ヴィガノ大司教、公会議後に教会と国家の分離を受け入れたことを非難
ヴィガノ大司教:第二バチカン公会議で理論づけされた信教の自由とエキュメニカルな対話のための前提としての権威の「世俗化」について
2022年11月6日(主日)
ヴィガノ大司教、公会議後に教会と国家の分離を受け入れたことを非難
―――第二バチカン公会議で理論づけされた信教の自由とエキュメニカルな対話のための前提としての権威の「世俗化」について―――
カルロ・マリア・ヴィガノ
DE HOC MUNDO
この世からのもの
第二バチカン公会議で理論づけされた信教の自由とエキュメニカルな対話のための前提としての
権威の「世俗化」
Regnum meum non est de hoc mundo.
「私の国はこの世からのものではない」(ヨハネ18章36節)
1.はじめに
第二バチカン公会議が教会に、ひいては社会全体に与えた傷は、60年たっても癒やされておらず、実際、皆の目の前で非常に深刻な損害をともなって、傷は壊疽(えそ)を起こし続けています。ベルゴリオの最高法院(サンヘドリン)が公会議を褒めそやす熱狂的で自己満足的なトーンをもってしても、公会議が教会と霊魂たちにもたらした破滅を取り消すことはできません。
「公会議の教会」の自己参照性に関する、私の前回の小論(こちら)で、私はこのアイデンティティーの危機についての重要な側面をいくつか強調しました。それに加えて最近、私が公会議の破壊的性格を理解する上で基本的なものとみなす要素が現れました。私が言及しているのは、ベネディクト十六世が10月7日に、スチューベンヴィルのフランシスカン大学の学長に送った書簡(こちら)です。
私はかねてから、このテーマをもっと深く掘り下げたいと思ってきました。カトリック教会内の教理、道徳、典礼、規律の各面に関して、第二バチカン公会議によって始まった革命のイデオロギー的な前提や実践的に成就させた方法をはっきりさせるためには、ラッツィンガーのテーゼを検証することが不可欠です。
2.永続革命
私が「第二バチカン公会議によって始まった革命」という表現を使ったのは、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオがほぼ10年間、ほしいままにしてきた耐え難いほどの行き過ぎた行為が、マルクス、エンゲルス、トロツキーによって社会の領域で理論化された永続革命の原理を、教会の領域で一貫して応用したに過ぎないと、今、私には明確に思えるからです。「永続革命」の思想とは、「プロレタリアートは共産主義の方法に関してあまり熱心というわけではなかったため、もし自分たちが階級闘争を世界中に広めたいならば、権威によってそれを強制し、それを不可逆的にすることが必要だ、なぜなら、革命においてのみ、社会秩序への破壊転覆的行動を推進させる混乱 χάος が起こるからだ」というボルシェビズムのイデオローグたちの観察から生まれたものでした。
同じような進め方が、ベルゴリオの教会でも採用されてきました。公会議の革命が「カトリックのプロレタリアート」に熱狂的に歓迎されたというわけではなかったため、サンタマルタ館の中央委員会は、レーニンが「革命の転写」と呼んだものにより頼んで、第二バチカン公会議のメンタリティーを、当初公会議の支持者の誰もがあえて触れようとはしなかった、あの教理の分野にも拡大したのです。
この理由で、シノダリティーに関するシノドスが必要なのです。つまり、一種の〈永続的な公会議〉、言い換えると「永続的なアジョルナメント【現代化】」(こちら)を打ち立て、これが、教会の底辺――プロレタリアートの教会版――が求めていると想定されるものを推進するのです。たとえば、女性の助祭や、離婚して再婚したカップル、同棲カップル、重婚主義者【一夫一婦制ではない婚姻形態を求める者】、養子を持つ同性愛者のカップル、LGBTQ運動の信奉者らの根本的な取り込み(inclusion)(こちら)の推進です。
これらの要望は、いずれも、教導権に忠実な教理的・道徳的な観点からはまったく許されないものであり、聖職者と信者が教会の最高権威に要求していることを忠実かつ自発的に図式(イメージ)にしたものではなく、ベルゴリオ式のプロパガンダの詐欺的な虚構(フィクション)にすぎません。つまり、先にあった「家庭に関するシノドス」の際にすでに実験した操作――これが「アモーリス・レティチア」(Amoris Lætitia)と呼ばれる異端の〈怪物〉(monstrum)を生み出した――と同じ線の上にあるものです。
