【疎開日記2021】#20 待ちぼうけの4連休
9月4日(土) 疎開生活96日目
連休中の土曜日なのに、自宅で警察が来るのを待っている。
いろいろなことがあり過ぎて、感情の起伏が激しい日々。止まることのないジェットコースターに乗り続けているようだ。
先週までの状況を確認すると…
・ブンタウは不要不急の外出禁止、買い物には出られる。夜間(18時から朝6時まで)は完全に外出禁止、店も閉まるし、外出すると罰金も。
・買い物には出られるが近所にはミニスーパーとコンビニ一軒ずつしかなく、7月からほぼ商品が入荷していない状態。毎日仕事帰りの夫が店を見に行くが、週に一回いくつかの野菜が手に入るかどうか。
・タクシーなどの移動手段はないが、20分ほど歩けば大きなスーパーロッテマートへ行くことができる。が、行く途中にも感染者が出て封鎖された場所があり、誰も歩いていないのと、人がいなくなって山から猿が降りてきているので、歩くのはちょっと不安。
また入場制限があるとはいえ、大きいスーパーでは不特定多数の人が出入りする。感染の可能性が高くなるので極力行きたくない。が、食べ物がなくなるのは困るので、1、2週間に一回買い出しに行く。ロッテマートでも売り切れていたりする物が多く、手に入るものは限られている。
もう数ヶ月、満足に食材が手に入る状態ではなく、肉は見かけるたびに買って冷凍、野菜類もあるものを買い、茹でて冷凍できるものは冷凍と、備蓄に備蓄を重ねてきた。牛乳や卵も見かけたら、買えるだけ買うし、食べられる時に食べておく、そんな毎日。
ところが、こんな状態にさらに追い討ちをかける出来事が。
まず、ロッテマートの閉店。確か25日水曜日の出来事。頼みの綱だったロッテマートが、軍隊への供給を優先するという理由で閉まってしまった。ダメージ70%
ロッテマートに行けなくなったから、もう残されたのは、近所のスーパーとコンビニのみ。ほとんど入荷されないけれど、そこでしか買えないのだから、ここでどうにかするしかない。
そんなわけなので、ロッテ閉店の情報が入った日、夫に会社帰りに(寄り道は本当はダメだけど)会社近くのスーパーによって買い物をしてきてもらった。ベトナムのコストコみたいな所だから、がっつり買って持って買えることを期待していた。なのに、野菜も肉もほとんどなし。
こんな状態。↓
かろうじて残っていた一本の大根
買いたいダラットミルクは売り切れていた
違うメーカーの牛乳はラスト3本
思った以上に商品が少なかった。夜間外出禁止に合わせて営業時間も短いので、閉店一時間前に行っても商品はないのだった。がっくり。
ロッテに行けないのはやはり相当なダメージだ。けれど仕方がない、いつものように近くのミニスーパーをのぞいて、あるものを買って細々とやっていくしかない。
…と思っていたところに部屋の管理人さんから連絡。
「マンション向かいのスーパーで感染者が出たから、絶対に行かないように。」
………。
ということは、あれか?
野菜を買いには行けなくなった、そういうことね。ダメージ90%
それでも、コンビニがある。カップヌードルは買えるかな。あとちょっと買い込んでおこう、この前入荷していた時に買っておいたけれど、まだ買い足しができるかもしれない。ごくごくたまに卵と豆腐も入荷するし。
気持ちをなんとか奮い立たせる。大丈夫、大丈夫。
そこに管理人さんから、最後の追い討ち。
「近所でいっぱい感染者が見つかってるから、マンションから外出禁止令が出たわよ。」
なんとまぁ、マンション独自の外出禁止令ですと。じゃ、どうやって食料を調達して食べていけばいいのか。
ダメージ100、ゲームオーバー!
