行動と結果(2)
続く、と書いてから50年経った。
明るさだけ直した、一昨年初夏に2時間半で撮ったサイレント短篇。ラフだけど気に入っている。
薄れる部分は薄れていってるけど「行動と結果」という題で書き出した時に思っていたことは、行動したら結果が出る、会いたい人にも意外と簡単に会えてしまったりする、恐ろしい。ということだった気がする。去年はルイス・コールを撮影してしまったし菊地成孔とも仕事をしてしまった(もちろんどちらも理想の形とは違うものだったけど)。それで「ああマジで同時代に生きてんだなあ。すげえ」とは思ったけど、幸福だったかどうかはまた別のところで、ずっとメディアを通して見つめ味わってきた人と対面してしまったときに浮き上がってくる自分の実在性、物質性のノイジーなことといったら…(透明になりたいと思ったし否自分はまさに透明なんだと健気にも思い込もうとした)
恐いと思ったのは、結果というものは必ずしも、行動する際に抱いていた動機や願望の強さ、積み重ねた努力に応じて生じるものではなく、何も考えていなくても指一本動かして何となく歯車が噛み合えば、雲の上だと思っていた場所に立ててしまうかもしれない、ただし裸一貫で、ということに気づいたからだった。そんなことはこれくらい映画を観ていれば、当然わかっているべきことだったのだが、引きこもりがちの私は実際には体験したことがなかったのだ。だから安易に行動しては駄目だ、いざというときのために武装しておかなくちゃ…と、一層引きこもりの度合いを強めつつあるものの、多分どれだけ勉強して経験を重ねても、強さや才能の前に私は常に丸腰の子供なのだろう。そのことに慣れないと。
それにしても音楽をしている人たちの、音楽に対する絶対的な信頼感は凄い。かれらは音楽が至上だと信じて疑わない。
「全ての芸術は音楽に嫉妬する」とは、よく言ったものだ。
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