そしてまたこの場合も、現実が革命によって歪められるのですが、それは、二千年の教会の知恵やその創立者の意志が用意しよう意図したものよりも優れた解決策を持つ思想だという前提によって、自らのディストピア思想に無理やり合わせようとするためです。最悪の全体主義体制のテクニックを使って教会の分野で適用される大衆操作というものに、私たちは直面していますが、そのテクニックは今日、パンデミックの茶番劇と環境保護的な移行を行うグローバリストのエリートによって、またロックフェラー財団の〈アジェンダ2030〉の同盟者・支援者であるベルゴリオのカルトによって採用されているものなのです。
3.天主の民と神秘体のラッツィンガー的なジンテーゼ
2022年10月7日のベネディクト十六世の書簡は、彼が2011年9月22日のドイツ議会での演説(こちら)ですでに述べていたことを明確に説明したものです。しかし、中世アウグスティヌス主義に対する彼の批判の最初の定式化[1]は、かなり以前の1954年のアウグスティヌス会議の機会にパリで発表された彼の論文「アウグスティヌスの教会教理における天主の民と家」(こちら)にあったものです。ラッツィンガーは、ハルナック学派が展開した思想を思い起こして、こう述べています。
「二つの〈国〉(Civitates)とは、具体的な組織を意味するのではなく、むしろ歴史における信仰と不信仰という二つの基本的な勢力を表しているのです。…〈天主の国〉(Civitas Dei)は、単純に教会という制度と同一というわけではありません。この意味で、中世のアウグスティヌスは実に致命的な誤謬を犯しましたが、今日、幸いなことに、それは決定的に克服されました」。
【注:「中世のアウグスティヌス」とは、中世の解説者によって説明されたアウグスティヌスの思想や教えのこと。】
この論文が取り上げ、その書簡で簡単に触れられているテーマは、神秘体に関する教会論的教理であり、著者によれば、それはピオ十二世の回勅「ミスティチ・コルポリス」(Mystici Corporis)で考察しつくされました。1950年代末、ピオ十二世が病気だったとき、進歩的神学者たちの〈新奇なもの【革命】への欲望〉(rerum novarum cupiditas)[2]が復活しました。彼らにとって教会の超自然の次元はあまりにも霊的であったため、「天主の民」というもっと誘惑的なアウグスティヌス主義の表現に置き換えられなければなりませんでした。この表現は、旧約のユダヤの民を含むという点でエキュメニカルな鍵であり、社会学的・政治学的展開の可能性を示すという点で民主的な鍵でもあると、容易に解釈されるものでした。明白なことですが、このイデオロギー的な定義は、ハルナックとその弟子の思想と完全に一致する近代主義的な背景を明らかにしています。
25歳のラッツィンガーのこのテーマが、公会議でも取り上げられることになることは、見落とされはしないでしょう。したがって、名誉教皇が、自分の神学的形成と教会でのキャリアにおいて決定的であり、彼の後継者が今実践しているテーマについて、まさに誇りを持って言及しているのは、驚くには当たりません。
ラッツィンガーの哲学的アプローチは本質的にヘーゲル的であり、したがって「テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ」の枠組みに従った「絶対観念論」[3]が染みついています。この場合、神秘体というカトリックの〈テーゼ〉と、天主の民という進歩主義の〈アンチテーゼ〉の間【の対立】、第二バチカン公会議と公会議後【の間の対立】は、彼が1954年の論文で理論づけした通りの〈ジンテーゼ〉を受け入れることで終わったとされます。つまり「教会は〈キリストの体〉として存在する天主の民であり」、そこにおいてキリストは信者に対して自らを体として与え、信者を自らの体へと変容させる、とされる統合説です。