ロックダウン前に買い込んだ状態からの引きこもり大作戦ならいざ知れず、すでに備蓄が尽きかけている状況からの籠城、期限なし。頭がクラクラする。
あまりのダメージに「帰国」の文字が浮かんでは消え、浮かんでは消え…
翌日は朝から、冷蔵庫に残されたわずかな野菜と冷凍庫のお肉、今あるものをノートに書き出し、何日分のご飯が作れるか献立を考え続けた。だめだ、頑張ってもあと1週間。それで野菜類はきれいさっぱり無くなってしまう。少しの肉と米と小麦粉とパスタ、主食しか残らない。
どんよりと重い気分で1日を過ごした金曜日、買い物に寄らないのでいつもより少し早く夫が帰宅した。わたしを生き返らせる魔法の言葉とともに。
「ロビーに野菜売りが来ている。おばちゃんが何かを売っている。」
どうやら、誰かの手配で移動販売のようなものがマンションのロビーで始まったらしい。早速ロビーへ向かう。
何のお知らせもなかったので、もう残りはわずかだったけれど、いくつかの野菜が買えた。復活、わたし復活。おめでとう。
野菜が買える、どうにかなる。しかも、今日はなかったけれど、他にもいろいろあったらしい。全然入荷しないスーパーよりも買えるものが増えた。結果オーライじゃん。今度もっと買いに行こう。明るい気分で週末を迎えた。
週末は野菜売りはいなかった。きっと週末休みなのだろう。
ギリギリのところで希望の光を見つけ、辛うじて平静を保っているわたしにまたもやダメージを与える出来事が。
土曜日、朝起きると、隣の部屋から大量の蟻が隣の部屋から引っ越してきていた。玄関ドアの横の隙間からぞろぞろ並んでやってきたのは、我が家の食卓の裏。
慌ててスプレーを吹きかけると、ワラワラと数百匹がテーブルの裏から這い出してきた。
しかも、卵を持って。(以下、写真あり、閲覧注意)
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大きい写真を貼り付ける勇気がなかった…
もう、次から次にイベント目白押し。気持ちが揺さぶられすぎて、眩暈がする。
蟻と戦う土曜日、夫は出勤している。
娘の手前、蟻なんかにギャーギャー言ってられない。お母さん頑張るよ。粛々と退治しては片付けるという作業を続けた。
けれど、これだけで終わりではなかった。
ベトナムは連休が少ない。9月2日の建国記念日は今年最後の祝日だ。今年は木、金、土、日で4連休。年に数回しかない連休、貴重なお休みだ。
外出禁止だけれど、楽しみな家族で過ごす休み。何をしようかとみんなで計画を立てる。娘を楽しませるために惜しみなく努力するわたしたち夫婦。4日間も家にお父さんがいると大喜びの娘。
ただ一つ心配なのは、連休中の食料だ。マンションに来た移動販売で多めに買っておかなければ。
そう思っていた月曜日、移動販売はもう終わったことを知らされる。
ガーン、連休で我が家の食べ物はすっからかんになること決定。
再びどん底へ叩きつけられる。一度気が緩んでしまったせいで、今回の衝撃は大き過ぎる。不安が一気に押し寄せる。どうしたらいい、どうするの、切羽詰まった状態で夫に迫る。夫に言っても仕方がないのはわかっているけれど、もう止められない。誰かに吐き出さないと潰れてしまう。
わかっている。世界には今日食べるものにすら困っている人もいると。アフガニスタンやミャンマーの人々のニュースを見るたび心がギュッと締め付けられる。比べる話じゃないけれど、我が家は毎日笑って生きていることを感謝している。
今すぐに飢えて死んでしまう、そう言うわけじゃないけれど、食べる物が手に入らない不安と戦い続けてきた日々で、心がかなり参っていた。
買い物ができないことがわかってはいたけれど、毎日ご飯を作っていない夫、どこか他人事だったらしい。わたしがこんなに追い詰められているとは思わなかったらしい。これはヤバいとスイッチが入った。
どうやって食料を確保したらいいか、会社を通して管理人さんに連絡を入れ、会社の人も協力してくれて、詳しくはわからないが、必要な物を申し込むと誰かが買って持ってきてくれることになった。買い物代行?どこで買うのか、何が買えるのかわからないけれど、とにかく食材が手に入りそうな話になってきた。夫グッジョブ。
良かった。またまたどん底からの復活。
もう落ちたり上がったりの繰り返しで、訳がわからない。とりあえず水曜に頼むと木曜に持ってきてくれるというので、思いつく限りリストを作って買い物を頼むことにした。
で、これだけじゃないんだな。
いよいよ明日から連休が始まるぞ、という9月1日(水)、午後4時過ぎに夫から電話がかかってきた。
「F1になっちゃったって。警察から連絡が来た。
隔離施設に連れて行かれるかも知れないから、荷物用意して。」
