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長崎いいよ!(今さら)


↑四海樓の長崎ちゃんぽんと餃子


5月の下旬、27年ぶりに長崎へ行ってきた(なんと高校の修学旅行ぶり)。4月の福岡旅行が思いのほか楽しかったので、同じく九州の歴史的都市・長崎もじっくり散策してみたくなり、えいやー!と予約してしまったのだけど、それが結果的に大正解だったってことをとりあえず記録しておこうと思う。

じつは、これまでのわたしの長崎に対する印象はあまりいいものではなかった。というか、わたしの中の「長崎」は一にも二にも「長崎ハウステンボス」だったし、行くだけ損、ひとを馬鹿にしている、というものだったから。

わたしが高校生だった当時、長崎ハウステンボスはまだ出来て5年ぐらいだったと思う。さっそく修学旅行のコースにも盛り込まれたのだけど、まぁ行ってみたらいったい何の目的でできたテーマパークなのか、ご飯も不味ければ花も枯れているで、これという印象の残らない(というかむしろ空しい)、ただだだっ広いだけの施設だった。ときどき自転車に乗ったオランダ人らしき人が元気に挨拶をしてくれるのだけど、わたしたちはどんなふうに対応したらいいかわからなくて集団でオロオロするしかなかった。

最近は運営会社が変わったのか、ホテルもレストランもやや高級路線な感じにリニューアルされ、デートやら家族旅行やらのおかげでかなり繁盛しているらしい。どうもわたしたちは近◯日本ツーリストの策略で(?)いちばんつまらない時期に行かされたのではないかと思う。あの当時、「東北のど田舎のガキどもなら何でも喜ぶんじゃないですか?」的な感じで適当に組まれてしまったのではないか。
 
それ以来、わたしの中の「長崎」は長らくハウステンボスのぶよぶよのミートソーススパゲッティや枯れた花壇で固定されてしまった。まったく客を馬鹿にしている。福島みたいにひどい。

そんなイマイチの印象しかなかった長崎だったのが、こないだ行ったときの印象は全然違った。街のどこを訪ねても味わい深いし、ただ地元の人の行き交うのを見ているだけでも楽しかった。年をとって感動を覚えるものの対象が変わったことも影響したのだと思う。  

この年(45歳)になってみて思うのは、ふつうの景色ほど沁みるな、ということ。荷物を持ってわざわざ出かけていくのに、「ふつうの景色」が見たくてたまらないのだ。長崎の街は、「ハイこれが長崎ですよ」という感じでただそこに存在していた。わたしは頭の中の景色を描きかえたり付け加えたりしながら、観光名所から路地裏まであちこちを見て歩いた。本来的な長崎の姿を知るうちに、ハウステンボスがどうこう、はもはやどうでもよくなってしまった。

東京から行くと、長崎のような街は市街地の規模と自然とのバランスがちょうどいいなと感じる。山にのぼれば市街地の向こうに海が見渡せる。外国のお洒落な船がやってきては去っていく。いろんな人がやって来るのに街はきれいに保たれて侵食されたようにならない。長崎には雑多な人々の往来すらも日常の景色にしてしまう魔法?のような力が働いている(と思う)。広々とした見晴らしが人間の心理にも影響するのか、どこものんびりしていて親切な人が多かった。いったい27年間マイナスに思っていた長崎は何だったのか。今回旅をしてみて、自分は損をしていたな、とつくづく思った。18歳のわたしは純粋だったかもしれないが、旅慣れていなくてどこか視野狭窄だったのだと思う。

行ったことのない街、国に行くのはもちろんドキドキで楽しいけれど、昔行ったきりの場所を再度訪れるというのも、大人になってからの旅の楽しみ方としてはいいものだと思う。ふだんテーマパークには行かない質だけど、いまでは「一度ぐらい生まれ変わったハウステンボスに行ってみるのもアリかな」と、ちょっとだけ気持ちが揺らいでいる。

↑江山楼の皿うどん

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