この大胆な論文は、よく考えてみると、ご聖体の両形態において全体として真に現存するキリストの体【ご聖体】と、教会の生ける肢体(メンバー)とその天主なるかしらとの一致によって〈神秘的に〉実現されるキリストの体【神秘体】との間の本質的な違いを混同する危険性をはらんでいます。このような混同があれば、「キリストの体」という不明確な表現のせいで、少なからぬ進歩的な、あるいは完全に異端的な神学者たちが、プロテスタントに好意を寄せることを可能にしたことでしょう。同じように、フランシスコは、貧しい人々を「真のキリストの体」と定義するラニエロ・カンタラメッサの大胆な貧民論的・聖体論的暗喩を利用する機会を得たことでしょう。カンタラメッサの「真の現存」は、貧しい人々を迎えることによってキリストの体を迎えることになり、実現するとされているのです。
4.天主の国(Civitas Dei)と悪魔の国(civitas diaboli)
発生する問題は複雑かつ明確です。その問題には二つの側面があります。一つは「公会議の教会」が何であり、何であろうと望んでいるかに関連する〈内部に対する〉(ad intra)側面、もう一つはこの世におけるその役割と他の宗教との関係に関連する〈外部に対する〉(ad extra)側面です。〈内部に対する〉側面は、教会の制度の本質に触れ、教義に害を与える「より広い霊的次元」の再発見という偽りの口実のもとに、民主的かつシノドス的な鍵で教会制度を解体しようとするものです。〈外部に対する〉側面は、この世に対する「エキュメニカルな」アプローチ、セクトや偽りの宗教との対話を求め、諸国の福音化を放棄することを暗示し、その代わりに、教義も道徳もない環境保護的かつ人類愛的なメッセージで置き換えるというものです。
名誉教皇によれば、「中世のアウグスティヌス」の誤謬は、〈天主の国〉(Civitas Dei)を目に見える教会と同一視しようとしたことにあるとされますが、〈天主の国〉はキリスト教世界(Christianitas)のモデルとして有効であることは明らかです。キリスト教世界とは、つまり法律と規則が、「Beatus populus, cuius Dominus Deus eius――天主を主とする民は幸い」(詩編143篇15節)と歌った詩編作者の希望を実現する国境を越えた(transnational)社会のことです。
教理が教えるところによれば、まさにそのこの地上的な次元が理由で、「戦闘の教会」(Church Militant)は、天のエルザレムのように聖なるものであると同時に、そのメンバーにおいて罪あるものでもあります。また、その教導職(Magisterium)において不可謬であると当時に、その役務者(Ministers)において可謬です。聖アウグスティヌスや中世の論者たちが国家を〈悪魔の国〉(civitas diaboli)だと指摘したというのは事実ではなく、それどころか、彼らは救いの経綸(けいりん)における国家の御摂理的役割と、自然法にだけでなくカトリックの教導権にも合わせる世俗権力の必要性を認めていたのです。
もし、その存在論的な悪によって認識される〈悪魔の国〉(civitas diaboli)があるとすれば、それは、新世界秩序と、グローバリストの共同統治(synarchy)の確立のために働く、等しく国境を越えた(transnational)あのすべての組織のことだと特定されなければなりません。ベルゴリオのセクトも例外ではなく、これらの破壊転覆的な犯罪者たちの同盟者であり支援者であることは偶然ではありません。
5.ラッツィンガーによる中世アウグスティヌス主義への批判
教会の真の本質を歪曲するもう一つの非常に深刻な神学的誤謬は、公会議の教会論が持っている本質的に非宗教主義的(laicista)な基礎にあります。この基礎は、絶えず変化している自分自身のイデオロギー的計画に、客観的現実を合わせようとするのです。
私が「非宗教主義的」(laicista)という言葉を使ったのは、私には、この考え方には超自然の眼差しが全くないことが明らかだと、思えるからです。超自然の眼差しとは、この世の現実を〈永遠の相の下に〉(sub specie æternitatis)見る方法を知っている――単なる知的思索のためではなく、対神徳【信仰・希望・愛徳の三徳】に動かされているため――、すべてを包含する眼差しです。これらの知識人の無意味さには、絶望的なほど情熱や勇気、血の気がないことが現れています。それはすべて理論的なものです。すべては、贖いを無菌的に阻止するため、また〈キャンセル文化〉のオーウェル的手法を利用して〈キリスト教の秩序〉(ordo christianus)を取り消すために確立されたものです。
