デザイナーですが介護始めることになりました。
こんにちは、ベテランデザイナーのはしあやです。
以前から、いつかはこんな日が来るかもしれないと思いつつも、まさかこんな早く実際に起こってしまうとは思っても居なかったのですが。
『老親の介護』
が現実問題としてやってきてしまいました。
この業界、「子育て中のママさんパパさん」デザイナーの話は非常によく聞きますし、ネット上でも発信が盛んです。
子育て中の方は時間のやりくりを工夫されていてとてもすごいなと思っています。
ですが、恐らくそれを発信しているのは20代30代の方が中心でしょう。
デザイナーをフルタイムでしていて、介護問題に直面しているというケースはあまりネット上には見かけません。
なぜなら、その年代となると早くて30代後半、40代や50代くらいの年代が相当してくる率が高いからとも言えます。この年齢層となると、デザイナーとして生き残っているのが限りなく減ってくる年代でもあります。
さらに、デザイナー職は在宅で行うことは可能ではありますが、納期厳守ということもあり、モノによっては一体何時間ロスしてしまうのか、何時間待ちで何時間遅れで、最終アップが何日何時なのかもずれ込む可能性が高いような案件も多々ある、そんな『厳密な時間計画を立てづらい職業』でもあるのです。
そして子育てと大きく違ってくるのが、「期間の終わりが決まっていない」ことと「どんどん育って手が離れていく子供と正反対に、どんどん弱って悪化していく親や兄弟を見続けなくてはいけないために時間も体力も時間がたてば経つほど取られる」ということにもあるかも知れません。いっそのこと、決まりきった時間で残業コントロールも可能な職種へ転職するしかなくなる場合も出てくるでしょう。
ネットで発信している間がないのかもしれません。
私の場合、今後、詰まってくる可能性も見越して動く必要が出てきました。
今まで大きな病気一つしなかった母が、癌の告知を受けました。
私の中では、父には悪いのですが、小さいながらも常に病院へ通っている父のほうが何かしら大きな病気にかかるかも、そうしたら束縛の強い父から開放された母と二人になる、そうなったら、初めて母と一緒に小さな旅行にでも行きたいな…そんな夢を描いてもいました。
子供の頃から、親は自営業で家計が火の車だったのを見てきました。
だから、自営業でもあるフリーランサー一本になる勇気は出ませんでした。
兄弟が居なくて、家では一人でした。
自営業ということで、家族で一泊しての旅行なんてものもしたことがありませんでした。もちろん、親が年老いてからも家計が火の車だった時代があることも影響して、親の年金もほとんどありません。
私が一人で全て背負うしかないのです。
田舎の場合、「市営住宅への入居」というのも、「市内で賃貸に住んでいる老夫婦の世帯」でないとなかなか入れません。その市営住宅への入居基準も、「2人以上の連帯責任者」というのものが必要であり、元々親戚の少ない我が家ではこれ自体が相当のハードルを持っています。
だからと言って、年老いた親二人と一時的にでもホームレスにすることなんてできません。(今の家は私の自己所有です)
老老介護で、一家全員が亡くなるというニュースを見るたびに、「いつか自分もこうなるのかも知れない」と恐怖におののき始めたのは、もう10年くらい前からのことでした。
本当はある程度の給与があった前職を辞めたくはなかったですし、できればずっとしがみついていたかった。クリエイティブ性はどんどんなくなっていった前職場でしたが、それでも、心を壊してでも、居続けるべきだったのではないかと今でも悔やんでいます。
あの頃の年収であれば、まだ何とか私一人でも親を抱えてもギリギリやっていけたと思います。
心折れて、改善を願い出たのが裏目に出てしまって、追い出される形で前職を辞めました。私の小さな力では、大きな組織の歯車を止めることはできませんでした。
だからこそ、この1年かけて足元を固めて、どちらへいけるかわからないけれど、できるだけのことをやっていけるように準備を整えたかった。
