なんか応援される人
スポーツを観ながら気づけば興奮して力が入って応援してることってある。
ふと自分に戻ってその場を見ると、髪を振り乱して聞き取れないけど大声を出しているであろう、泣いている人もいる。
まるで自分のことのように選手やチームを応援している人たちがたくさんいる。
すごい熱量がそこに渦巻いているなと思った。
仕事でもスポーツでも芸術でも応援される人が最強だと思う。
応援はすごいチカラやエネルギーを生み出すと思うし、みんなできれば欲しいと思う。
でも応援されている人を見たときに対抗心を燃やしたり、いいなぁとうらやましがったりする人もいるけど、そういう人はたぶん応援されないよね。
だから応援されている人を見たら「すごいね!」「おめでとう!」と言える人になったらいいと思う。
そしてね、ボクの周りの応援される人は「ありがとう」って言える人だ。
間違ったり、期待に添えなかったら「ごめんなさい」と言える人だったりもする。
すごく簡単なことだけどむずかしいんだよね。
言えばいいってことでもないし、きちんと気持ちを伝えるっていうのはあれこれ考えちゃうもんだから。
「なんでわたしが…」「カッコわるいしな…」とか
本当は心の中に申し訳ないきもちがあるのに、素直になれないことであとから失敗したなと思うことはボクにも山のようにあったことは伝えておくね。
「ありがとう」と「ごめんなさい」を心から言えること、応援されるために大切なこと。
応援する側のきもちになってみると、理由なんて全くないけど応援することもある。
理由をあとづけすることはできるけど、なんか応援したくなることってある。
何かしてくれたから応援するとかじゃなく、見ず知らずでも頑張っている人、正直な人や素直な人、清々しい人や元気で明るい人
なんか応援したくなる。
応援される人は、自分の生き方そのものを正直にまっすぐに大切にしてる人だと思う。
自分の生き方や行動をまっすぐに大切に進めていける人を今までボクも応援してきたし、これからもそういう人が応援していきたい人だと思う。
ボクもそうありたいし、今年はそんなことをプレゼント代わりにおすすめするよ。
応援したくてもできないこともあって、それでも想うことはします。ボクにとってあなたは応援する理由なんていらない心から大切に思う人だから。
そばで応援できなくてごめんなさい。生まれてきてくれてありがとう。
お誕生日おめでとう。