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獣医学通訳という"オンリーワン"の道 - X Talks 9.1 -

獣医学関係者による対談シリーズ、“VET X Talks” (ベット・クロストークス)。9回目のゲストには、臨床獣医師の経験を生かして獣医学通訳として活動しておられる久保田朋子先生をお迎えしました。久保田先生は、獣医学における国際学会や海外講師を招いたセミナーなどで通訳としてご活躍されています。

久保田先生の心がける通訳は、単に情報を正確に伝えるだけではないそうです。その場にある“温度感”も含めて人と人を繋ぐのが、久保田流通訳の奥義のようです。今後は、獣医療関係者のメンタルヘルス面などのサポートといった活動にも関心があるとのことでした。
 
子育てに関する考え方などプライベートな面も少しお聞きしながら、久保田先生をお迎えした第9シーズンも4回にわたってお届けします。


臨床獣医師から獣医学通訳者に

--:久保田先生のお仕事は非常にユニークだとうかがっています。
 
前田:“オンリーワン”ですよ!
 
久保田:ちょっと変わってはいますけど(笑)、他にも同業者が何人かいるので、オンリーワンじゃないですよ。
 
前田:そうなんですか?でも僕が知っている中では断トツの通訳さんです!なので今回は「通訳」という、これまでとは違った話を聞きたいと思ってます。そもそも、どうして通訳というお仕事をはじめることになったんですか?
 
久保田:きっかけは、東京農工大学を卒業した後に「ダクタリ(動物病院)」に就職したことです。その病院の総院長である加藤元(げん)先生が1978年に立ち上げたJAHA(公益社団法人日本動物病院協会)という団体があります。当時の日本は、獣医療が海外と比べて大きく遅れていたそうです。それを憂慮された加藤先生が「JAHA国際セミナー」を始められました。セミナーでは、海外から著名な先生を招いてレクチャーをしていただいています。
 
当初は加藤先生ご本人が通訳をされていたそうですが、その後、海外留学経験のある獣医師にバトンタッチされていきました。民間の通訳さんにも依頼したことがあったらしいのですが、獣医学用語は特殊なので獣医臨床を知る人の中から通訳を育てようということになったそうです。今は60代、70代になられた先輩方に育てていただき、私たち世代が通訳を務めるようになりました。
 
前田:臨床はダクタリでやられていたんですね。どれくらい勤務されてたんですか?
 
久保田:6~7年だと思います。最初の年に加藤先生から、「英語ができるなら君も通訳をやりなさい」とご提案していただきました。それがきっかけで臨床1年目からJAHA国際セミナーを通じて海外の先生方と交流することができて、通訳という仕事に興味を持ちました。
 
--:久保田先生と前田先生はどこで出会ったのですか?
 
前田:イヌの消化器に起こる慢性腸症の研究で有名なアレンスパッハ先生(アイオワ州立大学教授のKarin Allenspach博士)という方がいます。僕も大学院生の時に慢性腸症の研究をしていたので、彼女がJAHA国際セミナーで来日したときに講演を聴きに行ったんです。たしか10年くらい前でした。

その時に通訳をされていたのが久保田先生で、専門用語も含めてすごくわかりやすかったのを覚えています。「この人はいったい誰なんだ?!」というのが最初の印象でした。名刺交換もその時にさせてもらったんですけど、最初に話すきっかけは何でしたっけ?
 
