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感情の最新のヴァージョン

 自室のカーテンの隙間から、やさしい悪魔が息をひそめてせつない夜の空気が見える。

 小さいころに塾の国語の授業で、小説のなかの情景描写は、主人公の感情を反映している、と何度も教わって、僕はずっとそれが嫌いだった。雨が急に降りだしたら主人公は悲しみの中にいる、厚い雲が出てきたら未来への不安が暗示されている。そんなのは僕らの側の勝手な嘘だと思った、今も思う。勝手に僕らの感情の演出に使われて、空や光や雨や雲がかわいそうだと思っていた、これからも思いつづける。

 しかも僕は今までに何度も、そのような描写のちからで作品に感情移入させられてきた。作家はいつも自己中心的なので、物語のために作中の他者を誰でもどれだけでも動かす。もちろん情景もそのひとつで、しかしそれは嘘だ。泣いていなくても雨は降るし、苦しいままでも夜明けはくる。僕は嘘が嫌いなので、僕は誰かの書いた文章が嫌いで、僕は僕が嫌いなのだった。

 自室のカーテンの隙間から、いじわるな天使が息をひそめて張りつめた夜の空気と、その奥に透けている東京のビルや公園が、剥製の魚のようなつめたい気配をさせて見えているが、それらのイメージとは全く関係ない別個の事象として、僕はすでに、自分の感情という悪魔が天使が、すごい速さで動きはじめていることに気づく。



あー、悲しい、夜になると無意味に悲しくなる、誰かにこの悲しい気持ちを伝えたい、でもこれは僕の悲しみだからあなたに奪わせたくはない、共感してほしくないし理解もしなくていい、そもそも悲しみを共有することは初めから不可能なので、実は必要性の丘から連絡しています、「連絡します」ということを連絡するだけです、僕はきょう何をしただろう、すべてが悲しかったように思える、カフェでアイスコーヒーを悲しんで、いつも通りの仕事を悲しんで、最寄りの駅で恋人(あなたのことだ)と悲しんで、近くの居酒屋であなたとレモンサワーを悲しんだ、すべてを僕の感情が支配していたような気がしてくる、それがよけいに悲しい、あー。



 このように、この世界では感情というカードがいつも最強なので、僕は世界というゲームにすこし飽きてきている。小さいころから、僕はカードゲームが好きだった。デュエル・マスターズ、遊戯王、ポケモン、マジック・ザ・ギャザリング、ヴァイスシュヴァルツ。つねに新しいカードが発売されるから、カードゲームの売り上げは増えていくのだが、ゲーム会社が強すぎるカードを作ってしまうと、大会の環境はそのカードを使ったデッキ一色になって、ゲームをつまらなくしてしまう。もちろん、強くて新しいカードを出さないとカードの売上は上がらないので、ゲーム会社にはいつもバランス感覚が要求されるのだ。

感情によく似たカード

 今の世界の環境で、感情はすこし強すぎる。誰がこのゲームをデザインしているのかは知らないが、僕は違うカードを切り札にして戦いたい、しかし誰もそれを許してくれない。エモくなければ勝てないからだ。エモい、ということばがすべてを包摂して巨大になっていったのは、感情というカードが誰かを説得するのに便利だからで、SNSはもちろん、詩とか小説とかエッセイすら、感情をベースに読んでしまう僕自身が、書いてしまう僕自身が、とても気持ち悪いと僕は思う、しかもその感情を補強するために、僕は情景なんか描写してみせるのだった。環境は悪化しつづけ、子どものグレタ・トゥーンベリが気候変動のスピーチをする。

 こまかい霧のような雨が、カードゲームをしていた子どもの僕たちの上におおいかぶさって、僕はすぐに自分のカードを片付けてバッグの中にしまった、カードは湿らせるとすぐに曲がってしまう。



 今ここにある情景を、僕は感情にいつでも変換していいのだろうか、いいわけがない。情景が感情になっていいなら、テーブルも感情で、カップもコーヒーも感情だから、もちろんあなたも感情になる。感情が、感情の上に置いてある感情に、ゆっくりと感情を注いでゆく。あなたを感情にすれば大きな快楽を伴うだろう、すべてが僕の世界で、あなたは感情の絵の具になる、僕はそんなことをしたいわけではなかった。

