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スペシャルゲスト『凡人』

『まじお前のそういうとこ直した方がいいよ』

『直す』という表現は、あたかも元の俺の状態がまともであったような言い方をする。残念ながら生まれてから28年間この短所を抱えて生きてきてし、この短所を自分なりに受け入れた上で、それ込みの自分を社会的に存在を許されるように努力して生きているつもりだ。

『直す』なんてそんな、壊れたかのような言い方をしないで欲しい。

人間はそれぞれ、何かが欠落した状態でこの世に生まれてきていると思う。俺の場合は『自分を特別だと思う感情』が欠落して生まれてきた。

点数が相対的に低ければいかなる理由があろうとそれは『負け』だし、宝くじは確率的に当たらないし、この世界のどんな事象においても自分が微塵も優遇される理屈はないとわかって生きている。

だから人に勝つにはその人よりも努力しないといけないし、人に優しくするには優しくする分の余裕がなくてはいけないし、ひょんなことから美少女が空から降ってくることもないとわかっている。

『妥当性』を逸脱しようとする人間が嫌いだ。

1滴で色が変わる魔法の液体

『学校が合わなかったので転校します』

高校時代に転向していった彼の母親からクラスへのメッセージ。クラスの女子に連絡をしつこくしてうざがられ、自慢話ばかりを延々と話し、いつも人を見下した態度をとっていた帰国子女の彼がクラスから消えた。

学校が彼に合わなかったのではなく、彼がこの学校に合わなかったのだ。

16歳の俺にもはっきりとわかった。彼を容認し、彼を好意的に受け入れる学校へと転校出来たかどうかは定かではない。しかしその時感じた違和感を、たしかに今でも覚えている。

学年200人の中のたった1人。それも学年の中心人物でもなければ成績上位者でもない。部活でなんの実績も残していないし、親が日本を担う会社のトップというわけでもない。それでも彼は特別で、それでも彼の母親にとって特別な存在であったのだ。

1人が199人に合わせるのではなく、199人が自分に合わせるのが正義だ。

彼と彼の家族はそんな思想を持っていたのだろうか。世界の72億人が間違っていて、自分たち家族3人が正しい。そんな状況に陥ったら、彼らはこの星を出るのだろうか。

『この星が私たちに合わなかったので転星します』

そう地球の担任に言い残して。

Special for All

『代わりがいない』という点では、誰もが特別で、誰もがオンリーワンであるのは紛れもない事実だ。

それは人間1人ひとりがこの世に生まれた理由でもあるし、次の瞬間の出会いに期待出来る確かさでもある。みんな違ってみんないい。それだけで地球は、少し地軸を傾けながらも平和に回っていく。

だが、いついかなる時にも『自分が特別扱いをされるべき』と考えている人には、この世界は不可解な結果の連続に見えるだろう。

自分を中心に世界は回っているはずなのに、なぜか自分に不都合なことが起こる。

自分は特別なはずなのに、トーナメント戦で『シード権』を獲得出来ないのはなぜか。それは『圧倒的ではないから』だ。

特別とは、圧倒的であること。親からの圧倒的な愛を受け取っているから子供は特別な存在で、恋人からの圧倒的な愛を受け取っているから恋人は特別で、圧倒的な努力と実績があるから選手はシード権を獲得出来る。

何も圧倒的でない凡人が『固有性』を『特別性』と錯覚して特別待遇を受けようとするこの世界が滑稽でたまらない。

『ゼッケンの番号は人それぞれだから、全員シードとなります!!』

全員が特別扱いされた末の世界は、全員が特別でもなんでもない横並びの世界になるという矛盾を孕んでいる。

金持ちの凡凡

そうは言っても、特別な存在でありたい。

特別でありたいのなら、まずは特別という称号が与えられるくらいに特別な努力をしないといけない。

普通の人が100時間頑張るなら、自分は1,000時間やらなくてはいけない。普通の人が100個持っているなら、自分は1,000個持たなくてはいけない。

『特別』という称号は生まれた瞬間に世界から与えられるものではなく、自分で購入するものなのだと思う。

フェラーリを購入できる人は特別だ。なぜならフェラーリを買えるくらいのお金を手に入れるために何か特別なことをしたからだ。そうでなければ、全員がフェラーリを手に入れられるお金を持っていなくてはこの世界の道理はおかしいということになる。

『特別』になるために平凡な努力しかしない人が多い。

『努力は平凡かもしれないけど、元から特別であるはずの自分がやっているのだからこの努力は特別な努力なはずだ』

と考えている人がたくさんいる。

時速10kmで前を走るマラソン選手に、時速5kmで追いつき追い越そうとしている。

前の選手はゴールに向かって走っている。後ろの選手は、前の選手の背中に向かって走っている。

最後に

名誉教授、特別顧問、殿堂入り。圧倒的な実績と貢献ゆえに特別な立場を与えられた人たちがいる。

凡人が叫ぶ『ずるい!!!特別扱いだ!!』

特別であるから特別に扱う。特別でないから平凡に扱う。極めて妥当な対応に異を唱える凡人に話を聞く。

『自分が特別扱いを受けるべきという根拠はなんですか?』

答えはいつも『自分だから』

名誉教授も特別顧問も殿堂入りも、その人にとってその人は『自分』だ。だけどどの人たちは、自分が自分でしかないからこそ、自分である以上は他人と同じ位置にしか立てないことを知っていた。他人を自分と同じくらい尊重しているからこそ、自分と他人の特別性になんの違いもないことを理解していた。

『他人を尊重する』という感情の欠落した人間が主張する。

『自分は特別扱いされるべきだ!!』

他人の幸福を削ってまで自分に幸福が回ってくるのが当然という彼らにいいことを教えてあげたい。

その道理でいくと自分も誰かにとっては『他人』であるから、君の幸福もどっかの誰かに削られ奪われ回っている。君の理論でも世界は回っているかもしれない。

自分だけは特別だと思う人たちに合わせて、この世界は動いているかもしれない。

そんな彼らが削り合い奪い合った幸福を再配分して『平均値』という凡人の称号を得た世界で、誰かが特別扱いされる。

そんなしょーもない再配分から抜け出すだけで、十分に『特別』な人間としていきられるというのに。

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