自衛隊から危機管理の経験を活かした航空業界へのキャリア形成(no.19)
プロフィール
わびさん(仮名)
現職:航空業界の外資系企業
自衛隊在職時最終役職:1等陸尉
経歴
ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、わびさんの経歴を教えていただけますか。
わびさん:大学卒業後、一般幹部候補生学校から陸上自衛隊に入隊しました。幹部候補生学校卒業後、高射特科に配属され、途中情報科に職種変更しています。部隊歴は、高射特科大隊、師団司令部、方面総監部、最後に学校勤務を経て、1尉で退職しました。
退職後は、兵庫県の市役所で防災担当として勤務し、その後、再度転職、現在は航空業界の外資系企業で危機管理を担当しています。
ーー自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。
わびさん:自衛隊に入隊した理由を聞かれたときは、いつも「人の役に立つ仕事がしたかった」と答えています。ただ、本当は当時大好きな女性がいましたが、思い実らず、それであれば、「近くで守れないなら、せめて遠くから守りたい」という思いで入隊しました。
高射特科配属時は、短SAM中隊で射撃小隊長と訓練幹部を兼務し、訓練のPDCAを回していました。
その後、情報科に職種を変え、師団司令部や総監部で情報業務に従事していました。秘密保全上、詳しくお伝えできませんが、部隊の行動に必要な情報資料を収集し、分析して、師団長や方面総監に報告するような仕事です。
退職前の学校勤務では、新たな教育課程を立ち上げ、師団司令部や方面総監部での情報業務を幹部や陸曹へ教育していました。
数々の災害派遣参加から学んだことを生かしたセカンドキャリア
ーーロマンチックな入隊動機ですね、また職種転換された情報科は今のお仕事に生きていそうですね。自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。
わびさん:いろいろな思い出がありますが、ここで紹介したい思い出は2つです。
ひとつは幹部自衛官になったばかりの頃の思い出です。
幹部候補生学校で人の上に立つことを学んだとはいえ、いきなり数十名の部下をもつ小部隊の指揮官というのは、インパクトがありました。知識や経験は部下のほうが上。しかも、自分の親よりも年上の部下もいます。しかし、そのような環境で仕事をしてきたおかげで、マネジメントのスキルは身についたと思っています。
この時のマネジメントで特に意識していたのは、年齢だけでなく、知識や経験も陸曹が上でしたから、分からないことは素直に伝えて、正直な付き合いを心がけるようにしていました。
こうした意識により、信頼関係が生まれてお互いに敬意をはらうようになりました。幹部候補生学校では「小隊長たるもの」や「小隊長らしく」のように振る舞うような教育を受けましたが、結果的には役職、階級だけではなく、知識や経験を尊重した付き合いをして、信頼関係をつくることが良いと実感しました。
ふたつ目は、多くの災害派遣に参加したことです。災害派遣の回数は同期の中でもダントツで多かったです。宮崎県口蹄疫、東日本大震災、熊本地震などの災害派遣に参加しました。どの災害も悲惨な被害で強烈に記憶に残っています。
いずれの災害も悲惨な状況でしたが、同じくらい印象に残っているのは、自衛隊は如何なる状況でも組織として冷静に活動できることを身をもって経験したことです。
災害派遣というと、現場に目がいきがちですが、今まで経験したことのない災害でも、速やかに必要な情報を収集し、最も効率的な活動ができる計画を策定し、適時適切に実行できる自衛隊の組織的な強さを実感しました。
そのような中で多くの情報業務を経験しましたので、防災や危機管理の着眼、計画立案に関する知識を得て、今の仕事にも活用できています。
ーー災害派遣でかなり活躍されたんですね。そうした中、なぜ自衛隊から市役所、そして民間企業へ再就職されようと思ったのでしょうか。
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