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「おばあちゃん」じゃない。

祖母と、とある日の写真を眺めていた。
山の間から昇った太陽の光に向き合って、雲一つない青空と紅葉しかかっている緑を眺める祖母の写真。
あの時、朝の澄んだ空気を突き破るような子供たちの笑い声がしていたことを思い出す。

「これ、すごくいい写真でしょ。ばあちゃんを盗撮したの。」と言うと、
「あら、いい写真ね。どうやって大きくするんだっけ。」と祖母が言う。

齢90を過ぎた祖母、スマホの写真を拡大できることを最近知ったのだ。
とはいえ、普段はタッチペンを使って操作している中、親指と人差し指で画面を拡大するのは至難の業。

「んー、やっぱりばあちゃんには無理だわ。」

何度か試しても拡大できないことにがっかりする祖母の声。
ひとたび「できること」を知ると、それをできない自分に出逢った時、そのがっかり感はより際立つものだ。
祖母にできることは自分でやってもらうことをモットーとしている私だが、こればかりは厳しいかと、代わりに親指と人差し指で画面を拡大する。
すぐに拡大された写真。

「あら、大きくしたら、私おばあちゃんみたいじゃない。
 拡大しない方がいいわね。戻して。」と祖母が笑う。

いやいや、あなたはおばあちゃんだよと突っ込みたくなるところだが、
90を過ぎても自分を「おばあちゃん」だとは思っていない祖母は明るくて無邪気だ。無邪気だからこそ、たまに意地悪に聞こえることを言っても憎めないのが悔しい。

私のおばあちゃんだけど「おばあちゃん」ではない、
真っ赤なストールを肩にかけて、朝の光を浴びる姿は美しかった。

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