100分de名著夏目漱石“こころ”
「こころ」は夏目漱石の作品の中では断トツに嫌いで、
島田正彦も番組の中でそう言っていたけれど、
ものすごく私小説の悪いところが出ているというか、
「ボーイズラブ」的な世界で閉じているところに、
全く共感の余地がないので嫌いだ。
つまりそれは、
ものすごく巣の漱石が出ているということでもある。
たぶん、同時代に生きていたとしたら、
漱石とはお友達になれなかったに違いない。
女という生き物は、
人生を語る上で伴侶になりえないということを、
大前提に生きている生き物しか出てこない小説だから。
Kは死んじゃったけど、
そりゃあ、死ぬでしょう、
恋愛の対象は女なのに、
その女は二次元の存在にすぎず、
生身の女を実は認めていないわけで、
失恋して苦しいかもしれないけど、
そこを我慢して、もうちょっと生きて、
なぜ失恋したのかを受け止める根性もないKの本性を、
お嬢さんは気づいていたんだねえ。
だって、先生の求婚を迷うことなく受け入れているわけだから、
伴侶として、
Kと先生を比較するまでもなく、
先生を選んだお嬢さんはやっぱり女だ、
生き抜く力があるという意味で。
先生は、
Kが死んで、
お嬢さんと結婚した時点で、
人生終わっていて、
後は消化試合だったんだ、
そこに、
私が現れ、
私に対して遺書という形で自分の生を残すことができたので、
もうやることなくなって死んじゃったんだね。
やっぱり、
この世に生きている意味がなくなると、
二次元に生きてる男は死ぬんだね。
というようなことを考えてしまうだけなので、
こころという小説は嫌いだ。
男尊女卑という矮小なことではなく、
女が入り込む余地のないボーイズボンドみたいな男子の絆は、
すごいね。
晩年の夏目漱石くらいのポジションにならないと、
おいそれとは書けない世界なんだろう。
男が女に比べて短命なのは、
必然であって、
女は男が去った後の世界でこそ、
人生を謳歌すべきであるという真実は、
やはりゆるがない。