憧れの先輩

  他人の話を「つまらない」と思ってしまう十代みたいな病にかかっている。じゃあ自分は面白いのか、と言われたら、そうとも言えないと思うのだから、どうしようもない。理論的には、つまらない人間なんていないはずだと思う。それぞれが唯一無二として産まれてきて、誰とも異なる歴史を、本質的にはどこまでも孤独に歩いて来ているのだから、一人ひとりの人間はそれぞれが固有の宇宙であるはずなのだ。加えて私はどちらかといえば好奇心が強く、人間好きな方だと思っている。それなのにほとんどの人には惹きつけられない。

 まあでもそれはまだ仕方がないというか、贅沢な悩みと思う。多様性とかいうものだ。(たぶん。)もっと悩ましいのは、興味を抱いて親密になった相手に対し、この人をもっと知りたい、もっと話してほしいという熱を失うことだ。何年か話しつづけたらもう、尽きた、この人の底は見えたな、と思ってしまう… 

 私は今日『同時代ゲーム』を読み終えた。ここにあるものを私は到底理解しきれない、そしてそんな「理解」なんてそもそも求められていない、私はただその豊穣さに酔ったり慄いたり、自由に影響を受けていればいいだけだ。大江健三郎、フォークナー、ロバート・アルトマン、オーソン・ウェルズ、ホアキン・フェニックス… 私の好きなものはそんなものばかり。でも、自分の周りの生身の人間を「つまらない」と一蹴し、じゃあ誰なら飽きないの?と言われて出す名前が、大江健三郎と菊地成孔、って。そりゃあ日々が難儀にもなるだろうよ… と自分自身に呆れつつも、何をカッコいいとかおもしろいとか優雅であると感じるかは私の自由だし、かつけっこう肝だし、それから、僅かであっても本気で最高と思える人類の先輩がいる(しかも私の場合そのうち何人かとは同じ国の同じ時代を共有している)っていうのは、とっても恵まれてるんじゃないかと思う。あと周りがつまんなく見えても自分は自分のもてる限りの頭のおかしさやウィットなどを余さず無料で発散して生きたいな。なんつって。

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