The Art of Enamelling鮮やかな色と精緻な表現のアート[後編]
エナメルで知られる19世紀の主なジュエラーと工房
カルロ(1831-1895)&アーサー・ジュリアーノ(-1914)
19世紀のイタリア人アート・ジュエラー父子で、特にエナメルを使用したルネッサンス。リバイバル・スタイルのジュエリーを確立したことで知られる。トレード・マークとも言えるしろや透明感のある色の下地に細かいドット模様を施したピケ(piqué)エナメルは、カラー・ストーンや真珠を引き立てる効果が見事で、19世紀を代表する従エラーとしての実力がうなずける。
フォントネのマット・エナメルのブローチとイヤリングのセット
19世紀中期、フランス。
不透明釉で描いた表面をフレスコ画のようなつや消しに仕上げたエナメルのセット。ユジェーヌ・リシェによるエナメルのモチーフにはギリシャ神話の神々が使われ、フォントネの最も得意とする古代エトルリア様式の粒金、金線細工で縁取られている。
¥5,500,000(ミキモト)
カール・ファベルジェ(1846-1920)
ロシア皇帝最後のジュエラーとしてロシアだけでなく、カッっこくの王侯貴族に愛されたファベルジェのクリエーションは、ジュエリーだけにとどまらず、エナメルや貴石で装飾した様々なオブジェにまで広がっている。ファベルジェのエナメルにはロシアの伝統的なクロワゾネやペインティッド・エナメルなども使われているが、最も特徴的なものは透明感が美しいギヨシェ・エナメルである。下地のエンジン・ターンの模様と組み合わせるエナメルの色は80種類も用意されており、好みに応じてオーダーできたという。中でもオイスターと呼ばれるオパールのような乳白色の微妙な色合いは、色出しのむずかしさからファベルジェの専売特許とされていた。
ファベルジェのギヨシェ・エナメルのピルケース
19世紀後期、ロシア。
透き通った赤と乳白色のギヨシェ・エナメルが美しいピルケース。ファベルジェの作品に多く使われたグリーンとローズの色の異なるゴールド使いが美しい。個人蔵。
ユジェーヌ・フォントネ(1824-1887)
金細工師の三代目に生まれたユジェーヌ・フォントネは、著名な作家の下で均衡やエナメルの技術を習得する。1847年に独立してパリに工房を開き、シャム王を始め内外の王室から数多くの注文を受けるようになった。エナメルはスペシャリストを雇って製作したが、中でもユジェーヌ・リシェがエナメルを担当しフォントネがデザインした作品は、代表作としてパリ万博にも出品された。リシェのエナメルは、同時代の著名なフランスのジュエラー、アンリ・ヴェベールが著した19世紀の宝飾史の本の中で「ポンペイのフレスコ画のような」と称えられた通り、表面がしっとりとしたマットな質感で独特のスタイルを見せている。
プリカジュールのリング
19世紀後期、フランス。プリカジュールを使ったコウモリのような翼を持つ女性像がモチーフのラリックらしい作品。中央のいしはクリソプレーズ。翼のプリカジュールにはダイヤモンドが効果的にあしらわれている。
¥4,000,000(ヴィクトリアン ボックス)
■ギヨシェ・エナメル Guilloché enamel
金属の下地にギヨシェと呼ぶ網目や幾何学模様を浅く彫り、その全面に通常単色の透明のエナメルを薄く施す技法。バス・タイユの一種で、18世紀には細かいパターンが手彫りされていたが、19世紀の終わりにはエンジン・ターンと呼ばれる機会彫りに取って代わられた。特にファベルジェが好んで用いた技法。
■プリカジュール Plique à jour
