September
前日、昼間に刺激が少なくだれて過ごしてしまったからか、夜に気持ちが荒れて、不快な夢も見て、今日は目覚ましの音で起きたときから疲労感があった。やる気が全く出ない。だが動かなくては。前夜聴いていた「粋な夜電波」では、菊地さんが言っていた「私は疲れ切って途中でやめちゃうなんてことは無いんで、むしろ周りにもうやめろっておさえこまれることの方が多いんでね。疲れを知らない子供のように、なのでね」。疲れの知らない子供のように、生きていることに貪欲でなくては 菊地さんだってタランティーノだってエネルギーの塊のようだけど 必ずしも陽のパワーだけをもっているわけじゃないのだ、陰だって人一倍強く常に闘い自分を陽へ駆り立てている タラの評伝で友人の一人が、「クエンティンはいつもあまりにポジティブで、まるでそうしないと闇にのみこまれると恐れ追い立てられてるように見える」と言っていた。むしろ、すぐに死にたいなどと口にしていては本当の深淵の一端すら目にすることが出来ず 本当の闇を知らない人だけが「メンヘラ」になれるのではないだろうか?いや、それも、本物の闇を知らない私にはよくわからないが。とにかく私は今朝異様に日の当たるキッチンでお弁当を詰めながら自分もいけるところまでは陽の方に自分を駆り立て盛りあげていかなくてはと思ったのだ 反動は怖いが何とかなるだろう、そして、今私がいる環境(時代…土地…)の「なんとなく人を無気力にしていく力」に対抗していくにはそうするしかないのだろう。昨日から部屋の中にいた甲虫が網戸の内側にはりついていたので外へ出られるよう窓を開けた。イヤホンをつけずスマホを見ないで電車に乗った 台風の後で真夏のようだ 洗足池の柳が建物の間から見えた 疲れているときは脳にいくつもフィルターがかかっているからrawにしないと 〈ああ、夜のバイトだるいなあ…〉べりっ 〈あの人はいつか私に幻滅して去っていくんじゃないだろうか…〉べりっ 要するに近視的な薄い不安がノイズになって本質を見たり触ったりできなくなっていることが危険だ そのことに気付いたのは少し前に早朝にめざめたときで 空気があおく、静かで、小さく鳥の声がきこえた 私は子供の頃のバイブルだった小説『スターガール』を思い出していた 「人間が原初の頃と同じ真っさらな状態でいられるのは、眠りからさめてから意識が戻ってくるまでの、ごく短い時間だけだ」とその本の中で言われていた 意識が戻ってからは言葉やいろんな人間的な響きがたくさん 私の周りに層をつくる。私をそれを総て捨て去ることはできないが 今の自分はいろんなものをまとっている と思い それを脱ぎ去って今目の前にある世界とface to face向き合えたらどんなに自由だろう、と想像するだけで、手足が軽くなるようだ。
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