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ディベート=論破?ディベートの誤解4個を解決(前編)

ディベートにネガティブな印象あり。論破じゃないのに、それをわかってらえないで悔しい悲しい…そんな人に対して、これを読めばもう自信をもって答えられるという記事を書くことにした。

読む前に2点だけ注意:
1.執筆者自身が正しいと思うことを書いています。絶対に正しいということを証明することはできませんが、それはどんな主張でも同じこと。究極、受け取り方は自由です。
2.あんた誰やねん、て質問はしないでね。私自身が信用に値するかではなく、記事の内容を読んで、意見が納得できるかで判断してください。

まずは今回考えていくディベートにまつわる誤解は以下の4つ。どれも、完璧に答えている人を見たことがないので、完全にオリジナルで私なりに正しいと思うことを書いていくね ♪

1)ディベート=論破?
2)ディベートとディスカッションは完全別物
3)ディベートは多数の結論があるものには適用できない
4)感情は役に立たない

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1)ディベート=論破?

 「ディベートは論破すること」という考えや、逆に少しディベートを知ってる人から「ディベートをきちんと学べば、論破することはしない。」という趣旨の主張をたびたび目にする(写真参照)が、これらはどちらも間違いである(ズバッ)。先に私がこれから述べる文章の結論から言うと、ディベート=論破ではないが、ディベートにおいて「論破」することは、条件付きで、一つの有効な手段である。ただし、ここだけを切り抜いて理解せず、正しい意味で「ディベート」と「論破」をとらえてほしい。

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 まずは「ディベート=論破」という命題を理解するところから始める。ここでは、みんなが抱える「論破」に対する嫌な感覚も同時に解決したい。
 まず、ディベートというのは、ある命題において結論を二項対立に分け、二つの意見群を戦わせる「議論形態」である。簡単に言うと、YesかNoで答える質問を用意して、どちらを選ぶべきかという意見を戦わせる方法・概念である。主に一般の人が携わるディベートの目的とされているのは、2つの結論のどちらを選ぶべきか、第三者的観点を説得することである。例えば、肯定側と否定側にわかれて、どちらにも所属しない聴衆を説得することを目的とするものがあげられる。他には、必ずしも複数人で議論を行う必要はなくて、一人で買い物に行き、この服を買うべきか・買わないべきか、意見を戦わせて、その意見を比較して結論をだすのもまた、ディベートである。
 対して論破は、A)議論をして相手の説を破ること・B)論を以て相手を言い負かすことだ。AとBの違いは「相手の説」を破るか「相手そのもの」を破るかの違いで、論破という言葉を聞いたときにまず明らかにしなければいけないことは、どちらの意味で使われているかを正確に読み取ることである。多くの人が考える論破は相手そのものを負かすという意味だと思うが、今回はどちらの意味であったとしても、分かるように説明するつもりだ。
 ここまで理解できれば、なぜディベート=論破ということに誤りがあるか、次の4行で説明しよう。

結論:そもそも名詞としての分類が異なるためイコールで結べない。ディベートとは、議論形態という「概念」を示す普通名詞であるのに対し、論破は「行動」を表す動名詞である(詳しくは注1)。「ご飯(普通名詞)=食べること(動名詞)」言わないでしょ?それとおんなじ。

これだけだと、じゃあ「ディベートをすること=論破(どちらも動名詞)」ならどうなん?って思う人が出てくるかもしれない。妥当な疑問だ。先に私なりの見解を述べると、論破することは、ディベートをするときに使われる一つの手段として、有効な場合があるが、ディベートをすること=論破ではない。

これは、論破とディベートをする目的を考えることで理解できると思う。(ここから目力MAXで読んで)

