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定められたこと

❝どう考えてみても,けっきょく人間にできることは,定められたものを使って,習い覚えたことを生かして,定められたことをやるだけなんだ。それにどんな恰好をしても豚は豚なんだろう。だから,さあやるぞ❞  (ウィリアム・フォークナー『野生の棕櫚』井上謙治訳)

 

 「余計なこと考えない,やるべきことをやるだけ」と言う人がいる。憧れもしたが,自分には無理だった。反抗もした。そんな風に割り切れてしまったら,さぞかし味気もないだろうと。

 でも彼(『野生の棕櫚』内〈オールド・マン〉の主人公である,若い囚人)のはそういうことではない。それを遥かに越えている。

 「やるべきこと」とは目標を達するためとか,生きて行くためとか,何かしらの現実という目的のためにある手段であり道のりである。しかし,「定められたこと」は神の決めたもの,それをするために私は生まれた というものであって,目的そのものであって存在意義だ。それ以上に大切なものは存在しない。何を得られるか,どこへ行けるか,人にどう思われるか,そんなことは部屋の中にいるときに外から時々微かにきこえてくる風の音とか獣の声とか,その程度のものだ。

 そして,自分に「定められたこと」が何であるかは,自分が決めて,信じてよい。食べること。恋。眠って夢をみる。変な服を着る。映画を撮る。そんなようなこと、あるいは、もっと微妙な、言語化できないものの中から

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