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キングスクロス駅の火事

ちょっと前だが、いつものパブにいたところ、パブの主人のパットから「900ポンド貸してくれ」と言われた。「は?」みたいな感じで聞いたら、「天井と壁のペンキを塗りなおすので、900いるんだよね」とのこと。「この間塗り終わったばっかりなのに。」とため息をついていた。「え、どうして必要なの?」と聞いたら、ほらと言って、パブのテーブル席の天井と壁を見せてくれた。白い壁に薄茶色いシミが世界地図のように広がっている。

「この間のユーロの決勝戦で、イングランドが、2分ですぐ点入ったろ。」「そうだね」「その時にテーブルの上に登ってビールをぶちまけたのがいて、それが壁に残って」「ふーん」「で、そのあと負けて、4組喧嘩発生したんだけど、その時にビールぶちまけたり、相手にぶっかけたりして、水浸しになって、壁もぐじゃぐじゃになった。」「そうなんだ」「喧嘩収まらなくて、警察呼んだんだけど、それどころじゃないってキレられて」「そうなんだ」「そのあと、ジンジャーとイアンとオレとで掃除したけど、壁がきれいにならないから、白ペンキさん呼んで塗りなおしすることになった。900ポンドかかる。」「そうなんだ」「もう、ほんと勘弁してほしい。庭の植木もビールかぶって全部だめになったし。」「そうなんだ」「ものすごいプレッシャーだったし用意もそのあとの掃除も大変だった。せいぜい準決勝進出くらいで終わってほしい」「そうなんだ」

気の毒だが、いろいろ疑問はあった。だいたいパブなんだから汚れやすいだろうからなんで白い壁と白い天井にしたの?この間まで引っ張ったんなら、ユーロ終わってからやればよかったのに。「白ペンキさんに薄い卵色って頼んだんだけど、白ペンキさんボケ気味だから、その日になって黄色のペンキ持ってくるの忘れたんだよね」「白ペンキさんの腰痛が治るまで待っていたら、そういう日程になった。」「まさかイングランドが決勝まで行くとは思っていなかった。ベスト8あたりでまたドイツに負けるだろうって思っていた。」ということだ。

白ペンキさんは、アンディ ホワイトウォッシュ(白ペンキ)というあだ名のおじいさんである。たぶん78くらい。アイルランドの中部出身のギャンブル狂のペンキ屋である。パットのパブの古くからの常連だった。

この人、ちょっと伝説の人で、若いころはケーリーグラント並みの美男子で、とにかく女にもてた。小さい村出身で隣村の女性と結婚して子供3人設けてペンキ屋だったが、入れ食い状態だったらしく、村で年ごろのあう女性とは全員関係を持ったという。隣村、そのまた隣と触手を伸ばし、ある時隣村で一番きれいだった人妻と関係を持った。深みにはまったはいいが、二人でイギリスまで行って、所帯を持とうといって家出の約束をし、そして、ロンドンの知り合いの家で落ち合うことになった。時間をずらし駆け落ちを実行したが、ロンドンまで行ったのは白ペンキさんのみ、女は結局村を出なかった。

結局、白ペンキさんはそれからアイルランドの故郷には一歩も足を踏み入れていない。若い時は女から女へ渡り歩いていたが、年取って誰にも相手にされなくなると、ギャンブルに走るようになった。お金はあればあっただけ全部使い、その日暮らし。年金もないようなので、パットやその友人たち(もちろんアイリッシュ)のレストランやら店舗経営の人達(これもアイルランド絡み)はなるべく白ペンキさんに仕事を回すようにしていた。が、最近は寄る年波にも勝てず、仕事は最小限にとどめて杖をついて歩いていた。

