『ミリオンダラー・ベイビー』といまの私。

いま猛烈に眠いけれど、折角始めたnote。どこまで毎日書き続けられるか試してみようと思って、とりあえず書き始めてみた。

今日一日何をしたか思い出そうとしたものの、「何かに追い立てられていた」という感覚しか出て来なくて、具体的に何をしたかが思い出せない。たぶん何もしなかったのだろう。

あ、そう言えば、朝9時に、J:COMの人がチューナーを新機種と交換してくれて、それがきっかけとなって、これまでネット接続しか利用していなかったJ:COMのオンデマンドで、イーストウッド監督『ミリオンダラー・ベイビー』を鑑賞したのだった。

『ミリオンダラー・ベイビー』は2004年の作品で、アカデミー賞作品賞を受賞している。私はイーストウッド監督は大好きで、いろいろ観てきていて、本作も観たように思っていた。しかし、何気なく観始めたら一気に引き込まれ、またラストを完全に忘れていたこともあって、一気に観てしまった。主人公のヒラリー・スワンクが本当に美しく、その優雅な舞のようなボクシングシーンを観ているだけでも十分幸せだが、それを上回るドラマが待っていて、あっという間の133分だった。未見の方には強くお勧めしたい。

本当は仕事をするつもりだったのだが、「何かに追い立てられている」という焦燥感に駆られているときにこそ、こういう時間の過ごし方が大事かも知れない。

この焦燥感の源は大学の遠隔授業だ。私は学生さんが少しでも飽きないように、自分のコネクションを駆使して、私なりに豪華なゲストスピーカーを招いた(Google Meetでつなぐ予定を組んだ)。しかし、これに対して、大学の事務部からは「ゲストスピーカーは認められない」と回答があり、正直がっかりした。新型コロナ下の非常事態なのにという思いに囚われ、私の努力が認められないことに落胆した。

『ミリオンダラー・ベイビー』には、白人の運動神経がからきしない、もやし少年が、貧困から抜け出すために、必死にジムに通うエピソードが挿入されている。ヒラリー・スワンクがボクサーの才能のかたまりで連戦連勝を重ねるのと対照的だ。そんなもやし少年を、黒人のワルガキにリングでぼこぼこにする。割って入ったジムの小間使のモーガン・フリーマンは、血だらけのもやし少年を「人生負けるときもある」と励ます。その言葉は、いまの自分に向けられているようで、ぐっときた。

いまのところ、大学は私の遠隔授業の工夫を評価してくれないけれど、ひょっとしたら私の動画を評価してくれて、常勤で雇ってくれる大学があるかも知れない。そして、とにかく学生さんの役に立つことを最優先に考えよう。明日は60分の講義動画を撮影し、YouTubeにて公開配信するつもりだ。正直こんなことを15回も続けられるか自信がないが、何とか乗り切ってみようと思っている。

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