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もし死ぬ日がわかったら?余命特定と人の行動を思考する。

もし自分がいつ死ぬのかわかっていたら、人々はどのような行動をとるのだろう。死に方はわからないが、日にちだけはわかる。そんなファンタジーの世界みたいな想像を膨らませて、考えを巡らせる。

苦しい、あつい、けど幸せ。料理中に特に手伝いはしないけど、後ろから小腸をつかむくらいの勢いでギューっと抱き着いてくる、尊い人間。いや、コメだけ研いでって言いたくなることもあるけど、このデフォルトのポジションも愛を感じるので、なんだかんだ僕が全部やる。料理中はなぜか僕たちはあんまり会話をしない。自分の好きなことをやりながら、料理を作ったり、できるのを待ったり。だから僕にとっては、料理の時間は、思考の時間でもある。自分の世界に入って深く物事を考える。今日は、彼女が片腕で抱き着きながら、携帯を片手に小さな音でK-popのミュージックビデオを見ているこの時間に、ふとこんなことを考える。

■前提

まず議論の前提として、3つのことを仮定する。
a:死を迎える日はわかるが、死に方についてはわからない。
b:死を迎える日はわかるが、死を避けることはできない。
c:特別高価な技術ではなく、誰でもが使うことができるが使うことは強制はされていない。

この技術が存在し、人々が使うことで死ぬ日がわかる世界は果たして良いものなのか考えていく。もう少し詳しく言うと、この仮想世界と現在われわれが生きているこの世界を比較しながら、その良し悪しを考えていく。

よし、これで野菜洗って切っていくよ。ちなみに彼女はまだ背中に引っ付いてる。レシピは、鍋に野菜と肉を入れて少量のブイヨンで味つけする簡単な手順。料理が終わる前に思考を深めなければ、手を拭きながらモードに戻る。

余命がわかったらその行動の取り方がそれぞれ異なる、今回は次のようにグループ分けをする。
1) 余命がわかっても何も変わらないグループ
2) 余命がわかったら良い行動が増えるグループ
3) 余命がわかることにより悪影響を受けるグループ

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1) 何にもしない。受け入れる。

多くの人にとって死は遠い未来にあるもの。人はいつか死ぬものだっていう事実を受け入れるしかないって人も結構多い。おそらくこの人たちにとって、死ぬ日がわかろうがわかるまいが、特に生活や考え方に影響はなさそう。影響がない以上、いいも悪いもないね。

2) 良い行動が増えるグループ

死ぬ日がわかったら、残りの時間の有効な使い方を考え、比較的よい行動をする人が現れるだろう。

A:よい行いが増える。
「人生が終わる前に何か成し遂げたい」、「生きているうちに良い時間を過ごしたい」と考える人は多い。でも実際にはいつ死ぬかわからないから、ベッドでダラダラしてしまったりする。明確に余命を意識する世界では、同じ時間でも、知識を後世に伝えたいとnoteを書いたり、人を感動させるために音楽の腕を磨いたり、背中に引っ付く彼女を笑顔にするためにちょっとだけ料理を勉強したりする。このように、死ぬまでの時間が正確にわかり、それを意識した生活をすれば、少しずつ良い行いをする人が増えるだろう。

B:悪い行動が減る。
逆に悪い行動をする人達が減るというのも考えられる。例えば、刑務所に3年入るいうのは、人生の終わりが見えない状態であれば大したことはなく聞こえるかもしれないが、あと30年しかないとわかっている人が、そのうちの3年を刑務所で過ごさなければならないような行動をするだろうか。残りの時間が限られていることを常に意識させられる状況では、わざわざ悪行を働くことは考えにくい。

3)悪影響を受ける人たち

一方で余命がわかる状況は悪い影響を与える場合もあるだろう。ここでは2つの要因を考える。

A:死ぬ日がわかる事で空回りする。
2Aで述べられた、「何か成し遂げるために行動する」というのは、成功や良い結果を求めてのことだろうが、うまくいかないと余計なプレッシャーに苛まれることも想像がつく。例えば、テニスを始めて「楽しいんだけど、強くはなれてない」と感じると、本当にやってて良いんだろうか、他に「成功」するものを求めるべきではないかという苦悩に悩むとか。彼女の例にしても、もし喧嘩してしまったら、「無駄な時間を過ごした」とか「常に幸せでなければならないのに今そうでもないかも」という関係性を常に疑いながら生活する人もいるだろう。自身にプレッシャーをかけたり疑いをかけ、結果的に余命を知らなければ、得られただろう幸せを逃しているのだ。

B:余命が短い人に不利益。
余命が短い人にとっては生きにくい社会になるだろうなぁ。余命が残り5年の人と長期的な恋愛関係になりたいとはわざわざ思わないだろうし、就職においても、余命がバレたことによって何かしら言い訳つけて落とされるなんてこともあるかも知れない。いずれにしても、余命が短いがゆえに、人間関係を構築する最初の段階で大きなバリアを負わされることになる人はたくさんいるだろう。

休む暇もなく一気に野菜も肉も鍋にぶち込んだところで冷蔵庫に作り溜めしてある自家製ブイヨンを入れて後は味がつくのを待つだけ。ふぅ、ひと段落。

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■この話の受け取り方

どんな技術でも、進歩によりもできることは増えるけど、それが人々を幸せにするかはわからない。人間のクローンだって作ろうと思えば作れる。少子化もこれで終止符を打てるかも。でも、よし悪し両方の考慮をして、そのバランス次第で許される技術もあれば許されない技術もある。僕の考えるプロセスを示したこの文章は、正解でもなんでもないが、こうやって一つの事象に対し、いろんな面を見るのは面白い。しかも、思考は無料だ。今回は、死ぬ日がわかることで、経済的な不安が減るとか、心理的に死をより受け入れることができるとかは含んでいないが、

ところで、いつの間にかハグの締めは弱まり、K-popの音楽はもう聞こえなくなっていた。その代わり、スースー…って、よく見えないけど、ちょっとだけ服によだれまで垂らしてるような…ま、好きだからよし。できた料理も冷めないように、アルミホイルで覆っておくね。


Rubinより♪
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