アナーキスムと四国
この前、2024年2月23日に天皇誕生日があったわけですが、その頃アナーキスムに関しての本を読んでいた。戦前ならば大変なことになっていたかもしれない。そんな時代ではないので、気軽に読める。ありがたいことです。
このたび、世界の名著42。猪木正道・勝田吉太郎編集。中公。1975年第10版。を読みました。
この名著シリーズですが、プルードン、バクーニン、クロポトキンのオムニバスとなっている。順序もこの通りに紹介されている。一方、よく解説を読んでみると、クロポトキン→バクーニンorプルードンと読みましょうと書いている。
バクーニンは目が吸い込まれる。面白かった。クロポトキンも良かったと思います。プルードンはつまらない。プルードンがつまらないのか、あるいは訳が良くないか。プルードンだけ、勝田吉太郎先生でも、猪木正道先生でもない方が訳されている。
「左派思想」
というと、マルクス主義が一番に頭にのぼる。しかしながら、マルクスと対立した別の左翼思想があった。
マルクス主義は社会主義国家による国家の市場の統制が行われる。これに対して、アナーキストたちは反発した。社会主義国家、立憲君主制民主主義、どれを見ても、国家は個人を抑圧するものでしかない。とアナーキストは言う。
バクーニンの無神論
バクーニンは、すべての国家と宗教と社会を嫌う。「人間」は、社会の中において人間ではなくなってしまう。人間から社会をとれば獣でしかないと人は言うが、本当の人間とは社会を剥ぎとったところにある。だから本当の「人間」は社会の中には見つからないのだと。
クリスチャンは、神に気に入られんがために人を助ける。聖書の記述が絶対化したことによって、(十戒やパウロの手紙によって)女性は馬同様の扱いを受けた。この点において、クリスチャンは大工から司祭にまでなんにでもなれるが、「人間」にだけはなることができない。
このようにしてバクーニンは、ヒューマニスムゆえにキリスト教を捨てる。神への愛ゆえに事故を犠牲にするまではいいとしても、他者までをも犠牲にするのは汚い利己主義だと考えた。
アナーキスムの源流
クロポトキンはアナーキスムの流れを示している。
1793年にゴドウィンがイギリスで登場する。1795年にフランスでバブーフが登場する。
18世紀の思想を受けて、19世紀には「社会主義の三人の始祖」が登場する。フーリエ、サン=シモン、ロバート・オーエン。
1840年代にゴドウィンを経ずにプルードンが登場する。
1850年代にアメリカ個人主義的アナーキストらが登場する。ハーバート・スペンサーとプルードンなどの影響下に登場する。S・P・アンドリュース、W・グリーン、ライサンダー・スプーナー、ベンジャミン・タッカーなど。
クロポトキンは「国家」とは、16世紀に中世諸都市の廃墟から築かれたものだとしている。フランスの歴史をメロヴィンジャン家へ、ロシアの歴史をリュ―リックへとさかのぼろうとするのは、歴史家や保守主義者の思い込みである。国家は人民と貧民の搾取権を、地主と軍部と裁判官と司祭らの間で各自保障する相互保険会社である。このように批判する。
アナーキストは正義を熱望するがゆえに成文法を拒否するのだという。正義とは、人間は誰も支配してはならないし、支配されてはならないということだ。
プルードン経済
プルードンはパリジャンではない。ブザンソンの出身。それは彼の思想に影響を与えているはずです。パリの強い国家権力を嫌っている。また、ルソーのような社会契約に反対する。社会契約は契約してしまうとその履行に束縛されてしまう。しかも世代を経ることで契約者である国家と人民との間には、契約していないのにもかかわらず契約者であるという状態ができる。
プルードンは、共産主義を嫌った。私有財産はロックのようなイギリス思想の前提に立っている。生産手段を共有する共産主義では、弱者が強者をくいつぶしてしまうが、私有財産の搾取面を丸々認めてしまうと、今度は強者が弱者を食い散らかすだろう。
だからプルードンは私有財産権に個人的自由の側面と搾取是認の側面をみとめ、そのうえで後者を剥ぎとればいいはずだと考えた。利子の撤廃を考えた。
1847~49年の間にプルードンの人民銀行は10支店フランスに作られた。その当時の利子率15%に対して、銀行運営のための調達としての利率2%が設定されていた。農民たちは現物担保なしで借りることができた。当然ながら、このプルードンのアイデアは人の善性という背もたれに寄りかかって作られている。
何より、お金持ちにとってまるでメリットがなさそうである。
プルードンは人倫を大事にしている。契約論を排除するのもそのためだ。私たちが相互に相手を助けるのは契約からではなく、思いやりからだ。プルードンの考えでは、この社会に対抗するには少し優しすぎたかもしれない。
プルードンのみならず、クロポトキン、バクーニン、アナーキストらは、正義やヒューマニスムのために、人々を縛る国家や宗教や経済に対して反対した。
日本のアナーキスト
若干だけ、日本のアナーキストについて、本書でも触れられている。
幸徳秋水と大杉栄が紹介されている。幸徳秋水も大杉栄も欧米の左派思想の流れを汲んでいる。
二人とも四国出身である。これは私にとって興味深いことでした。
明治頃、陸羯南によれば、関東圏は主にイギリス的な立憲君主論が、関西圏ではフランス流のデモクラシー論が流行していたという。つまり日本の東西に思想の流行の違いがあった。
なかでも四国勢は最も強力な民本主義を声高に叫んでいた。今の四国の方は自分たちの先輩が、日本の中でも非常に強い自由論、共和政論を叫んでいたことは知らないかもしれない。丸亀うどんを食べたい。
秋水は、ルソーを日本に紹介した中江兆民の弟子であった。秋水は、師を超えようとした。秋水は1905年頃アメリカのアナーキストたちと接触。クロポトキンとも接触する。こうして「議会主義」に対する疑念から、秋水はアナーキスムへと傾倒することなる。
日本にも流れていたアナーキスムの小川は、大杉栄の甘粕事件によって堰き止められた。
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