クリスマスの闘病(特発性後天性全身性無汗症)
12月23日
『スノードームの中に閉じ込められた』
そんな感覚が全身から伝わってきた。病室から眺める雪がいつもよりもゆっくりと鮮明に見えた。
個室で広いはずの部屋なのに、外を眺めていると部屋の中が閉鎖的な空間に見えて、スノードームの中で一人中央に立っている自分が連想された。
街中はクリスマスシーズン真っ只中。そんな中、自分は病気の治療のために6回目の入院をする。ここまで来れば、『入院が嫌だ』『治療が嫌だ』なんて思いはまったくなく、『早く良くなってほしい』『健康になりたい』そんな前向きな思いしかなかった。反対に前向きに考えて、自分を奮い立たせてあげないと余計に辛くなるのがわかっていた。
治療が始まって特にやることもなく暇だった。ただ薬のせいで口は苦くて体はだるかった。ラジオを聴きながら何度も眠りについた。起きるたびにいつもと違った天井でその度に虚無感が全身に溢れ出してきたが、深く考えるのをやめた。snsを見るとクリスマスを楽しんでいる友達。それを見ていると自分も何年か前までは、デートをしたりパーティーをしたり、ただ何も考えずに楽しんでいた。でもこういう立場になるとその裏で今の自分と同じようにクリスマスなんて関係なく辛い治療を乗り越えている人もいるっていう現実に気がついた。病気と向き合ってる人はみんな偉いよ。そう頭の中で繰り返しながらsnsを見るのをやめた。病気になってからsnsを見るたびに社会から孤立してる異様な気分になる。まるで自分だけ違う惑星に飛ばされたような。
24日
今日は気分も良かったから少しでもクリスマスを感じたくなってホームアローンを見始めた。大人になって見てもほんとにおもしろい。今では尚更、自由奔放な主人公に憧れる。薬で頭も回っていないせいか自分も主人公になった気分で頭の中で自由に生きられた。気づいたら外は薄暗く、最高の暇つぶしになった。
病院の消灯時間は早い。特に夜が孤独で長く永遠のように感じる。夜の21時なんかに寝れるわけもなくただ音楽を聴きながら目を瞑って、色んなことを考えていた。今日見たホームアローンのこと、初めて入院した日のこと、副作用がひどかった日のこと、楽しい思い出はまったく浮かんでこなかった。楽しい思い出がなかったというよりは『苦労』という重りが重すぎて海底に沈んでいるような状態だった。いつになったら重りは外れるのだろう。いつになったら理不尽な不自由を受け入れずに済むのだろう。この有り余った夜のせいで余計に追い込まれた。入院してる時だけ夜なんて無いといいのに。そう何度も思った。
25日
今日退院なので午前から点滴始めますよ。
看護師さんの呼びかけで目を覚ました。相変わらず副作用の微熱で体が重かったが、『今日で退院』その一言が解熱剤になって一気に軽くなった。なんだ結局気持ちの問題じゃん。そう思うとメンタルが弱い自分に笑えてきた。
点滴が始まったが、帰りたいという思いがあまりにも強く、早く終われという気持ちでずっとポタポタと落ちてく点滴を見ていたがいつもよりも遅く感じて少しイライラした。ずっと見ているから遅く感じるんだと思ってあからさまに外を見たり、部屋を見渡しが頭の片隅でポタポタが気になってしまって、一回寝て忘れることにした。
起きたら点滴も終わっていて荷造りをして、親の車に乗り込んだ。外はびっくりするぐらい雪が積もっていた。雪なんて普段は最悪だと思っていたが、スノードームの中に閉じ込められていた自分にとってはやっと外に出られた、広い雪景色を見れたことに感動して涙が出そうになった。解剖学医の養老さんの言葉に『癌になって半年の命だよと言われた時、あそこで咲いている桜も違って見えるだろう。でもそれは桜が変わったわけではなく自分変わったということにすぎない。知るということはそういうことなのだ』
こんな言葉がある。自分自身病気になってから今までただ見ていた景色に対して感情を持つようになった。遠くにある鳥居に対して願いを込めるようになった。養老さんの言葉からすると、自分も病気になっていろんなことを知って、変われたらしい。そう思うとマイナスな事だけじゃなかったんだと気づいて救われた。もっと辛い思いをしてる人はいっぱいいてその人達はどんな景色を見ているんだろう。たかが、1つの桜の木がいくつもの景色を作り上げることに感動した。そして沢山の経験をして色んな人と景色を共有できるぐらい、『何通りもの景色を見たい』そうおもった。
帰ったらケンタッキーでも食おう。
#特発性後天性全身性無汗症
#コリン性蕁麻疹
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