白ペンキさんの女たらし伝説は「若いころ知らないし盛ってるんじゃないの」というのが定説だったが、これがある時に「本当だった」に変わった。パットのパブにたまたま遊びに来たアイルランド人の若い子が、つなぎを着て競馬を見て居る白ペンキさんを見て、「あそこにいるペンキ塗りのおじいさん、もしかしてxx村出身じゃね?」とパットに言い出した。母さんの出身の村に同じあだ名でものすごい女たらしがいて、隣村の美女のために駆け落ちしてロンドンに行ったっていう話の人がいて、もしかしたらって思って聞いたんだけど、そうみたいだね、とその子は言ったらしい。残していった妻は別の男と結婚するわけではなく、ものすごい苦労をして3人の子供を育て上げ、早く亡くなったという。子供たちは実は白ペンキさんがロンドンのどの辺に住んでいて何をしているかまで知っているが、あえて連絡はとっていないと周りには言っているらしい。なので、一応白ペンキさんの武勇伝らしきものは本当のものとその若い男の子が裏付けをしてくれた。

白ペンキさんにパットが「イングランドサポーターが暴れて壁も天井もボロボロだからペンキ塗り直してくれ」と言ったらにやにやして喜んでいたという。アイリッシュはイングランドが大嫌いという人が多いが、今回は白ペンキさんにとっては臨時収入の仕事だがら、イングランドサポーター様様であろう。

しかし、どうして白や卵色、ベージュなどにしたがるかね、と別の常連が言っていた。パブの壁は茶色と、決まっているンじゃないのかい、と。

昔はどこへ行っても茶色い壁だったという。そりゃそうだ、昔はたばこを吸いながらビールやらウィスキーやら飲めた。パブ内での喫煙は可だった。昔はどこへ行ってもパブやレストランはたばこが吸えた。ロンドンバスの2階でもたばこが吸えた。電車のホームやら、エスカレーターやら、電車の内やら、とにかくどこでもたばこを吸うことができた。若い女性は髪の毛やら洋服に匂いがつくのを嫌がって、時々うっかり入ってしまったパブやらカフェがたばこくさかったりすると、露骨に顔をしかめて出ていくことがあったという。映画やテレビでも登場人物はたばこを吸っていた。時々全くたばこの扱いに慣れていない女優とかが役柄で、無理やりたばこを吸っていておかしかった。

そんな調子だったからどこのレストランやパブも壁が茶色かった。最初は白でもだんだんヤニで茶色くなっていった。それが日常の風景だった。だいたい昔はイギリスは茶色だった。絨毯は茶色でだんだんどす黒くなり、壁は茶色にすすけてくるのが当たり前だった。

パブの昔話になると必ずたばこの話が出てきた。とにかくみんなたばこを吸っていた。2006年、アイルランドが先鞭をつけたが、屋内の商業施設での喫煙を不可にした。それから全EU加入国が右へ倣えをして、パブの壁は茶色じゃなくなった。白っぽい壁が主流となり、インテリアもこじゃれたイケア風になり、パブというよりはバーとかカフェバー風になっていった。

よっぽどたばこを吸っていたのだろうが、私がこの国に来たころはもうたばこは屋内で吸えなくなっていた。ある時、日本から来た知り合いの知り合いを案内してパブに入ったときに不意打ちのようにその人が「ねえ、パブってどこもたばこの匂いとラベンダーの匂いがかすかにしますね。ペンキを落とさないでその上からペンキ塗ってるから、においまで塗りこめているのでしょうね」と言った。その人物自体は何を案内しても「ほお」「へえ」くらしか言わず、こちらが一生懸命案内していてもなんだか受け身で楽しくない人だったが、この一言は強烈だった。ラベンダーはたぶん、スーパーなどでよく売っている芳香剤の匂いであったろうと思う。

煙たかったころのロンドンの話になると、必ず年寄りから出てくるのが、キングスクロスの火事の話である。

キングスクロスの駅で起こった1987年の火事で31人がなくなり、結構衝撃的な火事であった。イギリスの災害歴史に残るかなり大きな火事で、私もこの火事の詳細をナショナルジオグラフィックチャンネルやら、火事の実証番組みたいなので何回か見た。

出火の原因が、エスカレーターでたばこを吸おうとマッチで火をつけて、その燃え殻をエスカレーターに捨て、その隙間に入り込んだ燃えさしが木のエスカレーターに移ってしまい、そこから大火事になったという話である。

