見出し画像

バカ娘の懺悔

11月3日はパブのオーナーのパットの一人娘ナタリーの誕生日だった。27歳である。常連の何名かが彼女にプレゼントを持ってきていた。

パットには失礼だが、ナタリーはあのパブのバカ娘で通っていた。パットが今のパブを買い取ったのは12年前、ちょうどナタリーが中学を出てこれからの進路を決めなくてはいけない時だったという。

パットは大学まで出すにはナタリーのおつむが足りないのはわかっていたらしく、短大あたりで経理の勉強をしてくれてパブを手伝ってくれれば、程度に考えていたらしいが、実際ふたを開けてみると「上の学校で引き取ってくれるところはないので、中学終えて働きに出るか、専門学校に行って手に職をつけるか考えてほしい」と中学の進路担当に言われてショックを受けたという。

ま、タイミングが悪かったというか、その前年にパットはかみさんと離婚をして、ナタリーを引き取ってから新しいパブを買い取り、二人はそのパブの2階で生活を始めたという。教育はかみさん任せだったので、いきなり進路担当に呼び出されて、現状を説明されて、パットはひっくり返りそうになった。ナタリーはパットに向かって「上の学校にも行かない、専門学校にもいかない、日本に行って芸者になる」と言い放ったという。ナタリーが唯一最後まで読み通せた本が「さゆり」で、さゆりの映画のDVDを毎日のように見て居て、ナタリーは本気で芸者になるつもりでいたようだ。

結局、日本にはつてがないし、芸者とは極端だということで、「あとあと考えればいい経験にもなりそうだから、美容師になる学校に行きなさい」と家族で説得し、ナタリーは美容学校へ行くことになった。が、これも半年続かず、家でふらふらして、お金がなくなればパブを手伝い、あとは中学校の不良仲間とぶらぶら、マリファナ吸ったり、クラブへ出没したり、無気力な毎日を送っていたという。

そんな毎日に飽きたのか、18くらいのときに、ナタリーはパットに「会計の学校に行きたい。帳簿くらいつけられるようになりたい」といってパットを喜ばせ、会計の学校に入学の申し込みしたが、それも飽きてしまい、そこからは、パットがさすがに「このままじゃうちの娘やばいことになる」と危惧し、「家にいるなら家賃を入れろ、よそで仕事を得て、家賃を入れるか、家賃分はパブで働け。それが嫌なら出ていって」と脅し、とりあえずアルバイトしたり、パブを手伝ったり、そんな毎日を続けていた。

バイトは、近所の靴屋の店員、近所のパブチェーンの店員、近所のファミリー向けのハンバーガーショップのウェイトレス、などだった。だいたい最初の一週間は真面目に行って、そのあとから無断欠勤を続け、怒ったバイト先がパブにやってきて怒鳴り込んでくるというのがパターン。結局、「もう外に出なくていいからうちで働け」といってパブに戻すが、それも飽きて、外へバイトに行き、またパブに戻って来たという。

雇い主が怒鳴り込んでこない場所がいいということで、かなり遠くのショッピングセンターの中の服屋の店員などもやっていたというが、やはり長くは続かなかった。

仲間うちと遊ぶのが楽しいというのと、その仲間と酒飲んで草吸って、気がつくともうバイトの入りの時間がとっくに過ぎるという毎日。結局、このまま時が過ぎていくのが怖くなったパットは、別れたかみさんに相談し、かみさんは彼女に大手のフィットネスクラブチェーンの受付及び簡単な実技指導の仕事を持ってきた。この仕事はアルバイトではなく、正社員採用の仕事だった。

大手だと、遅刻や欠勤に厳しいし、それなりに責任のある立場につく、ということで、この仕事は珍しく3,4年続いた。あとフィットネスという仕事が性にあっていたらしい。仕事が終わればプールで泳ぎ放題、水泳が好きなナタリーにはちょうどよかったらしい。そして、やめたいといっても、ナタリーのママは「アンタのわがままで私の顔をつぶす気か。誰だって一人や二人合わない上司とか同僚がいるよ。嫌ならやめてもいいけどそんな理由でやめて恥ずかしくないのか」みたいなスパルタなことを言って3年くらい引っ張っていたが、さすがに3年過ぎたころに辞めたいとなったら「後の人の迷惑にならないような辞め方しなよ」というようになり、引き継ぎなどをして、丸4年お世話になって辞めたという。

