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人のふり見て、ほんとそう

久々に仕事でやらかした。
仕事というか、仕事の人間関係で。

世の中には激情型の人がいるということをすっかり忘れていた、というか幸いなことに弊社にそういう人種の人があまりいなかったため平和ボケしていた。

ざっくり言うと私の仕事の振り方で一社員Aを怒らせてしまい、Aが私の知らないところで大暴れしてしまったらしい。大暴れて。まぁ憤慨して色んな社員に当たり散らかした、そうだ。

原因を作ったのは私だけれど、その人じゃなかったら大ごとにならなかっただろうと思える、いわゆる大したことではないし、そのことを知った時は多いに驚いた。
大暴れの被害者となってしまった社員の皆さんからは「気にしない方がいい」と多いに同情された。
当たり散らかされた、社員の方には申し訳なかった。

世の中には色んな人がいる。色んな人がいるということを知っているのに、身近にいないと忘れがちというか、本当の意味では理解できないもんだなと思った。

これを社員Aのせいにして終わることもできるけど、私に非がなかったかというとそうでもない。もちろんそう。
仕事の振り方というか、社員Aへ気を回しておくべきだった。
これはあなたには関係のない仕事だからこの仕事には入れないね、というのをとてもマイルドに伝えるか、本人に委ねるべきだった。

言い方が偉そうに感じるな。「社員の方には申し訳なかった」、まさにAに対しては申し訳なさを本音では感じていないからこそ出てくる言葉だ。生来、私はそこそこプライドが高い。

10代の頃から、陰キャであまり目立ちたくないし大人しそうな顔をしているくせに(顔は仕方ない)、他人に自分を傷つけられたら絶対に仕返しをしてやるという後ろ向きに前向きな意志をもっている。
なぜこの自己肯定感を育めたのかはわからないけど、結局は親かな。厳しくも可愛がって育ててもらったので。

それはともかく、そういうパーソナリティが今後折を見るごとに無意識に人を傷つけたり怒らせたりして、些細なことが大ごとになってしまう可能性があるなと、齢30でようやく理解した。

いや、実際のところこれまでも大なり小なりあった。
大学生の頃、後輩に「●●さんはものを口に出す時に一旦よく脳内で考えたほうがいい、それが正論だとしても」と言われたことがいまだに胸に深く刺さっている。

それ以降は多少マシにはなったかもしれないけど、でも失言が理由で友達を失ったこともあったんだった。
ずっと辛くていまだに夢に出てくるくらいだけど、それもまさに私の深く考えないで発言した言葉が原因なんだった。

人のふり見て我がふり直せという言葉がある。
人に欠点を見つけた時、では自分には欠点はないのか?というと、ないわけがない。まだ私はそこまで偉いこといえる人ではない。
何か腹が立つ出来事があった時にそれを表に出していないか?いや、わりとストレートに感情を出す方である。

いい加減落ちつきたいし、もっと本当の意味で冷静になりたいし、なりたいというかなるべきなんだ。

孔子曰く、立派な人間とは、
「めちゃくちゃ大変な時にうろたえない人」だそうだ。(コテンラジオより)

今回のエピソードと繋げるにはかなり強引な気もするけれど、大変なことが起きた時に狼狽えない人というのは確かに結構少ない。
感情に左右されがちだし、でも感情に左右されていいことなんて、あんまりないよなと。
難しいことだと思うからこそ、意識していかないと一生このままだな、と思った。

社員Aを非難する前に己を省みるべきだと思ったのでこの文章に表明と共に反省してみた。

今回の件と全然関係なく帰り道に聴き始めたコテンラジオ、面白いです。

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