この誤謬は、第二バチカン公会議の文書、特に信教の自由に関する宣言(Dignitatis Humanæ)と、キリスト教以外の宗教およびユダヤ教と教会の関係に関する宣言(Nostra Aetate)の中でほのめかされており、ベネディクト十六世の言葉によれば、「公会議の教会」を「初めて」カトリック教会と意図的に不連続に位置づけているのです。彼はこう述べています。
「第二バチカン公会議は、宗教を選択し実践する自由と、それを変更する自由を、人間の自由の基本的権利として取り上げました。まさにその最も深い理由によって、このような概念は、キリスト教信仰にとって、異質なものではあり得ませんでした。何故なら、キリスト教信仰は「国家は真理を決定することができず、いかなる種類の礼拝も要求することができない」と主張を携えてこの世に入ってきたからです。キリスト教の信仰は、宗教的確信とその礼拝の実践の自由を主張しましたが、それによって国家がその秩序において持つ権利を侵害することはありませんでした。キリスト教徒は、皇帝のために祈りましたが、皇帝を礼拝はしませんでした。このような観点から、キリスト教はその誕生とともに、信教の自由の原則をこの世にもたらしたと言えます」[4]。
この誤解は、「信教の自由」という用語にある二重の意味が基になっています。カトリック的な意味では、洗礼を受けた者が国家の側に妨げられることなく真の信仰を公に告白する自由を示しています。近代主義的な意味では、信仰を持つ者は誰でも、国家の側により同じ権利と同じ自由を認められるという抽象的な自由を指しています。
もう一つの誤解は、"カトリック教会に特別な権利と特権を認めている国家"が、"偽りの宗教を国家宗教としたり、自らを「宗教を持たない」と宣言して真の宗教の宣教を禁じたりあるいは真の宗教を他のあらゆるカルトと同一視したりする国家"と、無差別的に比較される時に生じます。
教会は、何世紀にもわたって、カトリックの宗教が容認されなかったり、迫害されたりした国々のさまざまな状況と、自らの権利とを、慎重に調和させようと常に努力してきました。反カトリックの支配者を刺激してカトリックの臣民を迫害させることは、無謀で軽率な行為です。しかしながら、教会が、少数派の状況においては、自らと信者のために寛容を求めることができるという事実があっても、公式にカトリックであると告白している国家によって、その制度的役割が認められていると教会がみなしている他の状況にも、同等の権利が適用されることを意味するものではありません。
しかし、第二バチカン公会議で理論化された「信教の自由」の名の下に、スペインやイタリアのような国々に対して、カトリックを国教として認めることを放棄するよう求め、政教条約(コンコルダート)を変更し、数世紀にわたってカトリック教会が合法的に認めてきた特権を廃止させたのは、位階階級自身だったのです。ですから、この観点からすれば、「キリスト教はその誕生とともに、信教の自由の原則をこの世にもたらした」と断言するのは不適切です。その反対です。これが理由で、キリスト教は自らの信者の迫害と殉教に直面しなければならなかったのです。初期のキリスト教徒は、至聖なる三位一体をパンテオン(神々の神殿)に加えることを求めたのではありませんでした。独自の一神教を自由に実践させてくれるように求めたのであり、この一神教ということがローマ人を非常に驚かせたのです。初期のキリスト教徒が、この「信教の自由」を主張したのは、自分たちのためであって、異教徒のためではありません。その反対に、キリスト者たちは、かれらを真の信仰に改宗させようと試み(て成功し)たのです。
教会が天主から直接由来する権利の保持者であるということ、また、教会の権利を認めて保護するのが国家に任されているのは、単に量的な問題【国民の大多数だから】ではなく、カトリックの宗教が客観的に真理であって、共通善の追求のために社会的に不可欠であるから、ということが忘れられているように思われます。この点については、レオ十三世の言葉を引用する価値があります。
「もしこの世の悪に対する解決策があるとすれば、それはキリスト教の生活と習慣に戻ること以外にあり得ません。これは荘厳な原理です。退廃した社会を改革するためには、その社会を存在させた原理に戻すことが必要であり、あらゆる社会の完成は、その目的に到達するための努力にあります。その方法は、運動と社会的行動の生成原理が、団体を生み出したものと同じであるようにです。したがって、原初の目的から逸脱することは堕落であり、その目的に戻ることが救いなのです」[5]。