それには申し訳ないけれど、もう少しだけ、今年いっぱいだけでいいから母の力を借りたかった。
営業活動したり、クリエイティブの広報するための下準備時間を捻出するために、分担していた家事の一部は今まで通りの半々でお願いしていたのです(基本的には別々にしてます)。
準備がまだ整わないこの時点で、母の癌告知。
ステージは2と3の間くらいだが、深さは手術してみないとわからないと。年齢も高いので、予後がどうなるか。現状は症状も全くなく、元気そのもので動き回っている母ですが、化学療法も併用しないといけないとのこともあり、手術後には確実に障害者手帳が必要になるとも言われ・・・もう目の前が真っ暗になる寸前で、宣告から1週間は夜一人になると涙が止まらないような精神状態に陥ってしまっていました。
本当に情けない限りです。
この歳で、覚悟していたのに覚悟が足りなかった。
今後の事を考えると、震えが止まらない。
父とはほとんど母を介してしか会話してない関係性です。
どちらも無口な上、顔を合わせると喧嘩ばかりしてきた気がします。
母が万が一いなくなったら、父を支えながらは厳しいです。
朝になれば少しマシで、頑張って仕事をやっていかなくては、と切り替えはできていますが、この事情を伝えた会社から、全然違う(クライアントの意向がよく分からなかった)案件で先方の意向に合わないデザインを提出してしまった折りの先方からの大クレームに「精神状態が安定していなくて作れないならしばらく休んでもらって構わない」と言われてしまったのもショックでした。
きっと、若手ならこんな事態にはならないのに、なんてことも思われてしまっていたかもしれません。
数年前から、母から言われていた言葉。
「孫の顔が見られなかったなぁ」
「一人ぼっちにしてしまうのが心のこりになるから、誰かいい人いないの?」ちょくちょく言われていましたが、私はそれよりも生活をどうしていくかの方に気を取られていました。そもそも年齢的にも難しいリクエストですから。
クリエイティブを純粋に楽しんでいる、キラキラした20代30代の方たちと比べて、泥臭い事がまっさきに頭によぎっているのはクリエイターとしては、失格なのかも知れません。
ですが、依頼して頂いたお仕事に対しては、全力で何がクライアント様にとって一番になるのか、どうしていく事がクライアント様のプラスになるのか、そういった付加価値を優先的に考えて取り組んでいます。逆に、自分が楽しむことは一切考えてなかったです。
ワクワクしたり、楽しんだりはお客様側にしていただくことであって、自分がそうなるのはあくまでもただの付加価値ではないか、と思ったこともありましたが、若手クリエイターさんには全力で否定されて凹んだことも。
これから、時間の調整も付きづらいのではありますが、もっともっと在宅での個人仕事を増やしていかなくてはいけません。物入りになるので。
営業活動もままならない状態の今なのに、どうやって行けばもっと在宅での仕事を獲得していけるのだろうと頭がいたいですし、それ以上に母の容態は今後どうなるのか、上手く治療が進んで行ってくれるのか、旅行できるくらいには回復してくれるのか、奇跡が起こって私が母に花嫁姿を見せる日が来ることがあるのか・・・最後のは母に諦めてもらうにしても、なんとかもう少しはクリエイターとして仕事をしっかりやっていけてるから、安心して闘病して頂戴と言えるようにはしなくてはいけないと思っています。
ただ、キラキラした希望に満ちているクリエイターだけではなく、世の中のにはもっと他の部分で苦労しているクリエイターもいるってことを、心の片隅にでもいいので置いておいてください。
もう少し落ち着いたら、他のnoteの続きや発信を行いたいと思いますが、申し訳ありませんがしばらくお待ちください・・・。
いいなと思ったら応援しよう!
![しぐさん](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/107611645/profile_d8ba38a7c5090c87bc44e17a739f1b5f.png?width=600&crop=1:1,smart)