恐怖

 昨日やろうとしたことがことごとく空振り、落ち着かない気持ちで夜を迎え飲み、食べ、家に帰って電話で人に絡み、同時に酒が回って気持ち悪くなり、ぐずり、…それら全部が罪悪感になって返ってきてさらに不安定になるというありふれたしょぼい悪循環に陥る。風呂に入ってキッズ・リターンをみて残り25分くらいで寝落ちする。起きてパンにチーズとメープルシロップを乗せて焼いてコーヒーを飲んで、ごはん炊いて残った煮物をカレーにする。不安定になっているとき、自分は何と弱い人間なのだろうと、恥ずかしくて消えたくなる。それは昔からだが、最近は少しだけがんばって、そんなときに「自分は何を恐れているのか」を冷静に考えるようにしている。不安を生むのは焦り、焦りを生むのは恐怖と学んだからだ。(カサヴェテスのインタビューにも似たことが書いてあったーー“恐怖がこの世の全ての惨事を生み出すんだ。だからみんなを(略)救えるのは、自分は何も恐れていないと語ることだけだ”。)自分は今、何を恐れているのか。直視すると、漠然と恐れていることが、実は恐るに足りないものであるとわかる。良い映画が撮れないこと?別に自主だし駆け出しだから、失うものは何もないし、失敗したって大丈夫だ。完璧な作品が作れるはずがないし、作る必要もない。僅かでも、大事な何かを残せればそれで良い。お金がなくなること?一時的になら映画ができるまで、借金したって後で返せる、体さえ健康ならバイトはいくらでもあるし今までそうやってきた。

 最近坂口恭平のツイッターをいいねしすぎて、なんか信者みたいになってて何だかねって感じだが、坂口恭平は「お金だけは何とでもなる。大事なのはそれ以外のこと。作り続けること」と繰り返し言っていて、それ以外の哲学も含め今とてもしっくりくる。多くの人がお金お金って言う世の中にいて、そう考えるのはなかなか根性がいると思うが、ナイト・オン・ザ・プラネットのNYのタクシードライバーが言う通り「お金は必要だが、私にとって重要ではない」。今日はそんな坂口さんのライブに行ってきた。人が多くて遠目になってしまったけど、とても心地よかった。自分の曲も人の曲も自由に歌って途中でふっと終わったり、猿みたいに啼いたり、見えない人とセッションしたり。本能を大事に、体を使って生きなきゃなと思った。私も好き勝手に歌ったり踊ったり芝居したりしたくなった。空族の富田克也さんに「坂口恭平はやばい」と教えてもらって、ツイッターを追うようになり、今日パフォーマンスを見て聴くことができた。縁だ。

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