久保田:発表の内容がすごく難しくて、遺伝子について理解できなかった部分があったんですよ。それで「彼が一番詳しいから」って前田先生をご紹介いただいたんです。たしか「すみません…突然ですけど聞いてもいいですか?」みたいな感じで私が話しかけて、名刺交換させてもらったんだと思います。
 
前田:今調べたらそのセミナーが2012年だから、やっぱり僕がまだ大学院生の頃だ!そのときに「いつか、僕も偉くなったら通訳してくださいね」って久保田先生に言ったんですよ(笑)
 
--:それが今年(2024年)3月の「世界獣医がん学会」で実現しましたね!前田先生のイヌの移行上皮癌に関する基調講演を久保田先生が通訳されたとうかがいました。

世界獣医がん学会でのパネルディスカッション。向かって左端はイヌの移行上皮癌研究の世界的権威であるナップ博士。

 前田:あのときは久保田先生に通訳をしていただいて、すごく感慨深かったです。10年以上前の約束を果たしていただいたっていう想いで。久保田先生は覚えてなかったみたいですけど(笑)
 
久保田:前田先生に言われて思い出しました(笑)あの学会は、先生方の研究のレベルが本当にすごかったですね!
 
前田:そうですね。本当にレベルが高かったです!
 
久保田:私は動物のがん治療が、「ここまで来てるんだ」って感動しました。もう、がん治療イコール抗がん剤の時代ではないのですね。
 
前田:分子標的薬が基本ですね。医学(ヒト向け)に比べるとまだまだですけど、確実に研究や臨床のレベルは上がってきていると思います。
 
--:世界獣医がん学会は、4年に一度、世界中からトップの獣医学研究者が集まる大きな学会なんですよね。そのほかにも、規模の大きな学会はあると思います。たくさんの通訳さんが必要な場合、獣医学の専門知識がない方もいらっしゃるのではないですか?分かりづらいことはありませんか?
 
前田:聞いている側としては、そう感じることが結構あります。
 
--:通訳者としてのレベルは高くても、テーマに関する専門知識がないと「困ってるな」っていうケースは多々あります。
 
前田:やっぱり専門用語が急に出てきたとき、言葉に詰まってしまうのかなあと思います。通訳さんも専門分野があって、そこにうまくマッチすることが重要なんじゃないかと思うんですが、どうですか?
 
久保田:理解していないことを喋らなきゃいけないストレスって、すごく大きいと思います。私は基本的に獣医学分野のお仕事しか受けないようにしています。ですから、”アウェイ”な環境で通訳をされている方はすごいなと思います。
 
前田:専門用語が出てきたときに、戸惑いながら通訳している感じが伝わってくることもありますよね。
 
--:私も英語の獣医学論文を読む時は辞書と”にらめっこ”なことが多いです。専門用語、例えば腫瘍の英語名などは見たことのないものばかりです。
 
前田:確かに腫瘍の名前なんて、日本語でもなじみのないものもありますしね。普通の通訳さんは知らなくてもおかしくないと思います。だから、久保田先生のような獣医学のバックグラウンドがある通訳さんは本当にありがたい!今さらですが、そもそも、なんでそんなに英語が喋れるんですか(笑)


お母さんの「獣医さんっていいわよね」が原点

久保田:6歳から11歳までの5年間、家族とロンドンで過ごしたんです。
 
前田:ご両親の転勤ですか?
 
久保田:そうです。現地校に通っていたので、クラスに日本人は私だけでした。
 
前田:じゃあ、「いきなり放り込まれた」みたいな?
 
久保田:そんな感じですね(笑)
 
前田:ご両親は英語を話せるんですか?
 
久保田:母は、ほぼ話しません。私たち子供はすぐに話せるようになって、向こうでは私たちが通訳してました。だから、母はいつまでも話せない(笑)
 
前田:中学に入る前ぐらいに戻ってきたんですか?
 
久保田:小6で戻ってきました。あとはずっと日本です。
 
前田:なるほどー。それで、どうして獣医さんになったんですか?
 
久保田:もともと動物が好きだったのは大きいです。母もすごく犬が好きで、「獣医さんっていいわよね」ってよく言ってたんです。その言葉と、小学校4年生のときに迎えた犬を「絶対長生きさせたい!」と思ったのがきっかけです。
 
--:今、ご自宅に犬はいるんですか?
 
久保田:いないんですよ~。(愛犬を)亡くした時の悲しさを、まだ消化できてないんでしょうね。
 
--:いつ頃ですか?
 