国家がこれらの教会の権利承認を拒否することは、偶然的・付随的なことであり、教会もまた自らを押し付けないことを決定することができます。しかし、誤謬を広める人々に、恩を着せたり、あるいは教会の使命とは全く無縁であるエキュメニカルな熱意を証明したりすることだけを目的として、教会が彼らのための権利を主張することは、教会の決定によるのではありません。
6.偽りの思想を正しく見せるために現実を改ざんすること
よく考えてみると、伝統的な思想は、制度という抽象的な概念よりも、教皇、王、高位聖職者と統治者、信者と臣民など、制度上の地位を持つ人物の役割にずっと注目しています。なぜなら、主は、法的な存在を救うためではなく、霊魂を救うために亡くなられたからであり、また教会には、国家の支配者たちが果たす役割でさえも、聖寵によって活性化させ、彼らに統治されている国民のより良い善に貢献できるようになるように、支配者らを含むすべての国民を回心させるという任務があるからです。
この架空の「中世のアウグスティヌス」は、何らの誤謬も犯していません。この世の権威(霊的および世俗的)がそれに適合させなければならない超自然のパラダイムがあることを指摘した点も間違いではありませんし、世俗の権力を宗教の権力に従属させ、世俗と宗教の両権力を共に天主の力に服従させることを理論化した点でも誤りはありません。
致命的な誤謬が犯されたのは、むしろ、聖職者たちによる新近代主義や政治的な進歩主義の持つ強くイデオロギー化された戦線でのことでした。その信奉者たちは、何の根拠もなくある教理の定式を〈政治的アウグスティヌス主義〉に帰属させようとしていますが、彼らによればこの教理の定式は初代の数世紀の【教会の】メッセージに対応しないとされています。しかし、聖アウグスティヌスは、いかなる形であれ、国家の権威が真の宗教から切り離されていると主張したことは決してありません。むしろ、このヒッポの司教【聖アウグスチヌス】は、こう宣言しています。
「(キリスト教徒の皇帝が)幸福であるのは、次の場合であると私たちは言おう。皇帝が、正しく統治する場合。皇帝が、崇高な栄誉を与える人々の賞賛の中にいても、また、過剰な恭順で皇帝を敬う人々の卑屈さの中でも、高ぶることなく、自らが人間であることを忘れない場合。皇帝が、自らの権力を天主の御稜威に従うものとして、天主の礼拝を最大限に広げるために用いる場合。皇帝が、天主を恐れ、愛し、敬う場合。皇帝が、自分の国以上に、ライバルがいると恐れることのない国【天主の国】を愛する場合。皇帝が、罰するのが遅く、赦すのが早い場合。皇帝が、国家を統治し守るために必要であって、自分の敵意を満たすためでないときだけ罰する場合。皇帝が赦免を与えるなら、法の違反という不正が罰せられないためではなく、違反者が自分の道を改めるという希望があるゆえに赦す場合。皇帝が、しばしば強いられる厳しい決断を、温和な同情と寛容さで埋め合わせする場合。皇帝自らの贅沢が、制御されないでいる可能性があればあるほど、より多くの節度がある場合。皇帝が、多くの民族・人民たちを支配するよりも、悪しき情念を治めることを好み、また、無益な栄光を望むためではなく、永遠の幸福を愛するために、このように治めようと行動する場合。皇帝が、真の天主に謙遜の犠牲、寛容の犠牲、自らの罪のための祈りの犠牲を捧げることを怠らない場合、であると。上のような資質を備えているキリスト教の皇帝は、現世においては、希望において幸福であり、来世においては、私たちが待ち望んでいた対象が実現するとき、現実に幸福になるであろうと、私たちは言おう」[6]。
実際、社会は、天主の啓示を認め、天主の掟と教会の権威に従うという道徳的義務をそれぞれが負っている個人からなるのですから、社会がその同じ義務を回避することは不可能です。同じように、他の諸宗教の存在が、教える教理の異常さに関係なく、それが数的に重要であるという理由で、唯一の真の宗教が疎外されるのをあきらめて承認するという態度が正当化されるわけではありません。しかも国家と社会とからの同意と支援の喪失が、公会議の逸脱に基づくカトリック位階階級の放棄に主要に起因している場合には、とりわけそのような正当化が真実ではありません。
7.全体主義の逸脱に対抗する権威の神聖さ
