”この世界に残されて”
今日は仕事前、シネスイッチ銀座でハンガリーの映画『この世界に残されて』を観た。冒頭5分くらいからずっと泣いていた。クララの苛立ちと寂しさが、わかり過ぎたーー身近な人を喪った経験もない私がこんな風に言っていいのか、ホロコーストで両親と妹を亡くした少女の絶望などわかるわけがないとも思うが、しかし私の心は生々しくクララに共鳴した。価値ある(と自分が信じる)ものについて語り合い分かちあう相手が必要なのに、周りはバカばかり。かつてそんな相手はいたのに、消えてしまった。拠り所がなく、未来だけは茫漠と目の前にあるが、エネルギーをどこに向けていいのかわからず、可能性を持て余す。
とにかく寂しい。
ホロコーストを知らなくても、災害や虐殺や病で家族を喪った経験がなくても、その底のない寂しさは誰でも知っている。人間が生きている限りずっとついてくる。私は常に、大切な人との別れに怯えながら生きている。頭では「私は一人で生きていく」と覚悟していても、本当は震えている。
この前、好きな人に「結婚しよう」と言われる夢を見た。その人は絶対にそんなことは言わないので、夢の中でもびっくり仰天してその分うわー超嬉しい!!と舞い上がったが、その分目覚めた時は虚しかった(可笑しくもあったけど)。結婚したいけどしたくない。結婚したいのは、結婚したいくらい好きな人がいるからだし、ずっと今のままだと思うとなんか寂しいからだ。結婚したくないのは、家庭だって地獄だということを知ってるからだ。家族が個人を守る最小単位として機能していないのは、あらゆる数字から見て明らかだし、経験的にも私が子供の頃、両親はいつも喧嘩し、いつも苛立っていた。家族の悲劇をいくらでも私たちは知っている。それでもファンタジーを信じて、次々とカップルが生まれ結婚していく。
恋愛。家庭。金。美。この世のあらゆる価値が夢を見させると同時に矛盾と罠を孕んでいる。そしてくるくると循環しながら、時に私を高揚させ、時に破壊しようとする。
全部手放して僧みたいに生きて行こうとしても、ニセモノがない空間はそれはそれで空虚で、またニセモノだらけの場所に戻ってくる。
まとまった文章書くの下手すぎる。
まあとにかく、終わりが見えてようがどうだろうが人は温もりを求めることをやめられない
そんなシンプルなことを静かに受けとめている映画だった。
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