久保田:もう10年ぐらい前なんですけど…。
 
前田:犬種は何だったんですか?
 
久保田:シュナウザーとずっと一緒でした。イギリス時代に迎えた子を、日本に連れて帰ってきたんです。その子が子どもを産んで、その子たちもずっと家にいたんです。けど、その子たちが亡くなって、血筋が絶えたときに私の心も一部なくなったような…。

ということがあって…まだ新しい子は迎えられていません。子供たちが飼いたいって言ってるので、「いずれは」と思っています。
 
--:やっぱり、動物は大好きなんですね。
 
久保田:好きだとは思います。でも獣医学部では、もっと動物愛に溢れてる人たちにいっぱい会いました。「世の中には、こんなに動物が好きな人がいるんだ!」って思いましたね。私も動物は好きだけど、散歩している知らない人が連れている子のところに駆け寄ったりしないし、動物園に毎週通ったりしないです(笑)
 
前田:そういう「めちゃくちゃ動物が大好き」って人、獣医の学生さんにはちょくちょくいますよね(笑)
 
久保田:私の周りにもそういうクラスメイトがいたので、何かちょっと罪悪感みたいな…。
 
前田:罪悪感は必要ないと思いますけど(笑)
 
久保田:「私も動物はけっこう好きだったつもりなのにな…」みたいに思いました。
 
前田:その方たちのような“ガチ勢”ではないですが…、僕らは“ライト派”ですよね。
 
久保田:サッパリ派(笑)
 
--:動物を好きだという形も様々ですからね。
 
前田:ですです(笑)


"オンリーワン"の獣医通訳

久保田:でも、獣医はすぐ辞めちゃったんで、母には文句を言われます(笑)
 
前田:臨床を(辞めた)ってこと?
 
久保田:臨床を7年くらいやって辞めちゃったので。
 
前田:辞めたのはどうしてですか?疲れちゃったから?(笑)
 
久保田:それもあったかもしれません(笑)通訳の仕事が増えてきて、病院を空けることが多くなったんです。そうすると、責任をもって患者さんを診ることが難しくなってきてしまって…。通ってくれてる子(動物)たちに対して、責任のある“獣医さん”でいられない感じがしたんです。あと、診断したり治療したりする過程の面白さってあるじゃないですか。
 
前田:そうですね。
 
久保田:継続して診ることができないと、診断して治療してみて、その結果を見るという一連のプロセスができなくなっていきますよね。症例に対してきちんと向き合えないというか。だから臨床の面白さも味わえない…。
 
前田:なるほど。たしかに自分が「担当医」になることで、責任とともにおもしろさも出てきますもんね。
 
久保田:そんなことを感じている時に産休に入ったんです。そのあと一時的に(臨床に)復帰したんですけど、今度は赤ちゃんがいたので、やっぱり継続的には診れなくて。「これじゃあ中途半端だな」と思って、臨床を離れて通訳に専念することにしました。
 
前田:結果的に良い選択だったんじゃないですか?今の久保田先生って、“オンリーワン”な感じですよね。他にはいないんじゃないですか?
 
久保田:臨床をせずに、通訳のみの獣医通訳は確かにいないかもしれません。
 
前田:競合がいないから、めっちゃ"ブルーオーシャン"ですね。学会の通訳以外には、どんな仕事をしてるんですか?
 
久保田:JAHAのセミナーでは、引き続き通訳をしています。そのほかは、企業が主催するセミナーが多いですね。
 
前田:ロイヤルカナンとか外資系の?
 
久保田:外資系はもちろんですが、日本企業が主催するものもあります。

「獣医さんっていいわよね」というお母さんの言葉をきっかけに臨床獣医師の道へ。その後、様々な出会いやライフスタイルの変化を経て獣医通訳という独自の道を開拓した久保田先生。次回は、獣医通訳というお仕事を通じて久保田先生が知った、獣医療関係者を対象としたメンタルケアの大切さについてお話をうかがいます。

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