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【Fate/SR】サムライレムナント紀行-第七章-【六郷大橋/川崎】

※この記事はゲーム『Fate/Samurai Remnant』のネタバレがあります。

こんにちは、びゅーんです。

サムレム紀行第七回目の舞台は六郷大橋〜川崎太師。サムレムでは一つのマップに対して入口が二つ設けられてる場所が幾つかあり、その内の一つが六郷大橋と川崎大師なのです。盈月録では伊織達が盈月の儀を知る異人達を追うために入ったり、ドロテアとアサシンが霊脈の異常を調べる為に立ち寄りました。

そんな川崎地方のサムレム紀行、今回も色々ご紹介できそうです。

尚、筆者びゅーんは江戸時代の歴史にかなり疎いので、下調べや知識が甘いまま現地に赴いてる場合があります。何卒ご了承の上、お楽しみくださると嬉しいです。

・六郷大橋

サムレムではこのように多摩川に大きな橋がかけられてますが…

実際の六郷大橋を見に行ってみるとこんな感じ!多摩川がすごく大きい川なので橋も一層長く感じられます。そういえば箱根駅伝でも駅伝選手たちがこの橋を走って渡って行きますね。

川崎寄りにはレリーフとモニュメントが。江戸時代からこの辺りに橋が架けられていたことや渡し舟があったことが伝えられているのが分かりますね。

・八丁畷&小土呂橋&田中本陣

サムレムの川崎にも品川と同じように旧東海道があり、川崎宿という宿場があります。サムレム紀行では川崎宿の一部分である田中本陣と、そこから更に続く小土呂橋と八丁畷に焦点を当てて行きます。

まず最初に訪れたのは八丁畷。川崎宿から神奈川方面に続くまっすぐな道が八丁続くことがからこのような地名がつけられました。
サムレムでも田んぼの中に舗装された道があり、実際に歩くことが出来ます。

現在の八丁畷駅。京急線を利用したことある方はなんとなく目にしたことのある駅名じゃないでしょうか。

八丁の距離は言い換えると約870メートルくらい。

続きましては小土呂橋。サムレムでは小土呂町というエリア名があります。江戸時代では町の名前だった「小土呂」ですが、現在の川崎ではバス停や交差点でしかその文字を見る機会がありません。

現在、残されてる史跡の中に「小土呂橋」というものがあり、かつて用水があった場所にかけらていた橋なんだそう。

川崎市内に橋の名残、親柱の部分が残されていました。

サムレムの小土呂町エリアにも用水であろう小さな川に架けられた橋がありました。もしかしてこの橋が小土呂橋…?
因みに盈月録からかなり後の時代ですが、ベトナムから幕府に献上されたゾウさんもこの小土呂橋を渡ったことがあるとか。こんな小さな橋を…ゾウさんが。。

お次は川崎宿の中にある宿泊施設の一つ、田中本陣。川崎で最初に建てられた本陣で、画面の通行人が言うように公家や旗本以上じゃないと泊まれません。

一見立派に見える田中本陣。サムレムでは深く触れられてないですが、当時は中身が伴っておらず口コミはあまり良くなかったそう。「田中休愚」という名主が現れボロッボロの田中本陣をたて直したという話は、盈月録からもっと後の話になります。

旧東海道の途中でも田中本陣の名主「田中休愚」の功績が記された田中本陣跡がありますが…

なんとマンションの目の前!?いや人によってはある意味休める場所なんでしょうけどー!?

・川崎大師

最後に紹介するのは川崎宿から少し外れた橋にある名所「川崎大師」です。八丁畷の時と違い石畳が敷かれてるのが目につきます。六郷大橋〜川崎大師マップの中で栄えてるエリア…ということで良いでしょう。

現在も平間寺に行くまでの道は現在も商店街だったり飴や和菓子スイーツの出店が並んでいたりと歩くのが楽しい雰囲気になってます。写真は平日に撮影したものですが、土日やお祭りの日になると更に活気づくでしょう。

そして閑散としてますが平間寺。浅草寺の時にも感じましたが大きな本堂って、なんだかすごい。

サムレム盈月録では日本橋から追い続けた異人達を追い詰め、彼らの雇い主と本拠地が明らかになりました。

ゲーム画像だと大山門と献香場と大本堂っぽいものが確認できます。そういえばここもサムレムではHPや共鳴ゲージが全快する名所スポットでしたね!

本堂のカラフルな垂れ幕を見てると初詣時期の川崎大師を思い出します。

意外にも川崎地方は江戸時代から伝わる史跡が多く残されていました。特に川崎宿の情報が豊富なので、サムレムとは別に東海道五十三次について学んだり調べるなら川崎はうってつけの場所です。

サムレム紀行もそろそろ折り返し。まだあるのか、まだあります。また次回の記事でお会いしましょう!

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