を一本化しない」ことを決めた。形はどうであれ、何か一つのものに依存してはいけない。そう解釈した。
私は一つのものに固執する癖がある。恋人や好きな人ができたらそればかり。周囲には活発だと言われる私が持つ闇を、全て相手にぶつけてしまう。そういう恋愛はもはや「恋愛」ではなく「依存」。それを想い人がいるけれど報われない二人、麦と花火が交際をする『クズの本懐』で学んだにも関わらず続けてしまっている自分に、今作は喝を入れてくれたように感じた。
ちなみに『クズの本懐』本編最終巻である8巻の、この部分で最初に学んだ。
「麦といるのは心地良い 麦もきっとそうだと思う 私たちは誰もが持ち得る孤独の穴に相手を招き入れてずっとずっとそれから逃れようとしてきたのだから」
そしてアンコール編と銘打ち発売された9巻で、花火の幼馴染かつ長年麦を好きだったモカは、やりたいことが見つからないと嘆く花火にこう話す。
みんな何かしらの才能を持って生まれてきてるんだから 信じてやるしかないの それは才能が芽吹いてからもずっとそうよ 一生続くのよ
花火はそこに、何も才能がなかった際はと聞くと
そんな人間は居ないわ!自分を信じられない人と信じられる人が居るだけ! 才ある者の傲慢だと言って何もしない人の種は結局 根腐れを起こすわね!
これを受けて、今まで当たり前のように長文を書き連ねる自分がいることに気づき、自分の才能だと思えた。私の才能はこれだけだと感じ、磨くための努力をしてきた。ただ、こればかりに救いを求めることにも、依存のような気がしていた。
そこで、昔を振り返った。体育館1周の際と3周の際の走る速度が全く変わらなかった幼稚園時代。バスケットボールで県トップレベルの先輩方を、学校外周のランニングでだけは追い抜けた中学時代。そして、駅伝で県で区間10位以内だった高校時代を。私にはもうひとつ、才能とまでは言えないけれど、大切なものがあると思い出せた。走ることだ。
よって今朝、1時間ほどランニングをした。とても心地よかった。この情勢により溜め込んでいた毒素かつ、救いを求めるように執筆してみても取り払えなかった毒素が、体内から抜けていったように感じた。ちなみに走ることについて語った私のブログはこちら。
おわりに(メンゴ先生に愛を込めて)
才能といって、誰の前でも誇れて、頂点を目指せるものは一つしかないかもしれない。しかし、自身の気持ちを晴らせるほどの才能は、決して一つではない。私はこうして、人間関係でも、そして自身の中でも「”救い”を一本化しない」ことが達成できたように感じる。そして、そのことに気づかせてくれた横槍メンゴ先生には、感謝でしかない。これからも人生のバイブルにしたいと誓いたい。