「憲法で決められてるから」ってのは理由にならない

議論するときに、「それが決まりだから」とか「憲法で決められてるから」ダメ!という主張を耳にすることがある。

髪を染めることは校則で禁止されているからダメ。
契約で禁止されているから副業はやってはダメ。
法の下の平等は憲法で決められているから、不平等な人の取り扱いはダメ。

みたいな主張聞いたりしません?今回は、議論において「○○は決まりだからOK・NG」というは主張として有効なのかを考えていく。

記事の読み方について注意:
1)Rubinの個人見解です。絶対的な考えはないし、字数的にもすべてに当てはまるかどうかは検証していません。ご自身で判断お願いします。
2)Rubinが誰か、どんな人か、というのは関係ありません。誰が語っているから信じる・信じないではなく、一意見として評価をお願いします。

先に結論を書くと、最後まで読まれないんじゃない?と思う人がいるかもしれないけど、それよりも、美しい文章構成を追い求めるために、ここに結論を書く。「物事の本質的な是非を考える議論においては無効」読んでいけばわかるように次のように説明しますね。

1)なぜ無効なのか

仮に「人を不平等に扱うことは許されるべきか」という議論があったとして、「憲法で法の下の平等が保証されているから、不平等な人の取り扱いは悪い!」という主張を述べる人があったとしよう。この主張、実は論理的に間違った文章校正である。

憲法が言っているから悪いのではなく、悪いから憲法に載っているのだ。「憲法はなぜ人々は平等でなければならないと定めているのか。→憲法を作った人が不平等な取り扱いは悪いと考えたから。」これなら筋の通る推論だろう。

つまり、不平等な扱いが悪い(と思った)から憲法に記載されただけで、憲法に書かれているから不平等な扱いが悪い、ということは本質的に不平等な扱いが悪いかどうかということを述べる論理として成立しない。

異なる例で説明すると、さらに、よくわかってもらえると思う。香川県の条例で、18歳未満のゲームは1時間以内(正確には引用1)という条例が一時物議をかました。多くの批判が及んだように、条例が述べているからといって、ゲームを1時間以上することが悪いかどうかは不明である。ゲームを一時間以上することの本質的な善し悪しは、条例が定めているかどうかにかかわらなず、別の理由に基づいた主張を要するものなのである。

他にも、校則で髪を染めることが禁止されているからと言って、学生が髪を染めることが本質的に悪いかどうかは、その校則ができる前に話し合われたのと同様にして話すことを求める。

2)では「決まりだから」はいつ有効なの?(議論とルールの運用の違い)

題名をそのまま受け取った人は、作者は「決まりだから」という理由を完全否定するのかとお思いかもしれませんが、実はこれが理由として成り立つ場面もあるのです。

「決まりだから」という理由が理由として成り立つのは、ルールを運用する行政的な手続きにおいてです。例えば、会社で副業禁止されているから、副業がバレて処分を受けた場合、処分を受けるというのは作業であって議論ではない。したがって本質的な副業の善し悪しに関する議論を持つまでもなく、減給されたり、解雇されたりする。

警察による法律の運用により、道路脇でウンチをしている人が取り押さえられた場合、そこは道路脇でウンチをすることの正当性を議論する場ではなく、単純にルールを運用する場なので容赦なく捕まる。

これらのことからわかる事は、物事の良し悪しについての議論では「決まりだから」という文言は意味をなさないが、ルールの運用を目的とした行政・手続きでは議論はそもそも起こらず手続きとしての行動が行われるので、ここでは「決まりだから」がまかり通る。

3)ここから何を学ぶか

「議論」を行う際に、「ルールだから」という主張はしないようにしよう。同性婚や夫婦別性が認められようとしているときには、その本質的な善し悪しを話しているのであって、現状の民法どのように定めているかどうかは関係ない。他の法律が邪魔しているのなら、それも含めて改めれば良いだけだ。

もう一つは、決まりを作る際は慎重になる事だ。社内のルールでも、友達との約束でも、条例や法律のための政治家選び、憲法改正時の国民投票など、決まりを決めるときにもっとも慎重に考えないと、一度間違ったルールを設定してしまうと、それを運用するときにいちいち本質的な物事の是非を話し合う事はしてくれない。簡単に後戻りができないルールの設定には、とことん議論を行い、最適案を適応するように心がける。それが納得のいかない「決まりだから」論を減らすことにつながる。

Rubinより♪


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