F1というのは、濃厚接触者のこと。ベトナムでは感染者をF0と呼び、その人と接触があった人がF1、F1と接触した人はF2、その接触者がF3、、、というように分けている。F0は病院へ連れて行かれ、F1は隔離される。
どうやら、近所のスーパーの感染者というのはレジの人だったらしく、買い物に行った人は濃厚接触者扱いになるとのこと。
夫が最後に買い物に行ったのは1週間も前のこと。全く症状はないけれど、F1、感染している可能性があるということで隔離の対象となったのだ。
隔離か、今でもほとんど隔離されてるのと変わらない状態だけれど、改めて言われるとドーンと来る。
もうこのジェットコースター、起伏があり過ぎて大変。
ホーチミンは感染者が増え過ぎていて、もう隔離施設がいっぱい。それで、F1でも自宅隔離ということになっているらしい。でも、ここブンタウではまだしっかり隔離される。
隔離施設は他のF1と合同生活。1日8万ドンで14日間、2週間後にPCR検査で陰性になったら帰宅できる。二段ベッドがずらっと並んだ学生寮のようなところをイメージしているけれど、実際はどういう場所かわからない。
参考までに↓
https://twitter.com/imajun/status/1434132607646593026
流石にこれは無理だと思うので、ホテルでお願いするとなると1日200万ドン、一万円くらいかかる。会社が出してくれるだろうか。
夫がF1ということは、わたしと娘はF2扱い。どこまでが隔離対象かわからないけれど、連れて行かれる可能性も考えて荷物をパッキングする。最悪、感染しているけれど無症状って可能性もある。どこにも出ないで部屋にいるだけなのだから、必要なものはそう多くない。
けれど、今日の夕飯はどうしよう、冷蔵庫の中の物も出来るだけ片付けておかなければ。頭をフル回転させて、あれやこれやバタバタと動いていたら夫が帰宅。
「今日は来ないみたい。明日の朝に警察が来て、どうなるか判断されると思う。」
ほっと一息、まずは夕飯を食べて、次のことを考える。
今日着ていた服は夜のうちに洗濯してしまおう。着て行く洋服を出しておいて、朝ごはんはあれを食べて、朝出かける用意をしたらあれとあれをしまって…
ドキドキしながらも、こうなったらもう流れに身を任せるしかないと覚悟する。
ポジティブに、ポジティブに考えられるところはないか…
そう!ホテル隔離になったらバスタブがあるかも知れない。
ひゃっほーい!久々にお風呂に入れるぞ!
あ、隔離中は食事がついている。
2週間、食料確保の悩みから解放される!
ここにいても隔離されてるようなもんだ。
ホテルに行けるってことは、気分転換。プチバケーション!
あれやこれやと無理矢理考えて、とにかく眠る。明日何があるかわからない。体力を保持しなければ。
そんなこんなで夜が明けて、連休初日の木曜日。待てど暮らせど警察はやって来ず。
そっか、連休だもんね、来ないよね。(ベトナムあるある)
そこへピンポーンと管理人さん登場。頼んだ食材を持ってきてくれた。
悩んで悩んで、小松菜、ほうれん草、もやし、オクラ、トマト、、、いろいろ頼んだけれど、届いたのはこれだけ。
しかも卵はアヒルの卵だった。黄身多めでオムレツにしても全然フワフワになんないやつ。でも、有り難くいただきます。
これで、またどれだけ生き延びられるだろう。何が作れるだろう。
警察がいつ来るかわからないので、ご飯もどこまで待って作ればいいのやら。結局夜になり、パッキングした荷物から翌日の着替えを出し、パジャマを出し、歯ブラシを出し…
結局、そんなことを繰り返すこと2日。今日は連休3日目の土曜日。未だ誰も来ず。
待ちぼうけ♪待ちぼうけ♪
連休中にやろうと考えていたいろいろなことができないまま、いつ来てもいいように朝から外出できる用意をして、じっと映画を見続けていたけれど、もういいや、好きなことやるよ!
部屋着に着替えて、汗だくになって一緒に遊ぶ。娘が考えた「にゃんまるゲーム」で家の中を這いずり回る夫と娘を眺める。
こういう時間が幸せだとしみじみ感じる。
夫が原案、みんなでルールを足して、トライアンドエラーを繰り返しながらのボードゲーム作成。まだまだ改良の余地あり。
みんなで一つのものを作り上げる楽しさ、引きこもり生活でもやればできるもんだ。
次に娘が描いたイラストをもとに、お話作り。たぬきと「へそ取り」が戦う話。それを元に持っている画用紙を貼りつけて巨大すごろくを作り始めた。
せっかくの4連休が残り1日となってしまったけれど、今からエンジン全開!遊ぶぞ!
連休明けに警察が来ても、もうその時はすでに接触したとされる買い物の日から12日くらい経っている。今更隔離もないだろう。PCR検査と数日の自宅隔離だけで終わらないだろうか。
スーツケースに荷物をしまったまま過ごす連休なのだった。
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