すぐ謝ってしまうのをやめたい
「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えることは大事だとよく言われる。でも、適当なときに使う必要はあって、どんな場面でも言っておけばいいというものではないと思う。
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今日、あるカフェで3時間まったりした。お会計を終えてお店を出るとき、マスターから「ゆっくり過ごせましたか?」と不意に声をかけられた。咄嗟に出てきたのが(今でも信じられないけど)「すみません、過ごさせていただきました」という言葉だった。マスターの表情が固まるのを目にするのと同時に、わたしは何を言ってるんだ…、とじぶんの発言に衝撃を受けた。その場ですぐ訂正できればよかったのに、あまりに驚きすぎてわたし自身もパニックになってしまい、そのままお店を出てしまった。
そこから、帰路はじぶんの過ちに対して反省、自責を重ねた。どう解釈してもプラスに捉えられることはないことの哀しさ。なんであんなことを言ってしまったのか、という疑念と失望と後悔。一度言葉にしたことは巻き戻らない現実の辛さ…。せっかくじぶんのだいすきなお店で素敵な時間を過ごせたのに、その気持ちをマスターに素直に伝えたかったのに、捻くれたような言葉が出てしまったのか。咄嗟に出てくる言葉は、じぶんの口癖なのかもしれない、と思った。
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誰からアドバイスをもらったのかを思い出せないのが悲しいけど、昔、「謝るばかりじゃなくて、感謝に変換したほうがいいよ」と言われたことがある。それくらいには、わたしは「ごめん」「すみません」「申し訳ない」と言ってしまうのは自覚している。1日で何回も言ってるような気がする。もしかしたら、じぶんが意識しているだけで何回も言ってるから、無意識のうちにもっと言っているのかもしれない。
たくさん謝ってしまうのはなぜだろう。自信のなさと、都合のよさによるのではないか。じぶんが適切な言動・振る舞いができていない気がして、周りに迷惑をかけたり、不満に感じさせてしまったりしているのではないか、と思うこと。場が暗くなったり悪くなったりしたときに、とりあえず誰かが謝ることでその場を救い出せるのではないか、と思い、その謝り役を買って出ること。
よく言う言葉、口癖化している言葉は、じぶんが取り出しやすい引き出しの中に入っている。そのせいで、咄嗟の発言で意図せずその言葉が飛び出てしまったのではないか。ありがとうに日頃変換できていれば、今日もありがとうが出ていたのではないか。ごめんを全てありがとうに変換するのがいいとは思っていないけど、適切なときに適切なかたちで変換する意識は大事な気がする。
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