で、やめたあとはまたパブに戻ってきた。が、これも出たりでなかったり。この当時、彼氏がいることはいた。この彼氏は、堅気の仕事もしているようだが、地元で有名なドラッグディーラーの売り子だったらしく、結局パブの2階のナタリーの部屋にディーラーやその彼氏が出入りし、毎晩どんちゃん騒ぎをしていた。

彼氏は、ちょっとエジプト系が入った色男だった。それでも顔がリバプールのMFヘンダーソンに似ていたので、パブでのあだ名は「ヘンド」だった。このヘンドとは3年くらい付き合っていたのか。とりあえずうまく行っているはずだった。

私が有給をもらった日、家からちょっと離れたスーパーの支店に行った日のこと。スーパーの駐車場から子供を抱いたヘンドが出てきた。子供は3歳くらいである。そして、その後ろには乳児を乗せたベビーカーを押した女性がいる。そして、ベビーカーに載ってる子は乳児なのである。どう見ても、昨日今日生まれた子とは言わないが、1年に満たないであろう。おさるさんのように赤い子どもがベビーカーの中ですやすや寝ているのである。ヘンドとは目があったが私はしらないふりをした。ナタリーとは何年か付き合っている。なのにこいつは別の女性との間に3歳くらいの子供と1歳に満たないくらいの子供がいる。なんかおかしくないか。女性は妹だったりしたら嫌なので顔を確認したが、兄弟には見えなかった。

いやなものを見た。もうそんな感じだった。こういう時は誰にも言うことはなく、黙っているに限る。そしてナタリーがヘンドと別れたあと、パットが「別にあいつ家庭を持っていやがった。最初に別の女との間に子供がいるとが、もう続いていないって説明していたのに、続いていた。」と言っていたのを聞いた。

結局、ヘンドと別れて、それからはパブの2階に怪しげなのは来なくなった。それを機にパブに客として来てもパットが追い払うようになった。

そのころから、つきものが落ちたのかなんだか、ナタリーが真面目にパブの仕事に出てくるようになった。

そしてすぐにコロナ禍になり、パブを閉めることになった。休業期間の間、パットはパブの改装をすることになり、結局、パブの2階にあまりいい思い出がないのか、パブの2階をB&Bにしてしまった。B&Bといっても自分たちが何かやるわけでもなく、エアBにしてしまった。2階には業務用のキッチンがあり、タイ人のタイ料理を仕出しで出すユニットがいたが、このユニットは家賃の支払いが悪く、そして、不法労働者などを雇っていたりとトラブルが多く、パットは、これを機にキッチンをつぶして、エアBの一部にしようとしたが、ナタリーが「これだけいい厨房機器がそろっているのに、つぶすのはもったいないよ。またキッチンを使ってくれる人を探してパブで料理を出そうよ」と言ったという。

だいたいこのあたりから、ナタリーが変わったとパットが言っていた。

パブの改装や2階を改装するにあたって、パットは今まで人に貸していた家を売り、パブの近所に家を買った。そしてパブを改装し、2階をB&B向けに改装するにあたって、金策が必要になった。お金は簡単に借りられそうだが、頭の痛いことが出てきた。

パットがパブの主人でお金も全部パットが出し、パットが主導でやるのだが、パットがもし、いなくなってしまったらこのパブは誰が続けるのか、後継者がいないのであった。パブが会社組織になっているわけでもなく、チェーン店に入っているわけではない。そして、パットは糖尿持ちである。健康リスクもあることはある。パットに何かあった場合、どうするのか。お金を貸す方は、それがリスクでそこだけはちゃんとしてほしい、と指摘してきた。

今までなんとなく後継者はジンジャーだった。パットが何かあれば、パブ関連の仕事はジンジャーで回っていくであろうとみんな思っていたが、コロナ禍の直前、ジンジャーはパットに「週四日にしてくれ。土曜は働きたくない」と言い出した。

