【ベトナムエッセイ#3】サバを読む
ベトナムに来てすぐの頃、覚えたてのベトナム語を使いたくてたまらなかったわたしは、マンションのバオベーさん(警備員)や市場のおばちゃん、セオムのおじさんに果敢に話しかけていた。
ベトナムでは相手の年齢や性別によって人称代名詞を使い分けなければならない。自分より年上か、年下か、それによって呼び方が変わってしまうものだから、正確に相手の年齢を把握することは、ベトナム語を話す上でとても重要である。
当時、既に30代だったわたしではあるが、もともと目力が強い濃い顔だったこともあり、かつ、ぼられないように日々ベトナムに馴染む努力をしていた甲斐もあって、日本人であると見抜かれることはほとんどなかった。パーカーのフードを被った上にヘルメット、市場で買った布マスク、常にピッタリしたデニムを履き、お金は折りたたんでポケットに、足元は年中ビーサンというのがいつものスタイル。そうそう、どこに行くにもリュック、というのも外してはいけないポイントだ。
そんな姿でバスやセオムを乗り継いで大学に通っているもんだから、近所の人も学生か何かだと思っていたらしい。夫と出かける休みの日、タクシー乗り場で小綺麗なワンピースを着たわたしがにっこり挨拶をしても、馴染みのおばちゃんは「はぁ?」といった顔でこちらを凝視するばかり。なんだかとても恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
要するに、何が言いたいのかと言うと、わたしはいつも小汚い格好をしている学生さん=若者だと勘違いされていた、と言うことだ。
おじさんも、おばさんも、赤ちゃんをあやしている奥さんも、わたしのことを初対面で「em」と呼んだ。em とは自分の弟や妹の世代に対して使う人称代名詞で、年下を呼ぶ時に使われる「あなた」である。
ベトナム語では相手によって一人称(わたし)の言い方も変わってくるので、わたしも自分のことを「em」と言い、若いふりをしたまま問題なく日々は過ぎていった。
さて、時は移りわたしは40代に。それなりに貫禄も出てきた(はずである)。
ローカルマンションから外国人が多めのレジデンスに引っ越し、子どもと一緒にいる時はあまり小汚い格好をしなくなった。かといって、お洒落な奥様というわけでもないが、子どもといる時は外国人である事がバレるようになってきた。(日本人だと見られているかどうかは定かではない)
スーパーの店員さんやタクシーのドライバーさんも明らかにわたしより年下である事が多いし、働いていた会社でも同僚たちは一回り、いや二回り若い子達ばかり。「chi」と呼ばれる機会が増え、わたしも自分のことを「chi」と呼ぶことに慣れてきた。「chi 」とは自分の姉くらいの人に使う「あなた」である。(本当はおばさんを意味する「co」と呼びたいところだろうが、同僚たちが気を遣ってくれている)
そんな矢先、久々に「em」で呼ばれる出来事があった。
その日は運動をする予定があり、ジャージ、パーカー、リュックという出立ちでバイクタクシーに乗った。1区までならジャージはカバンに入れて持っていき現地で着替えるのだが、行き先が4区だったこともあり油断した。ドライバーがやってきた時点で、既にサングラスをかけてスタンバイしていたのも大きい要因だったかもしれない。
名前と行先を確認し、ヘルメットを受け取ってバイクに乗る。あまり愛想の良いドライバーではなさそうだ。目も合わさず、ブスッと携帯を睨んでいる。これはハズレかもしれない。運転が荒くないと良いなと思っていると、ドライバーは乗ってすぐに「ベトナム語がわかるか?」と聞いてきた。たまに若い学生が小遣い稼ぎをしている場合、外国人と話したい欲が溢れ出てしまい、英語で話しかけてきたり、カタコトの日本語を披露してくれる場合があるが、彼の場合は違っていた。