聖アウグスティヌスの定式化は、【彼の著書である】「天主の国[神の国]」(De Civitate Dei)の中で語り尽くされてはいませんが、彼の全著作の中に十分な正統的解明がなされており、聖書およびカトリックの教導権と一致させて読むべきものです。この両者は、さらに、世俗の権威が代理であるという考え方――イスラエルの民に固有の権威観であった――を受け継いでいます。つまり、ビザンチウムから始まるキリスト教の君主たちがそうであったように、イスラエルの王たちは天主の権威の代表であったのです。
ギリシャ・ローマ文明から受け継いだ世俗の権威の神聖さは、キリスト教世界に深く根差しており、聖なる品級の秘跡に固有な儀式的な意味合いを持つようにさえなりました。君主への聖香油の塗油、東ローマ皇帝やロシア皇帝が着る典礼的祭服、神聖ローマ帝国皇帝の戴冠儀式、ヴェネツィアの元首(Doge)が受ける高位聖職者であるかのような儀式などが考えられるでしょう。しかし、イタリアの〈共同体〉(Comune)という、君主制に比べればもっと「世俗的」であるとされるものですが、そこにおいても秩序ある〈国家〉(res publica)という概念が、中世において、信仰と首尾一貫して発展しました。これはアンブロジオ・ロレンツェッティがシエナの〈パラッツォ・パブリコ〉に描いた「善政の寓意」のフレスコ画で例証されています。
霊的権威とこの世の権威の間にある調和と位階的相補性を人為的に分離することは不幸な操作であり、それが実現するたびに、専制政治のための前提あるいは無政府状態のための前提を作り出しました。その理由はあまりにも明白です。〈すべての権威は天主から出る〉(ローマ13章1節)のですから、キリストが教会と国家の王だからです。支配者がキリストの主権の下に服従する義務があることを否定することは、非常に重大な誤謬です。なぜなら、道徳律がなければ、国家は天主のご意志とは無関係に自らの意志を押し付けることができてしまうからです。したがって、その時、国家は〈天主の国〉(Civitas Dei)という天主のκόσμος(秩序)を転覆させて、その代わりに恣意的な自由意志と〈悪魔の国〉(civitas diaboli)という地獄のχάος(混沌)に置き換えることになるからです。
ですから、ここで私たちが理解することは、一方の〈天主の国〉と他方の〈悪魔の国〉の両者が、【実現のために】努力すべき一つのモデルとなるのであって、実現された現実ではないこと、またどちらにも、難解な「霊性化」も粗雑な「現実化」もないことです。また、私たちが、これらの単に知的な思索の背後にあると理解するものは、ヘーゲル的母体の観念論的アプローチです。これは、天主のご意志による現実と対立する架空の現実を作り出して、実に、救い主キリストのご受難に代わるプロメテウス的なものを押し付けようという望みから生じています。
主のご受難は、まさに贖う力のある十字架のため、また、贖罪の経綸(けいりん)において、十字架が王座である(天主は[十字架の]木によって統治する regnavit a ligno Deus.)という事実のため、つまずきをもたらすからです。この世はキリスト教を信じなくともよいと信じること、またこの世が天主なしに機能することができるし自力で生き延びていくことができると信じることは、地獄的かつ冒涜的な怪物(キメラ)です。
8.教会の権威の世俗化
一方、国家の世俗的性質――「信教の自由」は個々人のために理論化されたものなのでそこから生じて必ず起こる結果としての国家の非宗教化――に、神学的な色合いを与えようと望む人々は、聖書、教父、教導権の教理的前提を必然的に否定せざるを得なくなりました。そこで、彼らは中世の思想家たちの作品において真のキリスト教のメッセージが歪められていたのではないかと主張するのです。このように、教理的逸脱は、常に嘘、歴史の改ざん、そして自分たちの誤謬を押し付けようと望む対話相手の無知に基づいているのです。
その結果は壊滅的であり、誰の目にも明らかです。もし〈完全な社会〉(societas perfecta)がその主権者として主キリストを認める必要がないならば、これは必然的に地上の教会にも適用されなければならず、そのため位階階級は、天主なる創立者によってきちんと定められた境界の中ではなく、単に権力維持の目的のためにその権威の行使を決定することができるとされるのです。公会議後の時代(il postconcilio)には、1925年にピオ十一世が回勅「クアス・プリマス」(Quas Primas)で制定した祝日の典礼文に手を加えて、キリストの王権に関する教理を取り消すためにあらゆることを行ったのは、偶然ではありません。
