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珈琲の冷めないうちに - ep4 幻想のような現実
まるで幻想のような中にいる。いったい何が起こっているのか 自分でもよくわからない。幻想なのか、それとも現実なのかそれすらわからない。ずっと理由を付けずに信じているものがある。それがもしかしたら跡形もなく崩れそうだ。それは恋愛というものかも知れないし、人と人との間柄なのかも知れない、と珍しく混乱している。そしてもはやこのエピソードからも脱線しそうだ。自意識はあるので書ける。後で読み返すとこの気持ちを理解できるかもしれない、と敢えて書いている。備忘録ではなく単純に「日記」として。
ふと使う、口から出るひと言にこんなに敏感になったことはなかった。ひとの口から出てくる多分深くは意味を持ってはいないかも知れない音を伴ったことばという文字。「なに、いまの。空耳? 勘違い? テレビの音? 幻聴? 」一瞬わたしはフリーズする。それくらいいつもと違う様子に驚く。繊細で物ごとの全てに反応する性質を持つひともいる。彼らなりに苦労はある訳で 礼は欠きたくないが、何ならそうであって欲しいと願った程だった。私は比較的現実を直視・理解と咀嚼、傍観は得意なはずなのだが、あらぬ出来ごとに思いきり面くらい、気持ちの整理がつかないとは何ごとなのだろうか。
男性に聞いてみようかと思い、久しぶりにも関わらず投げてみた。「そもそもsnsに何もないよ。あいつらあることないこと面白かって騒いでるだけ、離れた方がいい。最近よく体調崩してるじゃん。もっと健康的な生活しなくちゃダメだよ」そんな彼の生活の殆どがアウトドアで、自分の年齢を忘れて友だちの飲食店で忙しく働いて人生を楽しんでいる。なのでこんな私のはてな?質問は一蹴された。こういう時は異性の自由人に聞いてみるといいのか。なるほどね。そうしてあっという間にいっときのおかしな幻想は掃除された。高速で。アウトドアでもインドアでもいい、健康的な環境と対照を選ぼう、変わらずにいよう、と結論も得た。
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悩みと目眩のようなものは書いていたら解決が出来たので、“幻想のような現実" のハッピアワーをお送りしよう。ノンアルコールでね。ペガサスのことはご存知だと思う。ギリシャ神話に登場する伝説の生きもので、その羽根をもつ美しい姿は架空のものとされている。
何歳の頃からかわからないけれど、その存在を信じていて、何枚か水彩であったり、オイルであったり描いてきた。数枚は何処かへ消えていき、手もとに残ったのは水彩のこの1枚だけだった。やっぱり青色と白で描いている。そこにも伝説(なんてとうてい言えないけど)の話がある。随分まえに恵比寿のチーズ屋で一緒に働いていた仲間がいる。2年後には自分でそのチーズの知識と、ソムリエの資格までとって、いよいよと神戸へと戻り、個人のチーズとワインの店を三ノ宮で立ち上げた。もう7年以上も前のことになるが、当時まだ Facebook が主流で、友だち検索に「あ、これって..」と思い、緊張しながら丁寧文でメッセージを送ってみた。2日後に「私です」と返ってきた。思慮深さが2日、という時間に出ている。神戸の駅の改札で待ち合わせた。帽子を目深にかぶって暫くそこから動かない人物がいる。探していた人だった。何故か泣いている、なぜなんだろう。
寒かったのでピーコートのポケットに手を入れたまま、北長狭通りを歩く。ようやく喋ったかと思うと " ペガサスみたいやな " と言う。どういう意味? と聞くと動物占いでの特徴のようで、" それと思う " と言う。ふうん、とその時は何も思わずにいたけれど、後から調べてみたら何とも光栄な賛辞で照れながら " それを言うならあなたでしょ " と謎の褒めあいの気持ちになった。そのペガサスはもうこれより描いてはいけないと思った。伝説が語られたその神話の生きものをもうこの世に生んではならない。ひとつしかそれはない、わたしなんかが描き残してはいけない。
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神戸の街はとても面白い。元町を歩くとお洒落なお菓子屋さんや、ヨーロッパ風の雑貨屋が立ち並ぶ。神戸っこはそれに留まらない。 " 裏神戸 " をよく知っている。神戸というおしゃれなイメージがそのまま歩いているようなヒトも、ご多分に漏れずそんな " 裏路地 " をサッと入って サッと帰り、ハシゴを楽しんでいる。元町通りもちょっと曲がれば中国人がやっている本物のスープ麺が頂ける。 " まずは食べてみてそのまま " の通りすすってみる。"これがないと終われへん" という辛みのオイルをかけてみたり、冒険はいっぱいある。彼らは「ごちそうさま」の代わりか「ありがとう」と残し店から帰る。
深夜になればなるほど高架下へと移動して行く。幅1メートルもない中、肩がぶつかってもいらいらする人もいないので、のんびりと真夜中に いったいこれは何?を観て歩く。さすがに買おうとは思わなかった。コア過ぎる。やはり昨日今日の観光ものには難易度は高い。異人館やポートタワー、高台からの夜景もせっかくやから、と連れて行ってもくれるけど、おじいちゃんが小学生の頃にもう見せてくれていたので、その感動を目を輝かせて披露できるほど名女優でもなかった。
ひとは場所と空間をワープできる。そのチャンスに出くわしていて、気づいたのであれば。今ある現実も、本当は過去か未来からワープして擬似的に体験させられているのかも知れない。
追記;St valentine's day
みなさんは何をされたでしょう。わたしは大人になってから男性にお花を贈って頂いていますよ。その中にチョコレートが忍ばされていることも。国によるけれど、男性が女性に贈ることは多いはず。スウエーデンの話しは覚えていないでしょうけれど、あの北蛮人が首を振りながら嘆くように言っていました。「Valentine の気持ちがよくわかる..」そうなんです、その日にキリスト教の司祭のヴァレンティヌスが皇帝クラウディウス・ゴティックスの結婚禁止令に背き、若い兵士の結婚式を執ってしまったのです。それが皇帝の怒りをかい 2月14日に処刑されたのです。それを偲び聖バレンタインデイと名づけられた殉教の日なのです。わたしもまた教えられたおかげで、そんなvalentine の気持ちが分かるのです。そっと花を受けとりますが、けしてハッピーな心で過ごせはしないのです。あなたは来年どんな気持ちでこの日を迎えますか? 宗教や習慣はいつも定説ではないなと思ったりもするのですよ。
That's just one anecdote