高校文芸部時代の小説6「砂漠」
目の前に大きな砂丘がある。私は砂漠を歩く。
この砂漠は暑くないし、危険な生き物もいない。いたって安全だが、その一方ほとんど毎日同じ景色で退屈だ。もっとも、昔は違っていた。おぼろげな記憶によればここはうっそうとした草原で、蒸し暑くたまに怖い動物が出てきた。
それがいつの間に砂漠になっていた。
この砂漠には何もないが、外部の飛行機がビラを落としてゆくことがあった。また、矢が飛んできて、それにビラがくっついていることもある。今日は飛行機が飛んできた。
例のごとく大量のビラがばらばらと落ちてきた。ビラにはいろいろな情報が載っていて、なんとも面白い。これを眺めるのが私の娯楽である。ビラを夢中であさっているとあたりが暗くなり始めた。夜が来たようだ。
夜の記憶はほとんどなくて、しかも自分が砂漠と違うところにいる不思議な時間帯だ。まれに覚えていた夜は昼のように単調ではなく、鮮やかで複雑だ。たいていの場合、支離滅裂な現象の連続で終わってしまうものの、魅力的である。
朝には砂漠に戻っている。昨日の続きであることもあれば、まったく知らない場所に立っていることもあるが、来る日も来る日もこの繰り返しだ。
ある日、珍しい出来事があった。砂漠に雨が降ってきたのである。雨は朝から晩まで降り続け、砂漠は水にあふれ砂が洗われていくようだった。
おそらくこの砂漠の実体は過去の積み重ねだと思われる。めったに起こらないがたまにやってくる砂嵐に見舞われると、そのたびに露出する砂が入れ替わり、さりげなく違ったニュアンスの景色となる。私はこのニュアンスの違いを砂にこめられたものの違いだと解釈している。それを証明するように、足元をよく見ると砂の大きさ、色、形が微妙に違っているのだ。この違いは、私の仮説が正しいとすれば、同じ思い出がひとつとして存在しないことに起因しているのだろう。昔のうっそうとした、あの草むらの記憶や、今現在歩いているこの一瞬が砂となっていくのだろう。雨が降って砂が洗われるとすれば、それは記憶が洗われるのと同義だ。
雨は心地よい音を立てて地面をたたく。もちろん私も濡らされる。それはなんとなく気持ちがよかった。
雨の日の夜を迎えた。
しばらくするといやみなオウムが現れて何か言い始めた。
「おろかな奴め、今にお前は絶望することになる!今日の雨は毒の雨なのだ。それに気づけないお前はぼうっと突っ立て、こちとらかわいそうにも思えてくるよ。」
朝になってもこの夜は記憶に残っていた。それから雨は毎日のように降った。あのオウムが本当のことを言うのであれば、私は毎日毒を浴び続けていることになる。珍しいこともあるものだなと、他人事のようにそれを見つめて、光のように時間が過ぎてゆく。
私は考えることをやめていた。毒だろうが降るものは仕方ないし、雨は心地よく、そんな日々をだらだらと過ごし、ふと足元を見ると砂が湿り、さらには若干ぬめっている。いつもとは違うその様子に私は初めて本気で不安がった。
その日の夜、私は大きな機械をいじって何かを培養していた。液体の詰まる不気味な丸い筒の中にあるのは異形の黒い塊だった。
「こいつは捨てるべきだ・・・」
大切なものに思えたが、半分やけになったように私はそれを捨てていた。
朝が来た。今日はかんかん照りで、砂はいつの間に乾いていた。今までぬれていたせいで砂は表面が固まり、少し体重をかけないと沈まなくなっている。砂の粒子は以前より細やかで歩きやすくなった。ところがふと顔を上げるとそこは前の美しかった砂丘ではなく表面が硬くなり、でこぼことしたものに覆われた醜い丘になっていた。私は愕然とした。あの雨は本当に毒物だったらしい。
夜にふたたびあのオウムが現れた。
「ほらみたことか。この砂漠はお前そのものだ。今のお前はこの砂漠のように醜い、雨の快楽におぼれたジャンキーだ。雨を止めなかったお前の負けなのだよ」
「雨は止められたというのか」
「そうだ。この世界はお前がコントロールできるようになっている。その方法を知り、実行する意志があれば・・・」
今、私はこの世界を管理している。すべては自分次第である。