実話 とんかつの母②
──クリスト(1935~2020)。ブルガリア王国出身、アメリカ国籍の芸術家。彼の作品は「梱包」を主とする。家を、美術館を、橋を、海岸を梱包し「芸術とは何か?」と我々に問いかける。
そんなクリストが1980年代半ばのある日、日本をロケハンしていた。
「(想像)次はどこを梱包しようかな~ アッ!ここだ!!」
その頃わたしはすっかり大きくなって10歳。当時はファミコンが大ブームだ。「ファミコン買って~」のコールにレスポンスした母が買ってくれたのはMSXだった。
「ウワー!」
火がついたように泣きだすわたし。
「ウワー!!」
と泣きながらも「ぽんぽこパン」や「ピポルス」や「ファーマー」や「窓拭き会社のスイングくん」や「聖拳アチョー」といった当時のゲーム雑誌には絶対に攻略情報が載らず無視されレトロゲームが一つの文化として語られるようになった現在でも全く語られる様子がないタイトルがダサいゲームばかりをブチ切れてやり込みまくって気がつけば、寝たふりして夜中までゲームをやるような少年になってしまっていた。お父さんお母さん申し訳ありません。
晩秋、父が出張で家にいない日の深夜0過ぎのこと。
これ幸いとタイトルがダサいゲーム攻略に勤しんでいたところ、
「ピンポーン…」
玄関のチャイムが鳴った。
父が出張先から帰ってきたのとは違うと分かる。もし父ならば、庭に駐車する車のタイヤが砂利を弾くジャリジャリという音がまず聞こえてくるはずだ。
「ピンポーン…」
怖い!わたしは反射的にテレビの電源を切って寝たふりをした。程なくして母が寝室の障子をシュッと開け廊下を歩く音が聞こえてくる。
「ピンポーン…」
「はーい?」
母が応答した。カラカラ…と玄関が開く音がして、何やら話が始まったようだ。
「…すみません……。」
「……本当に申し訳ございません……。」
知らない声がする。若い女の人のようだ。断片的に話は聴こえるが、内容は全く分からない。
ただ、女の人は泣いているようだった。
わたしは聞き耳を立てているうちに寝入ってしまった─────
次の日の朝、玄関がビショビショに濡れていた。
わたしは「タクシー停めて墓地までと乗ってきた女が墓地着いたら消えていて後部座席がびしょ濡れだった」という有名な怪談を思い出しますます怖くなった!
おそるおそる「昨日の夜なんかあったの?」
と母に訊くと
「びしょ濡れの女の人が来たがらパンツとズボン貸してやったんだ~ 酔っぱらって川さ落ちたんだっぺ。」
と言っていた。
「それ幽霊だっぺよ!」とわたしが言うと
「タクシー呼んでやって町さ帰したがら大丈夫だっぺよ~」
とのこと。
へえ~あんな夜中に川に落ちるなんて大変だなあと子どものわたしは素直に思った。
「それより昨日の昼間もっとおっかねえ事があったんだ~。」と母は続ける。
「田んぼに居だら白人の男の人が追っかげで来て『この土地貸してくださ~い』って言うんだ~。」
おっかねえがら逃げできちゃった。とのこと。
意味が分からなかった。
その時は。
──それから数年後の1991年。わたしは15歳になっていた。すると、町中に貼られたチラシ。テレビの宣伝。
世界的に著名な芸術家・クリストによる「アンブレラ展」がカリフォルニアの砂漠地帯と茨城県の田舎地帯で同時開催!!
クリストは数年前から地元住民に協力を仰ぎ、土地に巨大な傘(H6m、直径8.7m)を展示させて貰う下準備をしていたという。
あっなんか意味が分かった!
その数なんと1400本!
やっぱり意味が分からない!
中学校の体育祭で恥ずかしい「アンブレラ音頭」を踊らされた!
ますます意味が分からない!!
それを工藤静香が観に来た!
本気で意味が分からない!!これは現実なのか?
そしてこれが「芸術とは何か」を考えるということなのか?
───アンブレラ展はカリフォルニアでの展示中に強風で傘が倒れ1名が死亡、数名が負傷した事故により1ヵ月の展示予定途中で日米ともに中止になった。日本での傘の撤去作業中に重機が高圧線に触れ1名の作業員が亡くなった。 完
時は戻る。母が嬉しそうだ。
「こないだパンツとズボン貸した人がパンツとズボン返してくれたんだ~。」
「ちゃんとクリーニングしてお金もいぢまん(一万円)くれだんだ~。」
母が貸したというパンツとズボンは、祖母のパンツ(ズロース?)と、父のスラックスだった。
つづく
(おまけ①)
しかし女の人、ウチは
・駅から徒歩2時間
・スナック、居酒屋は駅周辺に少しあるだけ
・周辺にコンビニ無い ていうか店がない
・街灯ない
・国道から遥か横道に入った集落なので住民以外まず通らない
という環境なのに酔っぱらって徒歩でうちまで来てうちの前の小川にドボーンと落ちたというのはどういう状況だったんだろうと今は思う。
まあ色々と察する。
(おまけ②)
おまけ 完