少しわかると答えると、キャンセルしてくれと言う。バイクタクシーの運営会社に払う手数料をケチりたいんだろう。客を捕まえてからキャンセルしたことにしてしまえば、わたしが払った分を全部自分のものにできる。運転しながら手際良くgoogle mapを開いて行先を入力し、ちゃんと送るから大丈夫だ、キャンセルしろと言う。わからないふりをして「なんで?」と聞いてみたが答えがないので、念のために画面を保存し、言われるままにキャンセルをした。こんな不躾にキャンセルを要求してくる人も珍しい。感じが悪いが、断るのも怖いので、何かあったらいつでも逃げ出せるように覚悟を決めた。
ところが、外国人であるわたしが彼のいうことを理解し、言われた通りにしたのが嬉しかったのか、気を良くした彼は急に態度を変え、目的地に着くまでの間ずっとわたしに話しかけてくることになる。さっきまでの仏頂面はどこに行ったのか。別人のようにニコニコ笑いながら、結構な安全運転で進むドライバー。安心して良いのか、半信半疑のまま、いつもは持たないグラブバーをガッチリ掴むわたし。
そんなわたしの気持ちなどお構いなしに、ドライバーが話しかけてきた。そこで使われたのが「em」だった。
初めに「ナニジン?」と聞かれ、日本人だと答えると、「日本製品は良いよね、でも高くて買えないから、仕方なしに中国製を買うんだけどさ…」と突然始まった会話。適当に相槌を打っていると、突如「君(em)、学生?働いているの?」という衝撃の質問。いやー、久々に聞かれたこの一言。10年前は良く聞かれたけれど、まさか40代で聞くと思わなかったフレーズに思わず吹き出しそうになる。
さっき携帯を操作していた時にチラッと見えた待ち受け画面に、幼稚園生くらいの娘さんの写真が出ていたので、彼は30代前半くらいだろうか?そんなに若くないと察してもらおうと、「夫がこっちで働いているんで」と答える。すると、「学生かと思ったよ。ベトナム語どこで勉強したの?ベトナムに住んで何年?」というお決まりのこの流れ。わたしを年下だと信じて疑わないその姿勢、ますます言いにくくなる。
正直に話すと、えっ?そんなに年上?って気まずい思いをさせそうだと、変に気を遣って滞在歴を短く言ってみる。ベトナムでは年上を敬う文化が根付いている。一回りも上の人にemと話しかけていたなんて、彼に気づかせてはいけない。
あぁ、あの質問が来る前に家に着きたい、あと5分、話題をそらそう。そう思っていると、目的地が見えてきた。あそこで下ろしてくださいとわざわざ言わなくてもいいのに、事細かに指示を出し相手に話す隙を与えずに目的地に到着。ほっとしながらバイクを降りてヘルメットを返す。こういう時はさっさと行ってしまうに限る。
ところが、急いでお金を渡そうとしたタイミングで、ついにあの質問をぶつけられてしまった。
Em bao nhieu tuoi? (君、何歳?)
うわー、来た!どうしよう。咄嗟にわたしの口をついて出た数字、それは…
32。
サバを読んでしまった。自分が若く見られたいとか、そんな気持ちは全くなく、むしろ40代を謳歌しているこのわたしが、ドライバーが気まずくならないようにという理由だけで、10年も前の年齢を口にする日が来ようとは。
えー、若いね。22かと思ったよ。
嘘つけ!と思いながら、ここで絶対にサングラスを外してはいけないと、お金を渡してそそくさとその場を立ち去ったのだった。
あとに残ったのは、何とも言えない後味。
もう多分二度と会わないであろうドライバーのために、こんな想いをする必要はあるのだろうか。でも、本当の年を言った後の空気の方が耐えきれなかったはず。そう思いながらも、頭の中で同じ言葉がぐるぐると巡る。
「サバを読んだ、わたし、32って言った…」
罪悪感にも似たこの気持ちを引きずったまま、エレベーターに乗ると、目の前に現れたのはドアに映る怪しい自分の姿。
そりゃ奥様はこんな格好でバイクタクシーに乗らんわな。
納得すると同時に、もう少し身だしなみに気をつけようとしみじみと思った出来事である。