勤続疲労
折れてゆく。ポッキリと。
外部からの力が繰り返し加わると、本来はそれ以上の力に耐えられるはずなのに、簡単に折れてしまう。
自分の芯や、軸や、『曲げられない』信念のような、とにかく概念的に固い何かを心のうちに持っていた人が折れていくのを見かける。
それは、物理の法則か。
それとも、現代社会の法則か。
ボクサーの定理
『硬いものは殴ってもいい』『柔らかいものは丁寧に扱う』そんな暗黙のルールがこの世には存在していて、人間だって1つの形を持った物体なのだから、例外なくこのルールに当てはまる。
メンタルが強い人にはどんな無理難題を与えてもいいし、揺るがぬ信念を持っている人にはどんな辛い当たり方をしてもいいことになっているのだ。
しかし、これは受け手側のルールではない。
殴る側が決めている。傷つける側が決めている。自分が相手に与えたダメージを測るのは、相手ではなく自分なんだと。『そんなつもりではなかった』と涙ながらに裁判所で証言するための、情状酌量のための攻撃制度を自ら整えているのだ。
人生、何があるかわからない。だから人は、保険に入る。
もしも、人を傷つけても許されるような保険があったなら、入っておこう。
『あなたのせいで傷ついたと主張する人がいたら、専門のスタッフが仲介し、無用なトラブルを防ぎます!』と、いかにも安心感のある、それでいて頼り甲斐のある俳優が、きっとCMであなたに微笑みかけているはずだ。
時には両手に持ったスマホとプリンの、プリンの方をベッドにぶん投げてしまうような人間だからこそ、降伏応力に満たない外力で簡単に折れてしまう相手ではなく、万が一にも加害者に仕立て上げられてしまう自分の側に、ぜひ保険をかけておくのがいい。
品質保証マーク
ストレス耐性のいかなる数値も、人を傷つけてもいい理由にはならないはずなのに、どうもこの世界には『ノーダメージ判定』が適用される人間関係が溢れているような気もする。
n = k の時に問題なければ、n = k + 1の時にも問題ないような。そんな帰納法的な考え方で、1人が2人になり、2人が3人になり、いつしか集団で1人を攻撃することをルーティン化してVlogにあげるような世界が、デジタルならいいものを、現実のアナログな痛みを伴って蔓延る。
『神は越えられる試練しか与えない』と、イキイキとした顔で語るそいつは、つい数年前まで人間だったはずなのに、いつの間にか誰かに試練を与える神になったらしい。
『死ぬこと以外かすり傷!』とプロフィールに書いてあるそいつは、なぜか周囲の言葉1つで致命傷を負っている。かすり傷から細菌感染でも起こしたのだろうから抗生物質を投与したい気持ちは山々であるが、そんな彼に注射の針を突き刺すことすらも、今の彼にはかすり傷で済むのかを考えてしまう。
定式化された関数で表現できない心のジェットコースターを途中下車することもできずに、絶好調でぐんぐんとスリルを味わいながら登っていった先で、『助けて!』と絶叫を上げながら急降下していく様を見るたびに、入口での身長制限を180cmまで修正しようかと検討する。
品質を保証するマークを己のプロフィールに記載しながらも、そのマークはいつも違うようにも見える。
一体何が保証されているのか。誰が保証しているのかもわからないが、彼らには彼らの、『自分』というブランドのマークが、簡易包装の端っこに印字されている。
曲げられたスプーン
人知を超えた超能力の証明は、スプーンの最も細い部分で実証されるのがお決まりだ。
弱いものを折ることができたら、それは強いものの証となる。
瓦を割るのは、それがちょうど良く湾曲していて、どこに力を加えればいいかが明瞭であるからなのだ。決して、間違っても鉄筋コンクリートの塊に拳を打ち付けてはいけない。
人はスプーンを曲げたがる。食器を、超能力の証明に使いたがる。他人を、自分の存在の証明に使いたがる。
スープを口に運んでくれるカトラリーが、ふとしたきっかけで己の力を誇示するアイテムとなるのだから、昨日助けたツルが閉じ切った襖の向こうで時限爆弾を作っていても、なんら不思議のないような社会で、私たちは生きていると思う。
超能力を持たないけれど、スプーンを曲げてみたい。そんな人間たちは、なるべく細い部分を探す。なるべく弱い部分を探す。
熱を加え、繰り返し擦り、何度も曲げ。そうして蓄積されたエネルギーでポッキリと折れたスプーンを、遊び半分で友人にシェアする時代。
『次にスプーンになるのは、テレビの前のあなたかもしれない!』
他人事と自分事の境界線も曖昧になった現実というメディアで、トゥルーマン・ショーを演じ切るまで、『カット!』の声はかからない。
折れ折れ詐欺
反面、急増する特殊詐欺にも警鐘を鳴らしておきたい。
『SNSで病み投稿をすることで、みなさんの優しい心を騙し取ろうとする事件が多発しています!』
橋本環奈が白い手袋をして敬礼する。STOP 折れ折れ詐欺。
『ダメかも』『つらい』『やめよっかな』『はぁ』『もういいよね』
意味深な言葉には、意味なんてなく、ただ空っぽの自分を表現する空っぽの言葉を、片手で簡単に投稿できるポップなソーシャルメディアに載せて友人にシェアしているだけだ。
果ては聖なる水を浴びて心を清める飲み会か、何も解決しないものの次の投稿が可能になる慰安旅行か、はたまた大人の色香を匂わせ、人間の本能に回帰する一夜の過ちか。
今日も折れ折れ詐欺のゴールデンタイムがやってくる。
数時間後に必ず訪れる夜明けを待つことも出来ない、そんな暗闇の帷が降りる。
毎日がこの世の終わりで。毎日が新世界の始まりで。宇宙は拡大していて、自分の位置座標は何も変わっていなくて。定刻発車する通勤電車に乗って、24時間のサイクルを生きてゆく。
最後に
それほど大事でもないものを受け取って、0 + α を明日の0と定義して、明日失うαの結果は、0ではなく -αなのだから、人生は何が起きるかわからなくて面白いのもうなづける。
金属のように錆びていく心を抱えて、熱伝導率の高いその心に欲望を激らせて、化学反応よろしく己の変化を飛び散る火花で世に知らしめ、緻密な皮膜を形成して他人を拒絶する。
ロボットよりもロボットらしい。メタルボディの人間達の、アイアンマン同様のヒーローまがいの苦悩が社会には澱んでいるように見える。
自分の軸が少しずつ、何度も、じっくりと、勤続年数に応じて曲げられていく中で、どこかでポキっと音がする。
『もう疲れた』
そんなポップ体の文字が表す勤続疲労を、はんだごてを手に見守る。
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