忙しい=充実なのでしょうか…?
(↑意味なく最近ハマっているぶどうパンを載せてみました)
たっぷり8時間眠ったのでいつもより快調の朝。今日は特に予定もなくのんびりした日曜になりそうだ。
台所のカーテンを開けると、隣の公園で朝の散歩を楽しんでいる年配のご夫婦?が見えた。だいぶ冬らしくなったとはいえ、今日もそこまでの寒さではないので紅葉を見ながら散策するにはよい日和だろう。天気予報を見る限りでは、都内は晴れの日が2週間ほど続くらしい。新宿御苑みたいな気の利いた場所になれば連日人がごった返すにちがいない…というかもうそうなっているか。わたしも週末には友人ふたりと目黒の植物園に行く予定だ。山登りをするほどの体力はもう無いんだけど自然には触れていたいという、都市民の贅沢な欲求を叶えてくれるのが公園だったり、植物園だったり、庭園だったりするのだ。
そういえば、神宮の緑をなくしてしまう話が進んでいるけれど、あれはなんなんでしょうね。土地の開発をするにしても、宅地や商業地以外にある程度の緑が保たれている方が街全体としての価値が高まるような気がするんだけど…プロフェッショナルたちの頭の中はいったいどうなっているのか。建物そのものに色気のない日本の都市部のような場合は、とくにそうではないでしょうか? 森を潰したあとになんかお洒落にデザインされた植え込みみたいのが申し訳程度に作られたりする…という未来がうっすら予想できる。わたしが歳をとっているからかもしれないが、そういう「デザイン」はもうお腹いっぱいだ。まぁ、原宿のあたりは自分のテリトリーじゃないけど、それにしてもお金をかけてわざわざ退屈な場所を作るっていうのがわからない。開発に携わった方々の勲章にはなるのだろうけど。
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さて、師走。普段忙しい人がさらに忙しくなるのはもちろん、わたしのようなパートのおばさん、かつ友人の数がそう多くない人間でも、それなりに忘年会の予定が入ったりしていつもよりは忙しかったりする。年末年始は旅行でも?と一瞬ちらついたけど、悩んでいるうちに航空券はどんどん高くなっていくし、目ぼしい温泉旅館はどこも満室。これは「しゃかしゃかしてないで家にいたらどうか!?」という神様からのお告げかもしれない…というわけで、9連休は「おうち時間」を楽しむことにした。この時期連日お仕事をしなければならない方々もいるのだものね。休みがあるということをもっとありがたいと思わなくては。
福島の父母には、年末年始はいろいろ入り用だろうと思って10万円送金した。自分が帰省して様子を伺うことも考えたけれど、うちの親は貧しさのレベルが一般とは違うので、わたしの往復の新幹線代もなんだかもったいなく思え、えーい、その分も金で送っちまえ!と考えるに至った。
親が貧しい暮らしをしている原因はいろいろあるのだけど、もうわたしはそういう原因探しみたいなことをするのに疲れてしまったので(しても現実が変わるわけではないので)、親がどうであろうと今自分が援助できることができたらとにかくそれでOK、という姿勢で生きることにした。自分だって毎日歳をとっているし、予想より早く死ぬこともあるかもしれない。そのときに「あのときああすればよかった」と後悔することのないようにしておきたい。
年末年始は、新しい一年について想いを馳せるだけじゃなくて、自分の人生についてもあれこれ考えをめぐらす時間でもある。内心ムカムカしていることや予定通りにいかなかったこともたくさんあるけど、この一年は結構充実していた。「自分は今こうするべきだろう」、と思ったことをある程度はやれたのだと思う。そのどれもこれもが日々のどうしようもなく小さな出来事(=決断?)だったわけですが。もう記憶にもないようなこともこの一年を形作っているんだと思うと、なんとも感慨深いですね。