ラッツィンガーは「私の教会論」について語り、教会は自らを〈天主の国〉(Civitas Dei)と呼ぶことはできず、ピオ十二世が1943年の回勅「ミスティチ・コルポリス」(Mystici Corporis)で定義した教理を現在でも妥当だと考えることもできないと断言しています。名誉教皇は、こう書いています。「しかし、教会という概念を完全に霊性化することは、その一端として、この世における信仰の現実性と教会制度の現実性を欠いています。したがって、第二バチカン公会議では、この世における教会の問題が、ついに真の中心問題となりました」と。
中心問題とは、〈最新的〉(à la page)、対話的、包括的、人類愛的に見えるようになるために、カトリックの教理を変えるほど中心だったのです。しかし、まさに〈異邦人の指導者〉(Domina gentium)としての役割の喪失こそが、「公会議の教会」を社会的に無意味で疎外された立場に導いてしまったのです。〈血の代価〉(pretium sanguinis)をもって、公会議の教会は自らを汚し、キリストの使命を裏切り、世の中の考えによって汚染されることを許したのです。
ですから、ピオ十二世までの教会が、〈天主の国〉(Civitas Dei)をモデルとし、そのメンバーの弱さにもかかわらず、自らをキリストの神秘体であるとみなしたとすれば、ここ数十年、第二バチカン公会議の支持者たちを触発したモデルは、むしろ〈悪魔の国〉(civitas diaboli)のモデルであり、聖座がグローバリズムのイデオロギー、「グリーン経済」の新マルサス的妄想、トランスヒューマニズム、ジェンダーやLGBTQのレパートリーの全てに支援を提供していることから判断すれば、このことは明らかでしょう。
2022年10月30日
Domini Nostri Jesu Christi Regis
王たる私たちの主イエズス・キリストの祝日
【注】
[1]〈中世アウグスティヌス主義〉(medieval Augustinianism)という用語は、アウグスティヌス思想の発展、特に〈天主の国〉(Civitas Dei)と〈悪魔の国〉(civitas diaboli)に関する教理の政治的・社会的意味合いに関連するものを意味し、革新主義者によれば、聖アウグスティヌスの本来の思想を歪め、例えば神権政治的な権力観を世俗・教会の双方で煽り立てているとされる。しかし、すべての権力は天主に由来するという考えは、このヒッポの司教にとってすでに非常に明確であり、中世の政治的アウグスティヌス主義におけるその説明は、聖伝と完全に一致するものであったのは言うまでもない。
[2]サッルスティウス(Sallustius)、「カティリナ戦記」(Bellum Catilinæ), 48 には、Rerum novarum cupiditas Catilinæ animum incendebat.新奇なものへの欲望は、カティリナの心を燃え立たせていた、とある。
[3]ヘーゲル観念論【ドイツ観念論】は、アリストテレスの論理[〈無矛盾律〉とも呼ばれる]を放棄し、新しい論理[いわゆる〈実体的な〉(substantial)論理]を採用することを特徴としている。存在者はもはや非存在者と静的に対立するのではなく、成るへと移行することによって非存在者と一致するようになるとされる。ヘーゲル観念論は、現実のすべての矛盾を、絶対的な理性において解決しようとする。したがって、超越的な原理という哲学の持つ目標や究極の目的においてではなく、それ自体に認識する、内在論的な結果だけをもたらすことになる。
[4]ヨゼフ・ラッツィンガー、「全著作集」(Opera omnia)第Ⅶ/1巻、「第二バチカン公会議の教え」(Gli insegnamenti del Concilio Vaticano II)、「バチカン文書館(出版社)」(Libreria Editrice Vaticana)、2016年、序文(カステル・ガンドルフォ、2012年8月2日)を参照。
[5]回勅「レルーム・ノヴァルム」(Rerum Novarum)27番(1891年5月15日)。
[6]「天主の国[神の国]」(De Civitate Dei)V, 24