朝鮮人民軍偵察総局
フミの足元には、工作員が六体倒れていた。もっとも「糸」で細切れにされていたため、鑑識課員ですら人数の特定は不可能だ。
「日本にはもう、石黒忠悳はいない」
フミは最後に生き残って震えている工作員ではなく、足元に溜まった朱の湖をウットリと見詰めて言った。
フミは中学校二年生のとき、北の工作員によって拉致された。当時のフミには、日本名があった。両親もいたが、フミにできるのはバドミントンだけだった。
入学式を風邪で欠席したフミは、両親に連れられて、桜散る永平寺を歩いた。それが、いけなかったのか。この国は、神道の国だ。仏教はしょせん、海の向こうからやってきたよそ者。しかし、北へと向かう潜水艦の中で、恐怖と絶望で泣いて壁面を爪が剥がれるまでかきむしったとき、フミは悟った。「神などいない」と。それでも、信じた。「極東の島国には、日本人が住んでいる」と。「日本人はきっと、救いに来てくれる」と。けれど、裏切られた。
「同志よ。なぜお前は、私を殺そうとするのか?」
最後に残した工作員は、女だった。女工作員は鼻水と涙で顔をグシャグシャにしていたが、体の震えは抑えている。フミに向けた銃口も、ブレていない。
「さすがは、偵察局ね。そうでしょう、同僚?」
フミは北の女に、虫唾が走る。招待所に入ってから、日本語教師としての立ち居振る舞いをフミに教えたのは、北の女だった。彼女はいつも、フミに笑顔を向けていた。けれどフミは、分かっていた「この女は私に笑っていない! 将軍に媚びへつらっているだけだ!」。
やがて「作戦名・アンナ」を立案したとき、フミは偵察局に入った。アジア一の狂暴な知性と暴力を備えた諜報機関だが、設立国が悪過ぎた。ロシアと中国よりも独裁であり、鎖国までしている。そんな国では、幹部と寝るだけで、いくらでも情報が手に入る。複数人の幹部達に、実に下劣でふしだらな性行為を許すと、偵察局への推薦状と大金が手に入った。目の前の人民が次々と餓死していくなか、日本人のフミは豪華な住宅と食事、そして自身を殺戮兵器と変える手段を手に入れた。
「松澤同志。なぜ貴官は、私を同志と呼んでくれないのか?」
目の前の女は偵察局員とは思えないほど、女々しい言葉を口にした。
「簡単よ。あなた達は私にとって、同志でも何でもない。日本を傷つける者 は、私にとって邪魔でしかない」
「しかし、松澤同志。『作戦名・アンナは』」
そこで、女工作員の言葉は途切れた。命が途切れたから。フミの糸で、肉体がDNAレベルまで裁断された。「アンナ」はフミと、北で彼女を鍛え、今は夫である安、二人だけの作戦だ。「アンナ」は日本に痛みをもたらすが、この国が外圧でしか変わらないのは、歴史が証明している。大事なのは、匙加減だ。
過去にフミは、故意に搭乗していた潜水艦を韓国に座礁させた。駆け付けた五分機動打撃隊を一人で、殲滅した。韓国は国威のため、虚偽の発表をしたが、フミにとってそれは、どうでもいい。実地経験を踏むためだけに、座礁させたのだから。またこの経験は、フミにとって有意義だった。人を無力化するには、AKよりもRPGよりも、糸の方がコスパがいいと再認識できたからだ。
「ち~よ~に~」
フミは狂おしいほど愛している歌を口ずさみながら、微塵になった七体の工作員の残骸に、唾を吐いた。
「お? 私に気付いた者がいる。自衛隊か警察か。どちらにせよ、日本にまだ、ここまでハイスッペクな者がいるとは」
VRスーツに搭載されたタブレットをいじりながら、フミは笑った。
彼女は、偵察局一の諜報と破壊能力を持つ。
もう、バドミントンだけの少女ではない。