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量子場の叡智とつながる〜サバイバルスイッチを切り替えよう〜
こんばんは。Vinoです。
やはり、習慣化するのに21日続けることは意味があるようです。
数字の秘密は興味深いです。
はじめましての方へ。
ずいぶん前に、知人に勧められて、「あなたという習慣を断つ」という本を読みました。先日、同じ著者の本を勧められる機会があり、ふと、また読んでみようかなと思い、家の中を探したら見つかりませんでした。
どこかで見た気がするのだけどなぁと思いながらも、Kindle unlimitedで電子版を見つけたので、電子書籍を読むことにしました。
まだ読み始めたばかりなのですが、そこに、下記のようなことが書かれていました。
生き延びることと、創造的に生きることの違い。
生き延びることとはストレスを抱え、内的世界より外界の方がリアルだという状態。真に優雅な創造の境地にいるとき、自分自身を忘れ純粋な意識体となり、外界の現実を使って自分自身だと思い込んでいるアイデンティティの鎖から自由になる。
今日、まさに、生き延びることと、創造的に生きることの違いと思える体験をしました。
先日、仕事中に大トラブルが発生しました。
取り急ぎ対処して、なんとか収束出来たのですが、今日、その話を会議で共有したところ、関係なかった人々が騒ぎ出したのです。
なぜ、この人たちは、こんなにも感情的に反応するのかと思うくらいに。
おそらく、自分のルール、正しさと反することを目の当たりにして、無意識に反応したのでしょう。そして、口々に自論を言い出しました。
あれをしなかったのか、何でやっていないのか、あり得ない、意味が分からない、〇〇の時、これは絶対必要だ、信じられない等々。
でも、なにか起きるときって、そのルール外の次元で起きているのですね。
どんなに正論を言ったところで起きちゃったことは、起きちゃったのです。
なんで防げなかったのか責められても、説明に困るのですね。
おそらく、第三者で文句タラタラ言っている人たちは、頭で何とか理解しようとしているのだと思います。頭で、納得したいのですね。
仕方がなかったことだと。決して手を抜いていたわけじゃないと思いたい。
何故なら、根底に、とても不安があるから、予期せぬ事態が起きると、自分の身の安全が脅かされるような気がして怖いのです。
手を抜いていたとなれば、自分の身にも降りかかるかもしれない。
理解を超える出来事や存在というのは、エゴの防衛反応スイッチを入れてしまいます。
だから、感情的に流せない。怖いから。
自分の安心安全な世界を脅かす異質な存在というのを人々は嫌うのです。
そして、その怖い怖い反応によって、自分たちが、今度は、そのトラブルを体験する原因を創ってしまいます。
その第三者の人々は、実際には体験していないのに、サバイバルモードになっているため、聞いただけの話にも関わらず、それを現実だと思い込んで反応する。
だけど、その人たちの内面世界は、本当は、全く無傷なのです。
一方、このトラブルを起こした超本人は、ケロっとしていました。
わたしは、トラブル起こした超本人は、ある意味、創造的な人なのかなと思いました。トラブル発生時、自分自身の制限を越え、絶対に何とかなる、何とかする!というモードになっていたのだと思います。
この本によると、真の自分自身とは、量子場につながっている叡智なのだそうです。きっと、その時の当事者と関係者たちは、叡智とつながり解決方法をダウンロードしていたのでしょう。
トラブル話を聞いても、自分に直接関係ないなら、クールに放っておくことも時には大切です。自分をそこに投影してサバイバルモードスイッチを入れてしまえば、今度は、いつか自分が同じような感情を味わう羽目になります。
なにか予期せぬトラブルが起きても、意外となんとかなります。
自分は、絶対に大丈夫だと強く信じて行動していけば、切り抜けられます。
ちなみに、サバイバルモードのスイッチを入れてしまうと、怒り、恐怖、嫉妬、憎悪のような感情を抱きやすくなるようです。そして、その状態は、身体の免疫系にも悪影響を及ぼすそうです。
わたしたちの真実は、量子場につながっている叡智。
そこを忘れずにいたいです。
本を読み終えて、理解が進んだら、またこの本をテーマに記事を書きたいです。
為せば成る、為さねば成らぬ何ごとも。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!