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レザールフロリサン 春の音楽祭レポート
この秋に来日が予定されているレザールフロリサン。久方ぶりの日本公演なので、期待している人も多いはず。今回はバッハと発表された時、「なぜフランスものではないのか」という問いも多く見られました。実はレザールフロリサンは今、数年かけてバッハサイクルを続行中なのです。バッハだけではなく、その周辺も含めてバッハを浮き立たせようというプロジェクトです。日本でフランスものが聴けないのは確かに残念ですが、フランスでのバッハ解釈を知るよい機会になると思います。
ティレの春の音楽祭
昨夏、ウィリアム・クリスティの家と庭園のある仏西部ヴァンデ地方のティレで毎年行われている音楽祭を写真リポートしましたが、7年前から、春の、イースターの時期にも小規模な音楽祭が開催されています。今年は4月28日から30日の3日間の日程で行われました。
今年は、午後の庭園散策の時間には素晴らしい好天に恵まれ、庭の緑もひときわ冴えていました。しかしこの時期は通常、天候が不順なため、夏とは違って全て室内(教会内)でのコンサートとなっています。
春の音楽祭のプログラミングは、クリスティと共にレザールフロリサンの共同音楽監督を務めるポール・アグニュー Paul Agnew が担当しています。毎年1人の作曲家をテーマにしていて、今年はヘンリー・パーセル Henry Purcell でした。
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パーセルの小規模曲を5つのコンサートで俯瞰
パーセルというと、古楽を演奏する人以外には、オペラなど劇場で演奏される音楽や、アンセムなどセレモニー用の合唱・声楽曲のイメージが強いのではないでしょうか。しかし今回の音楽祭では、教会という限られたスペースで演奏できる小規模な楽曲や宗教曲*を多く取り上げていました。それぞれのプログラムは、パーセル作品に周辺作曲家の作品を加えて、様々な国のスタイルに影響を受けた彼の多彩な作風を俯瞰するもの。多くの作品を集中的に聴くことで、パーセルの表現様式の幅の広さと、新旧の作風を行き来する自由闊達さに改めて驚かされました。
コンサートは5つ。Promenades sacrées* と銘打った夜20時からの「大コンサート」3つと、土・日曜日の朝11時からの「コンサート&カフェ」です。
*sacré(聖なる):フランス語では、あるいは広く欧州文化圏では、教会などの宗教的シチュエーションで演奏される目的でなくとも、宗教曲にインスピレーションを受けた作品は一般に Musique sacrée と呼ばれます。(語彙としての sacré には必ずしも宗教的な意味があるとは限りません。) 例えばベルリオーズやヴェルディの『レクイエム』は、鎮魂ミサの形式を借りつつも内容的には強いドラマ性が前面に打ち出されており、これが実際のミサで演奏されることはほとんどありません 。これらの曲がよく、演出のないオペラと言われる所以です。しかし典礼テキストに基づいているためジャンルとしては宗教曲となります。
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王室チャペルのためのアンセム
パーセルの時代の Musique sacrée は実際に教会で演奏されたものでした。4月28日のオープニングコンサート(ポール・アグニュー指揮)は、王室チャペルのためのアンセムを集めたもので、宗教的な雰囲気が最も伝わるコンサートでした。最初の曲 Rejoice in the Lord Alway の後は、短調の内向的な曲が続き、最後の My heart is inditing で外に向かって喜びが爆発するという組み立て。このような選曲と曲の配置は意図的なものだと思いますが、憐れみや宗教的な恐れを歌ったものが多く、曲の性格があまりにも内面的で、コンサートが進むにつれて陰鬱な気分になることは否めません。
歌詞も、
Spare Thy people... ;
Let me eyes run down with tears night and day... ;
We looked for peace, and there is no good... ;
Man that is born of a woman / Hath but a short time to live, and is full of misery... ;
Shut not Thy merciful ears unto our prayers...
などという文句が連なっています。特に Shut not Thy merciful ears... 以下同じ詩句が出てくる曲を2曲連続して演奏し、痛みの度合いが増すような構成になっています。
そのような気分になるのはまた、演奏がそれぞれの曲の核心に迫るもので、悲痛な心の苦しみを描いた暗いトーンの宗教画を見ているような錯覚に陥るからでしょう。また、夜のコンサート中は強い雨が降り、会場の大聖堂の湿気が異様に多くて寒かったことも、聴いた印象に大きく影響を与えていたのは確かだと思います。
しかし最後の曲は今までの暗さが吹き飛ぶ明るい力に溢れたもので、劇的な効果があります。曲の意図はもちろん神の国の素晴らしさを謳ったものなのですが、一気に開く音楽的な展開が素晴らしく、歌手たちもこのフィナーレのためにそれまでの痛みを強調していたのだろうと思わせるものでした。
リュソンのカテドラル
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リュソン大聖堂。いろんな様式が入り混じったファサードと塔。
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© Victoria Okada
会場のリュソン Luçon のカテドラル(大聖堂)は、正式名称を「被昇天聖母大聖堂」と言い、もともと7世紀に建造された修道院があった場所に建っています。この最初の修道院は、9世紀にノルマン人の侵攻を受け2度にわたって破壊されたことがわかっていますが、建物は全く残っていません。その後、11世紀にローマ様式の新しい修道院が建てられ、13〜14世紀にはゴチック建築の要素が加えられました。ここが大聖堂(カテドラル)になったのは1317年ということです。
フランスをはじめヨーロッパには時々見受けられますが、なぜこんな小さな街にこのような大規模な建物があるのだろう、しかも、教会のヒエラルキーでも上位に位置するカテドラルがなぜここにあるのだろう、と思うことがあります。リュソンもその一つ。ルイ13世の宰相リシュリューがかつてこのリュソンの大司教だったことから、ゆかりの品が保管されており、歴史の盛衰を物語っています。
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次回は29日の二つのコンサートをレビューします。
プログラム
Henry Purcell (1659-1695)
Rejoice in the Lord alway, Z 49
I will sing unto the Lord, Z 22
Remember not, Lord, our offences, Z 50
Miserere mei, Z 109
O God, Thou hast cast us out, Z 36
Hear my prayer, Z 15
Blow up the trumpet in Zion, Z 10
Let mine eyes run down with tears, Z 24
Thou knowest, Lord, the secrets of our hearts, Z 58c
Man that is born of a woman, Z 27
My heart is inditing, Z 30
演奏
レザールフロリサン 合唱・器楽アンサンブル
指揮 ポール・アグニュー Paul Agnew
トップ写真 © Julien Gazeau
写真は全て無断転載禁止