下地を用いず、切り抜いた金属板やワイヤーの枠の内側に透明の色づきエナメルを流し込んで焼成する技法。金属の枠だけでエナメルを固定するため、ステンド・グラスと似た効果が生み出される。面積が小さい場合はそのまま焼成できるが、アール・ヌーヴォー期のジュエリーのように面責の大きいものは、下地に雲母を用い焼成後にこれを剥がす方法や、金箔を一時的に裏張りして焼成後に箔を削り取る方法が採られた。焼成中の釉薬の膨張や、窯出し後の温度差でエナメルが剥がれたり割れたりするため、非常に高度な技術を要する。15世紀に開発された技法で、ベンヴェヌート・チェリーニが用いたことで知られる。
■ペインティッド・エナメル Painted enamel
白い単色のエナメルを施した金属やガラス、陶磁器の下地にエナメル釉で絵付けをする技法。色分けのための枠はなく、エナメル各色の熔融温度の違いを利用して色別に何層ものエナメルを焼成し、多色の絵を完成させる。さらに仕上げに透明釉をかけて艶を出す場合もある。15世紀に開発された技法だが、金属と釉薬の伸び縮みを解消するために裏側にもエナメルを施すカウンター・エナメル(Counter-enamel)が考案されるまではあまり広く使用されなかった。肖像画などのミニチュール・エナメルやスイスのジュニーヴァ・エナメル、また15世紀以降のフランスのリモージュ派のエナメルもペインティッド・エナメルに含まれる。リモージュ・エナメルと呼ばれるものの中には、白地に黒やグレー(時によりブラウンやパープルの濃淡)によるモノクロの色使いのペインティッドも含まれるが、これはグリサイユ(Grisaille)と呼ばれる。
■マット(フィニッシュ)エナメル Matt finish enamel
アール・ヌーヴォーのジュエリーや20世紀初頭のアメリカで製作されたエナメル・ジュエリーに多く見られる技法。通常は焼成後に研磨してエナメルの光沢をさらに高めるが、逆に研磨剤や薬品で艶消し加工を施した、卵の殻やサテンのような質感、いわゆるマットな表面の仕上げを言う。
アール・ヌーヴォーのエナメル・ジュエリーの精華
ティファニー
ティファニーと言えば1837年創業のアメリカを代表するジュエラーだが、その初期の頃にはジュエリーよりも銀器やオブジェを多く扱っていた。19世紀後半にジュエラーとして名声を確立するが、その頃ヨーロッパで隆盛となったアール・ヌーヴォー・スタイルを積極的に取り入れ、アメリカでのこのムーヴメントの定着に大きな役割を果たした。創業者チャールズ・ティファニーは1902年に世を去るが、アート・ディレクターに就任した長男のルイス・コンフォートは、父存命中にアール・ヌーヴォーの作家として名を成していた。彼もまた、打ち出した銀や銅の上にエナメルを施したアーツ・アンド・クラフツ風のオブジェや、様々なエナメルのテクニックを駆使したオリジナリティ溢れるジュエリーを世に送り出した。
ブローチ「ホワイト・オーキッド」
1889年、サイズ10.5×5.0cm。
ティファニー・アンド・カンパニー・アーカイブゴールドにダイヤモンドをセットした茎、花びらにはマット・エナメルが施されている。
ティファニーは1889年のパリ万国博覧会に際し、アジアや南米の50種類以上の蘭の花をもとにデザインしたブローチを出展した。生花さながらに精巧に創られたこれらの作品は、ジュエリー部門のゴールド・メダルに輝く。アール・ヌーヴォー・ジュエリーの傑作である。
©Victor Schrager 1998 Courtesy of Tiffany & co.
ブローチ「オーキッド」
1889年、サイズ:6.6×5.3×3.2cm。
ティファニー・アンド・カンパニー・アーカイブ
茎はゴールドにダイヤモンドとルビーを、花芯はスターリング・シルバーにダイヤモンドをセット。花びらに施したマット・エナメルが鮮やかな色彩と質感を醸し出している。1889年のパリ万国博覧会出品作品
©Victor Schrager 1998 Courtesy of Tiffany & co.
