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1,衝動に任せた旅立ち:キューバでのカルチャーショックの幕開け
キューバへの旅立ち
2019年、当時大学3回生の私は、ピアノ専攻の学生だった。小さな頃からピアノは私の全てであり、毎日数時間練習に励んできた。だが、その年の大きなコンクールを終えた直後、精神的な疲労がピークに達し、燃え尽き症候群に陥っていた。これ以上ピアノに触れ、音楽と向き合うことにストレスを感じるようになり、指が鍵盤を触れるたびに罪悪感が押し寄せた。自分の存在が音楽の中にしか見出せず、ピアノを辞めたいという気持ちと、ピアノ以外は自分には何もないという葛藤と不安が毎日襲った。同時期に祖母と愛犬を亡くし、ストレスで胃に穴が開くほどであった。
そんな中、Instagramで偶然目にしたキューバの写真が心に強く響いた。鮮やかな青空の下に並ぶカラフルな建物、道を走るクラシックカー、活気に満ちた市場の様子──これらの風景は、まるで私を誘っているかのようだった。「ここなら、何か変われるかもしれない」。強い直感が芽生え、私は即座にキューバ行きの航空券を検索し、予約をすることにした。思い立ったが吉日、何もかもを捨てて冒険に出る覚悟が決まったのだ。
キューバはカリブ海に浮かぶ小さな島国で、アメリカから南にわずか150キロという距離に位置する。冷戦時代には社会主義国家として西側諸国と対立し、今でもその体制は続いている。しかし、2019年当時はアメリカとの国交正常化が進んでいて、観光業が少しずつ盛り上がりを見せていた。それでも、当時のキューバには独特の魅力が残っていた。クラシックカーが走る街並みはまるで時間が止まったかのようで、そこには「キューバらしさ」が息づいているように感じられた。
私の心を急かせる理由は、アメリカの影響でキューバらしさが薄れてしまう前に、この国を体験したいという思いだった。そんな期待感の中、航空券を予約した後、次の問題に直面する。キューバに入国するにはビザが必要だったのだ。ネットで調べてみると、東京のキューバ大使館で取得できることは分かったが、具体的な手続きの情報はほとんど見つからなかった。「郵送で申請すれば大丈夫」と書いてあるブログもあったが、実際の流れは不透明で、焦りが募った。航空券を購入したのは衝動的だったが、ビザの手続きは慎重に進める必要があった。
結局、私は急いで必要書類を整え、東京のキューバ大使館に郵送した。日々不安が増す中、待つこと数日。出発の数日前、ついにビザが手元に届いたときは、ほっと胸を撫で下ろした。もしこれが間に合わなければ、この旅が実現しなかったかもしれない。
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出発日は2月。寒さの厳しい日本を離れ、関空から仁川、カナダのトロントを経由して、ハバナを目指した。往復の航空券は約10万円、滞在期間は1ヶ月、現金は10万円だけを持って行くことにした。荷物の準備は入念に行った。必要なものはすべて詰め込み、特に現地で困らないように事前にGoogleマップをダウンロードしていた。これは、旅行に出る際の慎重な性格が後に役立つことを予感させる瞬間でもあった。
日本を発つその日、準備を整えた私は、大きめのスーツケースと手持ちのリュックサックを引き連れて関空に向かった。すべてを詰め込んだスーツケースには、これから始まる旅への期待がぎっしり詰まっている気がした。いつもなら旅の出発はワクワクする瞬間なのに、この時は胸の奥にほんの少し不安が残っていた。
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飛行機が関空を飛び立ち、最初の乗り継ぎ地である仁川空港に到着。空港の広さに驚き、周りを見渡せばあちこちに広がるハングル文字。英語と日本語しか分からない自分にとって、読み取れない文字が並ぶ光景は不思議で、少し緊張感を覚えた。どこに向かうべきかを慎重に確認しながら、次の便へと乗り継ぎを進めていく。
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仁川空港を後にして、いよいよトロントへ。飛行機が高度を下げるにつれて、外の景色に見慣れない風景が広がり始めた。窓の向こうには氷河が光を反射し、雪に覆われた山々や河川が現れて、普段の生活では感じることのない壮大な自然が目の前に広がる。その非日常的な景色に思わず息をのんだ。心の奥底に眠っていた「旅が好きだ」という気持ちが、少しずつ蘇ってくる。異国に飛び込む期待と高揚感が、やがて不安を押しのけ始めていた。
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この旅が私に何をもたらしてくれるのかは、まだわからない。ただ、トロントの空港に向かう飛行機の窓から広がる白銀の景色を見ていると、これまで自分を追い詰めていたピアノのことが、少しずつ遠くなるような気がした。しかし、まだその変化に気づくには早かった。
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トロント空港に着くと、心の中にあった期待感と緊張感が入り混じる。ターミナル内は明るく、効率的に動く人々が行き交っていた。空港内の夕陽が綺麗な光景に衝撃を受け、母にその写真を送ったことを覚えている。
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そして、ハバナ行きの便に乗り込むことになった。これまで見てきた韓国、カナダの窓からの景色とは違い、次第に都会とは程遠い、キューバの首都ハバナの景色が見えてきた。街灯が少なく、真っ暗だった。この場所で一ヶ月間過ごすのか、という不安と、何か楽しいことが起こるかもしれないという少しの期待が押し寄せた。
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そして、数時間後、ついにキューバの地に降り立った。到着したのは真夜中。空港は想像以上に暗く、ほとんどの電気が消えていて、蛍光灯のわずかな明かりだけが辺りを照らしている。まるで使用されていない公民館のような不気味さが漂い、心細さが増していく。アジア人はほとんど見当たらず、異国の地にひとり取り残されたような感覚に襲われた。
まだキューバの地に慣れていないということもあって、すべてが不安材料に感じられた。空港の冷たい空気、湿度の高いジメジメとした気候。初めて訪れるこの国で、タクシーを探さなければならない。空港の外へ出ると、数人のタクシー運転手が声をかけてきたが、英語は通じず、すべてスペイン語。事前に聞いていた通り、キューバでは英語がほとんど通じないという現実をすぐに思い知ることになる。
無理に手を引こうとする運転手たちを避け、周囲を見渡していると、ひとりだけ静かに佇む運転手が目に入った。彼は他の運転手とは違い、強引に話しかけてくることもなく、ただ客を待っているようだった。少し迷ったが、その冷静さに惹かれて彼に声をかけることにした。
宿の住所を見せると、彼はすぐに理解した様子で、何も言わずに車のドアを開けてくれた。その瞬間、私の心の中に小さな安堵が広がった。無事に宿にたどり着けるかもしれない、そう思ったのだ。
タクシーの中に乗り込むと、車のシートは古びていて、少しガタガタしていた。しかし、運転手はスムーズに運転を始め、次第に暗闇の中に光る街灯が見え始めた。車が走り出すと、外の景色が流れていく。古い建物や、どこか懐かしい雰囲気のあるストリートが目に映り、心の中の期待感が少しずつ膨らんでいった。
これから始まる冒険に胸が高鳴る。キューバでの新しい経験が待っている。その期待が、私をさらに突き動かしていた。
けれど、これはまだ旅の始まりに過ぎなかった。翌朝に待っていたのは、さらに強烈なカルチャーショック。食事にハエがたかっている光景を目にし、そのショックで次の3日間、食事を取ることができなかった。
つづく