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Never short a dull market(仮)

母の生年月日はふたつある。

昭和20年2月と8月。産声をあげたのは満州北部の凍える寒さの季節のことだったが、内地に戻り後年戸籍を作成する際に登録されたのは何故か8月だった。

このことを初めて母から聞いたのはおそらく20年以上前、こちらが大学生の時分だったように思う。
いわく母の父は実の父ではないこと、実の父は開拓民として満州に渡ったこと、そして敗戦後の満州を生き延びたものの日本への帰還船を待つあいだに亡くなってしまったこと。
そのような話を何かの機会にしてくれた。

いや、実の父が別にいたことは、昭和が終わり平成が始まった年に知っていたはずだ。
こちらが中学生のとき祖父が亡くなった際の葬儀で、あの写真の人が実の父で、祖父はその弟さんなのだと聞いた記憶はある。

その写真の人のことをここでは「祖父X」と呼ぶことにする。

祖父Xはね、16くらいの年に「まんもうかいたくしょうねんぎゆうぐん」に入って、渡満したらしいの。
農家の長男だったのに。
ぎゆうぐんの訓練所がね、茨城の「あいはら」ってところにあって、その施設がいまも残っているって新聞で読んだんだけど、そのうち行ってみたいと思ってるの。

母がいくぶん唐突に話を切り出したのは令和5年の初夏のことだった。

調べてみると、かつて水戸市内の「内原」という地域に満蒙開拓少年義勇軍の訓練所が存在し、現在は行政が当時の訓練所や義勇軍の歴史を伝える記念館を運営しているらしい。

数日後、本格的に暑くなる前に記念館に行かないかと母に連絡した。午前中から外出することが苦手な母はやや逡巡している様子だった。
この機を逃すとたぶんこの話はなくなると思い、気分が乗らなければ当日キャンセルしてもいいからと水を向けると、ようやくその気になってくれた。

6月某日、10代半ばの祖父Xが一時期過ごしたであろう場所を母とともに訪れることにした。