ルネ・ラリック(1860-1945)
ジュエラーとしてだけでなくアーティストとして世界で最も知られる、アール・ヌーヴォーとアール・デコの巨匠ルネ・ラリック。その美しい色のエナメルを多用したジュエリーは、ラリックのキャリアの初期であるアール・ヌーヴォーの時代に製作されたものである。1913年にガラス工場を買い取り、ガラス工芸に専念してからは、ガラスの表面にエナメルを使用することはあったが、単色のみの色使いでアール・ヌーヴォー期のような金属のエナメルを施した作品は作られなくなった。
とんぼのコサージュ・ブローチ
1897-1898年頃。
クリソプレーズの女性の鏡像に合体させたとんぼの各部位は、ムーンストーンとダイヤモンドをセットしエナメルを施したゴールドで作られている。変態と女性のセクシュアリティを象徴するテーマを大きなコサージュ・ブローチで表現した、最も印象的な代表作の一つ。羽の部分にプリカジュール・エナメルが効果的に使われている。カルスト・グルベンキアン美術館(リスボン)蔵。
Photo:Laurent Sully-Jaulmes
ブローチ『ニンフ』あるいは『羽を持つシルフィード』
1897-1898年頃。
ダイヤモンドを両手に受けるゴールドのニンフの羽は、プリカジュール・エナメルによって表現されている。羽を持つシルフィードのテーマはラリックの作品に繰り返し用いられ、様々なヴァリエーションがある。
写真提供:『ガラスの丘美術館』(佐世保)
日本伝統のエナメル工芸「七宝」
銅胎・無線七宝「月に薊文盆」
明治中期、濤川惣助(1847-1910,千葉県生)
サイズ:高さ30.2cm
濤川惣助が開発した無線七宝の特色が良く出ており、より絵画的で日本的空間が感じられる作品。色彩も七宝独特の澄んだ色合いを示している。
有線七宝「花鳥図小箱」
明治中期、稲葉七穂(1850-1931、京都府生)。
サイズ:高さ3.5cm
京都の初代稲葉七穂の作品で、京七宝の特徴である箱作りや、側面の桜に流水文からも京七宝の香りが感じられる。植線は銅線に鍍金。
省胎および有線七宝
明治後期-大正。
サイズ:高さ9.9cm
省胎七宝は川出柴太郎によって明治33年に考案された技法で、銅素地を酸で溶かしてガラスしつと表面の銀線を残したステンド・グラスのような効果が特徴。衝撃に弱く、ひび割れしやすい欠点はあるが、投下する光が生む色彩が美しい。
日本語の「七宝」と言う名称は、仏典にある「七つの宝物」もかくやという美しさから名付けられたと言う。中国では琺瑯と呼ばれる。その中国から朝鮮を経由してもたらされた最古の七宝製品としては、正倉院にある黄金瑠璃鈿背十二鏡が挙げられる。
近代の日本の七宝技術は江戸時代にその基礎が作られ、明治時代から昭和初期にかけては、陶磁器や漆器と並ぶ工芸品として欧米に線七宝が盛んに輸出された。それらの七宝製品には有線七宝が多く用いられたが、その技術は尾張国海東群服部村の尾張藩士梶市左ェ門の二子、梶常吉(1803-1883)がオランダ船でもたらされた一枚の七宝皿に始まると言われる。常吉はその技術を改名するために皿を破砕分析して銅胎植線施釉の構成を会得し、天保4年に七宝皿の完成に成功する。その技術は、後継者によって研究と改良が重ねられ、現在では尾張七宝として通産省の伝統工芸品として認定されている。
山梨県の昇仙峡ロープウェイ七宝美術館には、尾張七宝に限らず当地や京都の七宝など近世から戦前までの七宝の逸品が集められていて興味深い。それらの作品は、仕上がりが一見同じように見えても産地や作者、工房によって異なった技法が用いられており、使用する釉薬や焼成の温度などは秘伝とされてきたことが窺える。
釉薬や加飾法など日本独自のものもあるが、ここでは欧米のエナメルと共通したものを挙げて簡単に説明する。
「有線七宝」は、クロワゾネのことである。「無線七宝」はその名の通り金属線を使用せず、下地に釉薬を塗り焼成したもの。七宝の最もオーソドックな技法で、絵付けしたものはペインティッド・エナメルとなる。「省胎七宝」とは、プリカジュール・エナメルそのものだが、日本の七宝の場合は胎となる下地に同を使い、焼成後に薬品で銅を溶解する。「陶胎・磁胎七宝」は、金属ではなく陶磁器を下地とし、その表面に優先・無線七宝を施したものである。
5点とも全て1900年頃にニューヨークの近郊、ニュージャージー州ニューアークにある工房で製作されたと思われるブローチ。
19世紀後期から20世紀の中頃までニューアークには多数のジュエリー工房があり、特にこの時代には写真の様なマット・エナメルを使った花のブローチが数多く作られていた。
マット・エナメルの花のブローチ
20世紀初頭、アメリカ。
スミレのブローチ:エナメル/ダイヤモンド ¥360,000、
ピンク・クローバーのブローチ
(WHITESIDE&BLANK製):エナメル/パール ¥360,000、
カトレアのブローチ
(WHITEDIDE&BLANK製):エナメル/パール ¥800,000、
紫ユリのブローチ:エナメル/パール ¥320,000、
パンジーのブローチ:エナメル/パール ¥200,000、
(全てヴィクトリアン ボックス)
マット・エナメルの花のブローチ、
ダイヤモンド、パール
19世紀後期、フランス。
金台に施されたマット・エナメルが美しいブローチ。同じマット・エナメルでもアメリカで作られたものに比べてより洗練された、落ち着いた色彩が使われている。コントラストをつけるために、ダイヤモンドは銀台にセットされている。
¥2,800,000(ヴィクトリアン ボックス)