A:論破の目的
 論破というのは、言葉通り、相手の説・相手そのものを打ち負かすことが目的とされた弁論の手段である。ここでは、いかにして第三者を説得するかではなく、いかにして相手(の論)を上回るかに焦点がある。マラソンで例えると、いかにして最高記録を目指すかではなく、いかにほかの参加者に勝つかに焦点があるのと同じ。ほかの参加者に勝つことができたら、1秒差でも5分差でも目的は同様に達成できる。

 多くの場合は、論破は狭義に、相手の論の脆弱性を指摘し、相対的に自身の合理性を示唆する「反論」と捉えられるため、追加でディベートに求められる立論は、含まれない。ただし、広義には、相手の論を上回ることが目的なので、立論も含まれるのでできるだけ広義の意図でここでは扱うことにする。さらにここからは、論破が広義の意味でつかわれていたとしても、「ディベートの目的とは必ずしも一致しない」ことを示す。

B:ディベートの3つの目的
 i) 「二つの対立する意見の中で最適な結論を第三者視点から考えること」が目的の場合は「論破」は意味をなさない。どっちの意見が勝ちか、負けかが重要ではなく、最適な答えを導くことが目的だからだ。イメージとしては、マラソンで言えば、最高記録を出すことが目的であり、相手に勝って優勝したからと言って達成されるものではない。例えば、会社において、ある入社希望者を採用するべきか採用するべきでないかというディベートにおいて、求められる結論はどちらの話者が論をうまく組み立てられたかではなく、究極に論を詰めた後で、どっちがいいかという考慮の下に最適な結論を導くことである。ほかにも、深夜におなかがすいて、「ラーメンを食べるべきか・食べないべきか」考えたときに、どっちの意見が勝ちとか負けとか、論理性を争っているわけではなく、自分にとっていい結論が導ければいいわけですよね。

ii) 人や場面によっては「ディベートを通して役に立つスキルを学ぶ・知識を得る」目的があげられる。この場合、各お題について最適な結論を導く必要はなく、重要なのは、考える能力と話す能力を鍛えることやお題についての知見を広げることが目的である場合が多い。まれに、言語や語彙を学ぶためにディベートを行う人もいるがこれらは一つのスキルに含まれるとして、この分類に当てはまる。マラソンの例に倣うと、マラソンを通して、心肺機能を鍛えることが目的であったり、姿勢矯正、マラソンコミュニティーとの交流など、いかに相手に勝つかという目的とは違うところに目的がある、といった感じだろうか。
このカテゴリにおいては論を学び、述べることは有効であって、「論破」の結果、相手に勝つということは目的ではない。「論破」はスキル向上のために行ってもよいが、あくまでその結果ではなくプロセスに焦点が置かれた目的であるといえる。

iii) 最後のディベートの目的として、「相手との相対関係において、どちらが人を説得することができるかを競う」場合がある。これは、一般の論破のイメージと近くて、敵に勝つ走りができれば、目的が達成されることになる。例えば、競技ディベートは相手に勝てば、どの程度上回っていたかにかかわらず勝ちは勝ち(注2)。大統領選挙前のディベートでも相手よりも一票上回れば勝ち。このように、意見対立の結果、勝つことを目的として行われるディベートがこれに該当する。ここでは、「論破」の役割は、相手の論の脆弱性を指摘したり、相手よりも説得性の高い弁論を行うことで、自分たちのほうが比較的合理的であることを示す一つの手段である。大統領候補者ディベートなどでは、どちらの政策が良いかという予想する結果だけでなく、どちらの人間がいかに論を組み立てられるかという人を評価する、相手(の論)よりも少しでも合理的に”見せる”ことができたら、一つの成果だといえる。また、競技ディベートにおいても、何もかも完璧に証明しないと勝てないわけではなく、対戦相手よりも比較的に合理性が高いと判断されれば勝利する。つまり、競争の指標としてディベートを用いる場合は、相手の説を反証することで優位に立とうとしたり、相手の脆弱性に付け込み、総合的な論の合理性で上回ったりすることを目的とした論破は十分評価に値するのである。