日本人からすると「え?」って話がいっぱいである。エスカレーターでたばこ吸う?マッチの燃えさしを捨てるの?エスカレーター木の踏み板なの?ていうか、マッチ使っていたの?よくそれまでも火事にならなかったね。(エスカレーター下を火事のあと捜索したら燃えさしのマッチがたくさん出てきたという話を聞いている。燃えさしが大ごとにならなかったのであろう。)日本だったら起きなかったのではないかと思われる火災である。

確かに私がイギリスに来たころはまだ床が木だった電車や地下鉄があった。電車にのると「みし」と音がして、雨の日になるとやたら滑った。傘を何気なく置くと、傘の先が木と木の間に入って取れなくなって慌てたりした。ヒールのかかとが引っかかることもある。どこかの駅で木のエスカレーターにも乗ったことがある。まあ、大体乗る前から「木だなここ」とわかるような運転音がする。ごとごとごとごと、という音と、がったんがったんという音が重なって独特の音になっていた。

キングスクロスという駅はかなり大きなロンドン中心部の駅で、ロンドン北部への入り口にもなり、サークルライン、メトロポリタンライン、ノーザンライン、ピカデリーライン、ハマースミスアンドシティライン、ビクトリアラインが乗り入れし、隣接にセントパンクラスという大きな国鉄の駅もある。セントパンクラスは後程ユーロスターの発着駅にもなり、かなり大きいターミナル駅である。ロンドン北部やそこから北へ行く玄関先にもなっており、国際線も乗り入れしている。

そして、昔、火事があったころはキングスクロス駅の周りはぐるりと安いホテルやユースホステルがあり、だいたい出稼ぎに来た若いアイリッシュやイギリスの地方出身者が最初に降り立つロンドンの駅としても有名である。そこのホステルを最初は根城にし、仲間たちから情報収集し、仕事を見つけ、下宿先を見つけ、だんだんロンドンになじんでいくようになる。安ホテルの周りをぐるっと取り囲むように街娼が立っていたのもキングスクロス駅周辺の名物だった。(今もまだ5人くらい立っているという話ですが。決してお高いコールガールではなく、お姉さん方という感じで、お値段もそこまでという話である。)

火事のニュースが全世界を駆け巡ったとき、アイルランドやイギリスの田舎に残っている出稼ぎ組の身内は「そういえばキングスクロスに行くって言ってたよね」「大丈夫かしら」と言って、電話をかけて無事を確認したり、電報を打ったりしたそうだ。「オレまだその電報家にあるわ」といった人もいた。「出稼ぎに行ってキングスクロスをうろうろしていたのって火事の3年前で今はそこにいないのに、とにかく心配だった見たいで、めったに電話かけてこないばあちゃんから電話を受け取った」とか、そういう話をたくさん聞いている。あの火事はそれくらい、強烈だったようで、そういう話を集めると一冊の本になりそうなくらいエピソードがあると思う。そして、思い出す人達もだんだん語り口調が生々しくなって、火事が強烈な思い出だったんだなと聞いている方は思うのである。

出稼ぎに来たころは夢いっぱい、元気いっぱいだったがお金はなく、友達がいるわけでもなく、話す相手もいないから、仕方なく、ふらっとパブへ行ってたばこ吸いながら周りを伺い、自分と似たようなアクセントで話している客がいれば、様子を見計らって、その輪に飛び込んで人と話すということを繰り返していたという話も聞いたことがある。そこから友達を作ったり、情報収集して別のパブに行くようになったりしたという。たばこは好きではないけど、そういう時のコミュニケーションの道具にはちょうどよかったね。今は、外の喫煙所とかで話すのかな。外なら壁も黄色くならないし。今のパブの白い壁はちょっとよそよそしい感じがするね。白い家具はよそよそしくて、ちょっと好きになれないねえ、でもはやりならしょうがない。

私たちからすればキングスクロスはユーロスターの発着駅で、なんだか楽しい旅の入口という感じなのだが、年配者からするといろいろ印象は違うみたいである。まあ、こういうのをジェネレーションギャップというのかな。





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