ジンジャーのガールフレンドは小学校の養護教諭である。パブ商売は夜が主なので、ガールフレンドは昼のお仕事についてほしいとジンジャーにお願いした。彼女が紹介した仕事は介護の仕事だったが、体験してみるとジンジャーには合わないらしく、その次は保育士の資格を取ったらどうか、という話になり、「年寄りの相手よりはましだろう」ということで体験してみたら「ガキの世話は勘弁してくれ」になり、そのあと、障碍者のグループホームのホーム員の仕事を体験したら、それは性に合っていたらしく、障碍者の介護の仕事をメインにしたいため、勉強を始めたいと言い出した。土曜はグループホームの実習に充てたいらしい。コロナ禍でもこの手の商売はなくなるということもない。ジンジャーもそれなりに将来考え動き始めた。

結局、周りの助言などもあり、後継者がナタリーに定まり、ナタリーもそれを受け入れた。そして、パブの休業明けからナタリーが昼間はシフトに入り、バイトのやりくり、新規バイトの面接や、ドリンクの注文や補充、掃除、その他パブの全体の仕事を担うようになった。昼のシフトが終わっても、忙しくなりそうな時は残ってお客の相手をするようになった。パットはパブの地下のセラーに作った簡単な事務室で監視カメラで客を監視したり、事務の仕事をメインにするようになり、仕事の負担がだいぶ減ったようだった。

キッチンユニットは開いたままだったが、ナタリーがインスタグラムでタイ料理のケータリングサービスを見つけてきた。前のユニットに比べるとだんちがいに料理がおいしいので、最近はタイ料理を目当てにパブに来る人達も増えている。

誕生日の日に、ナタリーとちょっと話したが、「私、12年くらい前にここに引っ越してきたときはほんとにいやな女だったの。あの頃の自分に今あったら最低な女だと思う。あの頃からずっと今まで狂っていた。わけもわからずとにかくイライラしてむしゃくしゃして、いろんな人に迷惑かけてたと思うけど、そんなこともわからなかった。今になってあの頃の自分が恥ずかしいと思う。それでも、今はお父さんのパブで働けるのだから、ラッキーだよね。」と言っていた。

ずいぶん成長したね。おやじさんはあんたのやらかしたことに対していろんなところに頭下げて、大変な思いをしたのがちっとは報われたね、パブの常連がそんなことを言っていた。

なんだか、なあ、とも思う。思春期の大事な時期に親が夫婦別れして、ナタリーのおふくろさんは若い男と駆け落ちしてしまった。母親はナタリーどころでなく、若い男にはまってしまって、結局不器用なパットが面倒見ていたが、不器用だから細かいところまで目が届かず、どうやって娘に接したらいいのかわからない。仲間はみんなそこそこ勉強ができていたから上の学校へ行けたが自分はそうではない。結局相手にしてくれるのは自分たちと同じように上の学校に行けない不良グループだけで、そこに入って一緒になって遊び回るくらいしかやることはない。そういう青春の鬱屈をどうやって、どのようにぶつけるかわからないうちに時がどんどん経って行って仲間は学校に入り、社会に出てもう家庭を築いたりしている。そういう仲間と自分を比べるともっとみじめになる。

なんとなく、私はナタリーの気持ちがわからなくもなかった。お父さんに散々迷惑かけてバカ娘がようやくまともに仕事するようになったというのがパブの人の意見だが、パブの人はお父さんという立場の人が多いので、たぶんパット目線になってしまうのであろうが、ナタリーのなんだか行き場のない荒れ狂った気持ちもわからないでもない。一概にバカ娘が、とも言えないというか、そういう目で見ることもできなかったりする。

みんなで「これからもパブを盛り上げていこうね、誕生日おめでとう」とか言っていたら、地下からパットがやってきて「誰の誕生日なんだよ」とか言い出した。「お前の娘だろうが」と言って周りがあきれてしまったが、まあ、ナタリーとパットで末永く、あのパブを続けてほしいというのが、常連の願いである。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?