病室にて
もう履かないジーパンとか、昔乗ってたポルシェのキーホルダーとか、実家の寝室は父のもので溢れていた。薄情にも私はまだ生きている病床の父を前に、リサイクルショップに持っていくものと処分するものを脳内でふるい分けていた。
実家の車は売りに出し、乗っていた250ccスクーターも私が引き取ることになった。父のキーケースから一つ一つ鍵が消えていく。もうこれしかなくなっちゃったな、と手元に残った家の鍵を握りしめて、父はそうつぶやいていた。
春頃から父の容態は転がるように悪化していた。正月にカツ丼やら蕎麦やらを美味そうに食べていたのが嘘のように、蒸し暑さを感じるようになった5月頭には、錠剤を飲み込むことさえ難しくなっていた。
癌は確実に広がっていた。治療の施しようがなく、食べられなくなってからは点滴と痛み止めで毎日を凌いでいた。骨と皮だけの体で数歩歩いては膝に手をつき苦しげにしていたので、夏前に秒読みといったところで入院を勧められたのだった。
入院して早二週間。最初は震えたように「帰りたい」「病院を変えたい」などと弱気なことを漏らしていたが、今はもうそんな気力さえ見られない。
癌は喉の部分にも転移し、呼吸状態が悪くなっていて、次に訪れた時には常に酸素マスクをつけるようになっていた。呼びかけにもほとんど応じない。
ひとりきりの病室で、ただミンミンと鳴く蝉の声に包まれながら苦しげに両腕を上げて喘ぐので、看護師さんに痛み止めを打たれる。「あまり頻繁に打つと呼吸が苦しくなりますがいいですか?」と申し訳無さそうにするその顔に、なぜだかこちらが申し訳無さを感じる。それでも痛みが少しでも楽になるならと手を握ってやるが、くたりと曲がった指は白い。いつの間にか、私の手を握り返す力さえ癌に奪われてしまっていた。
父はもうじき息絶える。刻一刻とその時を待つだけのこの時間が、本人にとっても、私たち家族にとっても耐え難い。
人は簡単に死ねない。苦しまず、なんの痛みも伴わない死を迎えられる人は、ほんの一握りなのかもしれない。
クーラーの効きすぎた病室で、そんなことばかり考えていた。