誰かの楽しいにも自分の楽しいにも注目していきたいね。
外に出れない、人に会えない、悲しいことで目や耳を支配されているような世の中。
たくさんの理由で、ただただ相手を思いやって祈ることしかできない新時代令和はそこからはじまったよね。
そんな作られた物語のような時代を、少し抜け出したかもしれない春。
札幌は少しあたたかくなってきたよ。
長いトンネルを抜けたあとって、目が眩んだり、どこか塞ぎがちな気持ちになる。
たとえば聞いたことのある歴史の話だと
応仁の乱で世の中が乱れ、戦がおさまったかのように見えていても人の心がおさまるわけじゃなかったんだって。
町は乱れてね、畑も荒れて食べるものもなくて苦難がつづいた。
そうなると平和だったころの日常生活を味わえることの素晴らしさを見直す必要があったんだ。
食べものを大切にし、1回の食事のために、作る方は楽しんでもらうために心を込め、食べる方も心から楽しんで味わい尽くす。
これが、質素だった精進料理を元にしたからシンプルな懐石料理を現代のように煌びやかな会席料理へと変化させていったそう。
乱れたあとだからこそ「これやってみたい」とか「楽しいなぁ」に向き合って過去を見直して新しい価値を作っていくことが必要なんだと思う。
誰かの楽しいに向き合うことが苦手だったら、寄り添う、支える、何でもいい。
どんな体験がしたいのか?
何が楽しいのか?
とにかく相手のことを考えられるようになることが必要だなとボクは思う。
そのために漫画や小説を読んだり、映画を見たり、たくさんの感情に触れる。
そうすると、全部はわからなくたって
磨いていくと侘びとか寂びとか、自然の移り変わりや人の心に触れることができるようになると思うよ。
乱世だからこそ、精神的な安定や「わかってくれてるな」と思ってもらえることが大切なんだと思う。
反対に自分のきもちも磨いていかなきゃならない。
最近話題のAIだって
何を教えてほしいのかを自分で理解して、しっかり伝えないと
黙っていても何も教えてくれない。
モノを作る、デザインをする、売れる、仲良くする、生きる。
誰かの心に引っ掛かるには、広く構えて自分の気持ちもそっと乗せて尖らせていく。肩のチカラは抜いたほうがいいけどね。
あるいは自分の楽しいに人を巻き込むっていうのもアリなんじゃないかな。
「これやってみたい!」「おもしろ!」「めちゃ楽しいよ!」が
目の前にもスマホの中にも溢れてくる時代。
みんなの楽しいにも
自分の楽しいにも注目して新しい世界を作ってね。
LINEでも伝えたけど、誕生日おめでとう。