 お金も感情で動く、誰かが僕を推して僕はお金をもらう、感情が僕に仕事をさせて、感情が僕に詩を書かせて、感情が僕に恋愛をさせる。カフェのいちばん奥の席から、あなたの左の肩のむこうに、青や緑の彩色をほどこされた美しい硝子器が見える、それらはインテリアとして、照明をあてられて硝子棚の中に置いてある、それらの硝子器はもちろん、僕があなたを好きだという、その感情に奉仕するんだ、もちろんそれは嘘だ。



 あたらしい恋愛をするたびに、僕が感情をしているのか、感情が僕をしているのか、よくわからなくなる。たとえば僕がマッチングアプリであなたと出会っていたとする、そのことを、マッチングアプリが僕らに恋愛をさせた、といえないだろうか、いえる。マッチングアプリを十年前にアメリカの知的な若者たちが作ったとして、そのことを、恋愛という感情が彼らにマッチングアプリを作らせた、とはいえないだろうか、それもいえる。

 欲望は感情は、いつもわれわれのからだを支配し、いつもあたらしい恋人を、今までの恋人たちよりもいちばん好きだと僕は思うが、それが単なる記憶の劣化ではなくて、僕が主体的に獲得した倫理的な感情である、というケースはありえるのだろうか、ありえないのかもしれない、と同時に、ありえる、と僕はあえて書きたい、僕は感情に負けながら、感情に勝たなければならない、自分の感情に責任を取らなければならない。



 感情はとにかく速く、だから僕らはそれを最強のカードだと勘違いしている。いつでも僕らは感情というカードを切る、あなたはすぐに喜んだり悲しんだりする、その速度に呼応するかたちで、僕も悲喜のそれぞれを、ドロップのように舌の上で転がす。僕はあなたが笑えば笑い、あなたが泣けば泣く。しかし僕たちの感情は共約不可能なものであることを、僕はここで強調しなければならない。あー、悲しい、と僕が書いても、あなたは僕と同じように悲しくなることができない。

 あー、悲しい。いまあなたは同時に悲しいですか、悲しくないでしょう。僕とあなたは他人であって、どこまで近づいても、僕とあなたの感情は、強さも質もまったく異なっている、あー。僕はあなたに会える平日の夜を、尻尾を振って喜ぶ、居酒屋のサワーのきらめきを喜ぶ、もちろん僕はこの文章をあなたの感情を動かすために書いた、しかし、あなたの感情はあなたのもので、僕はそれを奪うことができない。だから感情は最強のカードなんかではない、僕は誰とも共有しない感情を、僕自身のために素早くシャープに書き留める。

感情
080-5122-4125
東京都港区六本木4-12-5 六本木144ビル 3F



あー、うれしい、隣であなたが眠っているのをみるたびに僕はすごくうれしい、あなたは夜に眠れないからあなたが眠れていたらうれしい、今日もあなたに会えたことが本当にうれしい、あなたと家に帰って一緒にアニメを観たのがうれしい、ベランダで話をしたのがうれしい、抱きあったのがうれしい、あなたが生きていることが本当にうれしい、あー!!!

 今はもう朝の5時で、窓の外ではこれから、やさしい人間といじわるな人間がすこしずつ目覚めてゆく。僕はベッドに横になって、パソコンのエディターを開いている、もちろん隣にはあなたが眠っている。部屋の空気はすこしぬるく、僕はあなたのみる夢を想像しようとする、遠くの公園では木々の緑を朝の光が通りぬけて、生きた魚の鱗のようにきらめきはじめている、遠い国で上映される映画のなかの子どもたちは雨のなかを泣く、うつくしい劇伴がそれに沿う、僕は生まれてきた最初の朝にあなたに出会うことを鮮明な夢にみた、それはいま僕が見ているこの部屋の景色とまったく同じだった、そしてそれらの情景すべてとはまったく関係なく、たったひとりの感情といういちばん孤独な場所から、つよい口調で言いたい、僕はあなたのことが好きだ。

はちみつレモンサワーの味はわからない好きだってことしかわからない

青松輝


エッセイ「の最新のヴァージョン」はnote上で連載し、
晶文社から書籍化することを予定しています。

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