ハートの声にしたがって生きる、とは?感じたことに不正解はない。
こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。
感情を切り口にして書くと内容がヘビーになりますね。
感じることは深い自分の領域とつながることだからかな?
写真も重めなものが増えている・・・
でも、まぁムリしてここでも明るく振る舞っても仕方ないですしね。
自然の流れにまかせましょう🎵
わたしたちは、なにかに触れたとき瞬間的に感情を感じています。
言葉にならないだけで、感覚としてとらえている。
自分の信じていること、価値観、好きなことと違えば、
ウッ・・・(-_-;)といった不快な感じが瞬間的に湧いているはずです。
逆に自分の大切にしていること、好きなことと似ていたり、
同じだったりすると、ニコ(o^^o)っと快を感じています。
瞬間的に湧き上がる感情に逐一反応していたら、
社会生活が困難になるから、大人になるにつれ、社会の一員と
なるために、感情をスルーするようになります。
子どもは、その点、正直に反応しますよね。
好きか嫌いかだけで生きている。
それが、子どもの精神発達で重要な部分だとしたら、
感情は、やはり人間の根幹に関わるものなのでしょうね。
本来、大人も、感じないようにしているだけで、
しっかりココロは感じているのですよね。
そして、社会生活の中でストレスを溜める。
だから、定期的に感情を発散させてあげる必要がある。
人それぞれ感情エネルギーの溜まり方は違うでしょうし、
発散させる必要な頻度も違うでしょう。
それが、うまくいかないと、依存性への道を歩んでしまう。
よく、「ハートの声にしたがう」と良い、「ハートで感じて」
というような言葉を耳にします。
正直、Vinoは、分かっているようで、よく分かっていませんでした。
頭が理解して、「ハートで感じる」という行為をしようと
していたなぁと思います。
「感じる」ことを「頭」で考えていました。
そうではなくて、「ハートで感じる」ことは、
カラダの反応に意識を向けることを指す言葉なのかもなぁと思います。
一瞬の感情が湧いたときの感覚を身体は必ずとらえているから。
というより、カラダが感覚をとらえなかったら、感じることは
できないですよね。
わたしは、これが好きであると、アタマで思い込もうとしても、
実はカラダは、拒否反応を起こしているかもしれません。
逆に、もうこんな自分を変えたいとアタマでは思っていても、
カラダは今までの習慣を「快」と感じていたら、そのまま
続けてしまうかもしれません。
感じることを無視してはいけないですが、
その反応にしたがうことが、すべて良いわけではないというか。
常にアップグレードが必要なのかなと思います。
自分の感覚を大切にしながら、イイ感じに社会との折り合いを
自分なりにつけていく。理性をうまく使って。
すべて自給自足で山の中で暮らしているなら、自分の感覚だけで
暮らせるかもしれませんが、社会には蓄積された社会のルールが
あるので。
とはいっても、時々、Vinoは山奥で仙人のような隠遁暮らしを
したいなぁという願望が、フッと湧いてきます。
そういうときは、周りに合わせ過ぎて、ココロとカラダが
悲鳴を上げているのだなぁと、最近、気づきました。
週休2日じゃ休み足りないよ!
カラダの疲れが全然取れないよ!
カラダが疲れていたら感覚マヒするし、
センサー狂っちゃうよ!
もしかしたら、感覚が戻ってしまったら、
今の仕事に行けなくなるのが怖くて、あえて狂わせているのかも
しれませんね(笑)
でも、そろそろ、それも終わりの時期が来て、
ココロとカラダのチューニングを始めているのかもしれません。
明日も良い休日をお過ごしください❤️
ハートの声は道しるべ。困ったらカラダに聴こう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!