自分に飽きた

 この名前もう全然自分の感じがしないから、もう使わない。今年手伝いに行く映画があって、その界隈ではこの名前使ってたから現場を混乱させないために継続するけど、これが終わったら終わり。ENBUを卒業して1年経った。経済的にも、精神的にもようやく落ち着いた。ENBUでの1年の「学生生活」はめちゃくちゃに楽しかった。楽しく忙しく、無我夢中であるときほど、振り返ったときには後悔や苦味も強く湧いてくる。私はいつも節目節目で過去を振り返るたび、全てが黒歴史に思え、それを上書きしようと躍起になりながら生きてきた。知っている人のいない環境に移ろうとしたり、経歴を隠そうとしたり、名前を変えたり。それによって歳を重ねても何も積み上がっていかないことに、後ろめたさを感じていた。だが、それでもいいかと思えるようになった。いきものは生きている間、どんどん更新されていく。そのダイナミズムを殺さないことが一番大事だと今は思う。その時その時の自分を精一杯表現していけばいい。言葉や態度、服装、生活、様々な選択を通して。

 2ヶ月ほど、仕事がテレワークになりどこにも行けなくなって、部屋に籠っていた。その中でも私はどんどん移り変わっていった。楽しくもあり死にたくもなる日々だった。その時間を経て今の私は、いろんなことを前よりも「別にいいや」って思えるようになった。人生がハードで無意味でも、誰からも本当の意味で、愛されるとか守られるとかいうことが期待できなくても、また自分だって誰の何を助けることもできなくても、別にいいのだろうと。この世がどんなに酷いところでも。自分の意識の上という限られた場所において、人生がつまらなく、自分自身が最低な人間のように感じたとしても、私の体や、脳や魂の深い部分はちゃんとわかっているように思う。人生は奇跡だし、私は素晴らしい存在なのだと。その凄さはきっと永遠に理解しきれず、理解できなくてもいいのだということ。また、私が過去の自分をとても遠く異質なものだと感じ、そこから断絶したのだと考えても、過去の全ての自分が自分の中のどこかにちゃんと消えずに残っていることも、信じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?