 ここで論破が手段の一つとして有効であると述べたのは、競争の手段として論破がディベートの手段の全てではないからである。論理だけでなく、適切な言葉の選択によるより分かりやすい考察や、落ち着いたふるまいにより説得的に”見せる”技術、ユーモアの聞いたスピーチで魅力することで場の雰囲気を作ることも、時には人を説得し競争に勝つための手段であるし、手段は山ほどある。つまり、論破はディベートを競争としてする条件で有効な一つの手段であり、「ディベートで競争すること⊃論破」であるがやはり「ディベートすること=論破」ではない。

 重要なのでもう一度まとめると
・正しい「論破」の解釈は2種類のとらえ方がある。
・ディベートには3種類の目的がある。
・ディベートの目的の競争の場と考えたときのみ、論破は有効。
・ただし、「論破=ディベート」でもなければ、「論破=ディベートをすること」でもない。あくまで手段の一つである。

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2)ディベートとディスカッションの違い

 しばしば、「ディベートとディスカッションは別物ですよ」って言葉を見かける。結構ディベートを少しかじった人は、こう言いたくなるのも無理はない。私の理解は少し異なる。結論から言うと、ディベートはディスカッションの一形態である。

 言葉の定義を考えるとこれは簡単に理解してもらえるのではなかろうか。どちらも外来語なので、英語の意味をコピペ。

ディスカッション:The action or process of talking about something in order to reach a decision or to exchange ideas.(訳:決定を下すことや、意見を交わすことを目的として話し合う行動・過程。引用1)
ディベート:A regulated discussion of a proposition between two matched sides (訳:論題に対して二つの相反する立場で行われる整理されたディスカッション。引用2)

 これでクリアだと思うけど、ディベートでは相反する立場から、意見を交わす行動を行っているわけだから、ディスカッションの一つの形態である。ディスカッションのディベート型ではない例には、2項対立で答えを探すことができないお題を話す場合や、必ずしも人を説得することが目的ではない場合なども含まれる。例えば「好きな食べ物とその理由は?」とか、「ごんぎつねでゴンを銃でうった兵十は死体を見てどう思っただろう?」とか。

「ディベートはディスカッション(の一形態)である」が、「ディスカッションはディベートではない」というのが私の理解である。図で書くとこんな感じ。ちなみに論理学的に記述すると「ディベート⊂ディスカッション」。

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 二つ目は以上。ディベートとディスカッションの正確な意味と、理解が広まったらうれしいです。まあ、辞書が絶対に正しいか、私の解釈が正しいかという疑問は、もちろん存在するから、ご自身でもう一度考えて、自分なりに理解してみてください。

前半はここまで。後半では、特に競技ディベート経験者が陥る「ディベートはゲーム」という誤解や、ディベートにおいて「感情は役に立たない」という誤解について紐解いていこうと思う。

Rubinより♪

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(注1)語源的にはDebateは、ディベートをするという動詞からきている転成名詞だが、一般にディベートというのは「ディベートをする行動」というより、「ディベートをする環境や、その議論形態・概念」のことを言う。したがってここでは普通名詞的な意味で用いられる転成名詞として普通名詞という言葉を用いた。

(注2)競技ディベート、選挙、テレビの討論においても、スキル向上を目指している人や、最高の結論を得ることを目的としている場合もある。また、競技ディベートでは、勝つだけではなく、個人のスピーチがどれだけ説得力があるかという評価もあるため、今回本文で述べたものはチームとしての勝ち負けのことを述べている。

引用1:ディスカッションの定義 https://www.google.com/search?q=discussion+meaning&rlz=1C1CHBF_nlNL953NL953&oq=discussion&aqs=chrome.0.69i59j69i57j0j0i20i263j0j69i60l3.2455j1j4&sourceid=chrome&ie=UTF-8
引用2:ディベートの定義 https://www.merriam-webster.com/dictionary/debate

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